盛夏の頃、庭先に出て見ると草木のあちこちにセミの抜け殻が付いている。。
空蝉(うつせみ)とは、文字どおりセミの抜け殻を表す言葉ですが、この言葉は
元々「現し臣」(うつしおみ)から生まれた言葉で、本来は「この世の人」意味で
用いられていたそうです。
さらに、うつせみという言葉は仏教の無常観と、セミの命のはかなさを重ね合わ
せ、人の世のはかなさを表す言葉とされ、和歌や俳句でも多く使われています。
今朝、隣の森からはうるさいばかりの蝉しぐれの声に混じって、まだウグイスの
さえずりの声も聴こえる、今頃まで聴こえるウグイスの鳴き声を、老鶯(ろうおう)
の声というらしい。。
そのさえずりの声は、春先の鳴き始めた頃とは見違えるように、少しの乱れも
なく流麗で、思わず聴き惚れてしまうほどです。。
この場合の「老」は、老いるという意味ではなく「習熟する」という意味で、老練、
ベテランということになります。
もうすぐお盆を過ぎる頃になると、この老鶯の声も、いつの間にか聴こえなくなり、
それに代わるように、隣の森からはリーリーリー と秋の虫の音が聴こえだします。。。
空蝉(うつせみ)。。 早起きして羽化するところも観てみたいものですね!
竿の先に止まるムギワラトンボ。