古里の暮らしの中で

私の住んでいる地域の文化を紹介する

向井亜紀さんの講演

2009-08-24 19:53:23 | 乳がん
8月23日の午後、地元の医療・福祉法人の55周年記念の講演会を聴きに行った。
500人くらいの入場者数と聞いたが、私が思っていたより多く、がんに対する関心の高さを感じた。
入り口では手を消毒し、一人ひとりにマスクが配られた。

「がんの医学的知識と予防」で(財)癌研究会有明病院化学療法科・血管腫瘍科部長 畠 清彦氏と
「がんと向き合う」で向井亜紀さんの講演会だった。

はじめに話されたお医者さんは会場を指差し、ここから左の席の方はがんで死にます。
ここの部分の方は心筋梗塞か脳血管障害、ここの部分は、等と言われ、会場は大笑いだった。
コロリと死にたいとたいていの方が言われるが、コロリと死ねる方は少ないと言われた。
がんの予防では、タバコを止めることで発生率を3割落とせる。検診による早期発見でまた3割落とせるそうだ。
ところがそれで試算すると平均寿命がかなり伸び、女性は平均寿命が90代になるので、
それはそれで新たな別の問題が出てくるそうだ。

がん検診は、いろいろ受けるに越したことはないが、特に男性は、大腸がん・胃がん・肺がんの検診を受け、
女性は大腸がん・乳がん・子宮がんの検診を受けると良いと話された。

いろいろのがんの説明があったが、子宮頸がんは不潔にすると起り中東などで発生が多いと言われた。(これが、あとで・・・)

島根県ではがん治療の水準が低いのではないかとの問題については、「島根県」がということはない。
ただ、全国的に7割はいいが、3割の医療機関に抗がん剤の量を控える傾向が見られるので、
標準治療(世界的に認められたガイドラインにそった治療)を受けるには
医者・医療機関の選択も大事だとのことだった。

また、がんの告知についても最近は本人に伝えるとのこと。
本人以外には、本人が希望する人にのみ伝えるそうだ。
この先生の病院はがん専門病院なので、子供の骨肉腫で足を切断などの場合がままあり、
本人にこれを伝えるのはつらいと話された。
子供と親、カウンセラーが同席して時間をかけて説明していくとのことだった。

乳がんにかなりの時間を割いて話しておられるような気がした。
乳がんでも種類があって、今まで女性ホルモンを断つことでの治療がきかず、治療が難しかった乳がんが、
新しい薬が出来たためにこの方がかえって治療効果が良くなったとの話もされた。医療は日進月歩とのこと。

また抗がん剤治療のなかで、3週間に1度を4回するか、1週間に1度を12回するか本人が選択しないといけない場面がある。
最近になって、1週間に1度を12回の方が効果があることがわかってきたと言われ、
そちらを選択していた私は少しだけほっとした部分があった。

ただ、この乳がんの説明は経験者や勉強した人しかわからない言葉がたくさん出ていて、
一般の人はどうだったかなと思った。(たとえばハーセプチンとかハウツーとか)

まとめとして予防はすぐ始めよう!遅すぎることはない。
治療では適切に診断を受け、早く標準治療を受ける。
再発しても転移してもあきらめない。
でもとことん受けて駄目な時は潔くしましょう。

「がんと向き合う」~自分の身体と時間を大切に~では、向井亜紀さんが話された。
身長170センチで53キロとか、ハイヒールをはいておられるので、かなり背が高く見えた。

結婚6年目で、もうすぐ36歳になるときに癌が見つかり、36歳で授かった命を失ったこと。
その時に子宮頸がんになったと思っていたが、お医者さんからこのがんの芽は10年前に出来ていたもので、
発見されたのが今だったにすぎないと言われたこと。
自分の身体を過信し、検診には行っていなかったと言われた。

また、先ほど先生が子宮頸がんは不潔にしていると起ると言われたが、自分は子宮けい癌だった。
祖母も子宮頸がんだったので、祖母の生活を見ていても決して不潔にしていたからだとは思わない。
他人のあんな言葉にいちいち傷ついていてはいけないと言われた。

この点は、私もがんが生活習慣病と言われていることや、善意の言葉さえ傷つくことがあるので、なるほどと思った。

癌とわかってからもおなかの子供のため、はじめは少し切り、だめでまた少し大きく切り、結局ダメで全部切られたこと。
その後、おなかに菌が繁殖し14回の手術を受け、合計17回の手術を受けたと話され驚いた。

自分の身体のうちなる声を聴き、自分をいとおしく思うこと。
「自分の身体の外側だけでなく、内側の自分も興味を持って接していこう」
楽しい想像をすること。
自分のやりたいことを、小さなノートに書いて実現したら好きなカラーペンで色をつけていくといいことなど話された。

自分のことを一番思ってくれる人の笑顔を思い浮かべてみよう。と言われた時、
「そうだ、私も夫の笑顔を見るために生きよう」
と、とてもいいことをその時思ったのに、数時間のうちに折角のいい考えもいつの間にか消えていた。