太極拳を始めて6年近くになります。
きっかけは、仕事の定休日が木曜日から金曜日に変更になったことでした。
37歳から体力をつけるためにKONAMIの会員になり週3~4回せっせと通っていましたが、49歳で仕事復帰(看護師)
定休日にした木曜日が金曜日に変更になったことで、たいして興味もなかったけど
金曜日朝一番のプログラムだった太極拳に試しに出てみたわけです。
爺さん(失礼)先生が教えているのはKONAMI で見かけていたので顔だけは知ってたのですが、
先生の
『師範の資格をとってみないか』という再三のアプローチと、太極拳は長く続けていけそうと思ったこと、
先生の
『やると決めた以上は、かならず師範をとること』の言葉で
一年後、太極拳のプログラムに参加しながら、『初伝』『中伝』『奥伝』と一年ごとに免状を取得しました。
当時、資格を取っても指導者になることは全く考えていませんでした。
資格を取ること自体は難しいことではありません。
ところが『イオン』の老朽化に伴い、イオンの中にあったKONAMI が、急な閉鎖となり、
「どうする❗太極拳教室」と言うことになってしまいました。
当時太極拳をやっていた40人以上いたKONAMI の会員と、「太極拳ができる場所を探してくれれば引き続き私が指導する」という、ある意味「他力本願」にも思える先生の言葉と、
「場所探し」に動き出した一部の会員にほだされ、
自分の家の近所の公民館で、太極拳教室を開きました。
閉鎖から2ヶ月後です。
あの『コロナ』が世界中に蔓延し始めた3年前です。
医療現場が大変なことになりだしたタイミングで
『太極拳教室』の代表者になりました。
一年後、ここで『指導員』の免状取得しました。
来月初旬には『準師範』の試験です。
何とかなるものですね、
と言っても
ダブルワークと太極拳の3つの仕事で疲弊してしまい、電池が切れてしまったようで、
ダブルワークの近所の医院での仕事は退職、
病院の仕事は4ヶ月間休職しました。
40人近い会員を2部制でやっていたので太極拳はなんとか頑張って先生の助手として行きました。
仕事復帰1ヶ月前に、自律神経を整えるために、KONAMIでYOGAを教えていた先生の教室でYOGAを始めたのは良い選択でした。
YOGAも太極拳と平行してずっと続けるつもりです。
人生の岐路、と言えば大袈裟なも知れませんが、
生きていると、岐路にたたされる時が何度か訪れます。
どっちを選んだとしても
正しいとか、間違いだったではなく、選らんだ道を精一杯生きることだと
思っています。
どうなることかと思った太極拳も仕事も、職場ではスタッフに
太極拳では一緒に太極拳をしている仲間に、
プライベートでは友人に
家庭では主人に寄り添ってもらい、
息子や孫に生きる力と糧をもらいながら
働きながら、学びながらそして楽しみながら
一回きりの人生を悔いのないように生きたいと思っています。
養老孟司さんの言葉
人間にとって100%のことは、 死ぬこと以外にには一つもないのです。 何もどうせ「死ぬんだから」と 投げやりになるということではありません。
恐る恐る生きる必要もない。
ただ、常に覚悟を心にもって 生きるということです。
不確定な未来に 軸足を置くのではなく、
今という時間に軸足を置くこと。
今日という日、 目の前の小さな命に 心を寄せることです。