ヒーーーー
まーたやってしまったわい❗️
ほぼ書き上げた【蘇我入鹿首塚編】、保存失敗でやり直しだ〜
飛鳥水落遺跡を見た後、
Uさんのわかりやすい懇切丁寧なガイドで、次の目的地「飛鳥寺」を目指します。
古代日本のはじまりとして教科書に必ず掲載されている「飛鳥時代」、
ほぼ全ての舞台となったのが、現在の明日香村。
日本各地に古くから残る里山がありますが、
しかし手入れをしなければ、やがては朽ち果ててしまう。
古代日本のはじまり・明日香村はそうなってしまわないよう、
計画的に整備をして日本の原風景を守りつづけています。
【明日香法】とは
明日香村の古き良き文化や伝統を守りながら、
住民生活を向上させることを目的として1980年に制定された。
村全域が「歴史的風土保存地区」と指定され、開発や建築に厳しい規制がかけられている。
(スーパーなどの大きなお店やマンションはなく、住宅の屋根は全て瓦葺き、など。
村全体が埋蔵文化財包蔵地の為工事着手60日前までに「発掘届」を提出する必要も)
だから、日本の原風景が残されているんですね。
ほんとに、大きなスーパーは見当たらない。郵便局は何故か沢山ある。
近代的なビル、コンクリートの建物がない。
高い建物などはなく、当時の風景をほぼ残しているのどかな田園風景の中を私達は歩きます。
道中、蘇我入鹿首塚がありました。
飛鳥寺の境内を西に抜けたところに立つ五輪塔。
大化の改新のとき、飛鳥板蓋宮で中大兄皇子らに暗殺された時の権力者・蘇我入鹿の首がそこまで飛んできたとか、
襲ってきた首を供養するためにそこに埋めたと言われています。
高さ149cmの花崗岩製で、笠の形の火輪の部分が大きく、軒に厚みがあるのが特徴。
聖徳太子が亡くなったあと、豪族たちは勢力をのばし、好き勝手にふるまうようになっていました。
豪族たちは、天皇から人々をまとめる仕事をあたえられていました。
その豪族たちの頂点に立っていたのが、蘇我氏です。
蘇我氏とは、聖徳太子と力を合わせて政治改革を行った蘇我馬子(そがのうまこ)の一族。
その孫の入鹿が、天皇をしのぐほどの富や権力を持つようになっていたのです
天皇の息子として生まれた中大兄皇子は、当時最も力のあった豪族の蘇我入鹿をたおし、政治の改革を行いました。
当時19歳だった中大兄皇子は、豪族の一人、中臣鎌足とともに、蘇我氏をたおす計画をくわだてます。
それを持ちかけたのは中臣鎌足だといわれています。
鳥宮跡
乙巳の変(大化改新)のはじまりの舞台となった場所。
【蘇我氏とはどういう一族だったのか】
蘇我氏は、もともと、渡来人と盛んに交流し大陸の進んだ文明と情報に触れてきた一族
蘇我氏は稲目から入鹿に至るまで旧来の政治体制を打破して天皇を中心とした中央集権国家(律令国家)づくりを目指した改革派だった。
蘇我入鹿も遣隋使として隋にわたって帰国した僧・旻のもとで学び、旻からは非常に高い評価を受けたといわれており、大陸の新知識に触れて革新的な政治体制を構想していた。
しかし日本書紀は乙巳の変以後の藤原体制を正当化し強固にするため、蘇我氏が行った改革を厩戸皇子と中大兄皇子、中臣鎌足の功績とし、崇峻天皇暗殺や山背大兄王襲撃事件など負の歴史の責任を蘇我氏に押付けた。
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色んな諸説があるようですが、蘇我入鹿氏が相当優秀だったのは事実のよう
はるか遠い古代の事ですから、実際のところはどうだったのか。
タイムスリップできるものなら、見てみたい。