小中学生だった頃の夏の思い出は、まだ学校のプールなどが無かった
昭和30年代、長い夏休みの間毎日のように集落の子供達と連れだって、
自転車に乗って田んぼの用水路へ泳ぎにいって遊んでいた。
今から思うと茶色く濁ったような水路で良く泳げたなと思うが、当時はそれ
しかなかったので水質など関係なく元気に泳ぎ回って遊んでいた。
当時用水路の水質検査をすると、大腸菌の数が少なく意外ときれいな水質?
と思われたが、結局良くよく調べて見ると大腸菌も住めないような汚れた水質
だったと言う、笑えない話が残っている。
また当時の用水路は今のようにコンクリートで護岸されていなかったので、
両岸には水草などが繁りフナやコイ、ナマズやドジョウ、雷魚などの魚も多く
住み着いていて釣りや、網で魚を捕りに行くのも夏休みの楽しみの一つで
あった。
今ではほとんどの水路がコンクリートで護岸されて、魚の住む環境も無く
なってしまった、それに加えて昭和30年代も後半になると田んぼに農薬が
散布されるようになり、その影響で魚やカエルやザリガニなどの水生動物も
だんだんと少なくなり、捕ってきても農薬の影響で食べられない様になって
しまった。
今でも思い出すのは農薬を散布した後の田んぼには赤い○印の中に毒と
大書された赤旗が立てられており、付近の用水路には農薬で死んだ魚や
水生動物の死骸が浮いていたのを思い出す。
当時農薬が散布される前まではまだ家の裏の用水路でも、夏はホタルを
見ることが出来たので、夜ホタルを捕りに行ってカボチャのつるの空洞部
に入れて、蛍の光を楽しんだりした。
昭和30年代の懐かしい思い出である。