日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

今日、半夏生!

2010年07月02日 13時11分37秒 | 残日録
今日は、半夏生(半化粧)だ。

半夏生の葉が、半分白くなる季節でもある。
「麦わらタコに祭りハモ」とは、半夏生のころには、生まれて10ヶ月ほど経過したタコが一番美味しくなる季節であり、同時に祭り(祇園祭)には、ハモが美味しいとの京言葉である。
もっとも、京都の公家や武家の味覚だったかも知れないが、麦秋が終わって、田植えの稲も盛んに株(根)が分化する(たこ足のように)季節なので、百姓にもこの文化は浸透した。
我が家(小さな百姓)の食卓にも、今日、「タコとキュウリの酢もみ」があった。

半夏生のころの食べ物は地方によって異なっていた。農繁期が終わって「早上り(さのぼり)」となり、百姓はつかの間の「休み」をあじわうのだ。讃岐では、うどん(もちろん、休みで余裕があるから出来るのだが、自分の家で粉から打つ)。福井などでは、「焼き鯖」を食べているでしょうか。

「姫路城の秘密」35項目の「利隆暗殺計画」を考えている。「吉備温故秘録」を読んでいるが・・・十数行にまとめる能力がない。事件(1615年2月5日)から75年以上も経って書かれているし、利隆直系の光政が治世だし、思惑が入り込んでいるだろうし、小説のようにするしかないだろう。余談だが、この2月5日はkunio_nikkiの誕生日なのだ。

※「吉備温故秘録」:備前藩士の大澤惟定(市太夫)が、寛政年間(1789~1801)に見聞きしたことを編纂したものである。彼は、御後園(のち後楽園)奉行で、藩の中枢にいるし、利隆(姫路藩主)暗殺計画は、輝政後添えの督姫(ごうひめ)がわが子忠継(岡山城主だが幼いので、後見役が利隆)可愛さに姫路城を継がしたくて・・・・。事件は1615年だし、75年以上ものちの見聞録だし、編纂時には利隆の子「光政(名君で閑谷学校などを残している。姫路藩主~鳥取藩主~岡山藩主)」治世で安泰だったので、藩主を無視する形では書けないだろうよ。