日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

君の歌が聞こえた!

2007年06月19日 21時31分01秒 | 残日録
昭和34年(1959)彗星のように現れた君「水原弘」は、喉を絞ったような独特の声(ハスキーボイスと言われた)で、「黒い花びら」(詞:永六輔 曲:中村八大)で大ヒット。当時着ていた「ダスターコート」(ごみ集め職人のごみ避け用のハーフコートに似ていたのでこの名前)をも大流行させました。同年には、これも大ヒットの「たそがれのビギン」(詞:永六輔 曲:中村八大)も。これは後、「ちあきなおみ」によって、リバイバル(リメイク)ヒットとなったので、ちあきなおみの曲と思っている人もいる。大好きな曲です。
その後、長い低迷があって昭和42年(1967)に「君こそ我が命」(詞:川内康範 曲猪俣公章 このコンビは森進一の「おふくろさん」で有名になったが、猪俣は森の師匠、そして川内は、今年始めに森と決別宣言)

【1978年(昭和53年): 6月24日、宿泊先の北九州市内で吐血し、7月5日、同市内の病院で肝硬変(食道静脈瘤破裂とも)のため42歳の若さで他界。】

亡くなって30回忌がこの6月24日にやってくる。本当に遠い遠い過去なのに、ラジオから「君こそ我が命」が聞こえてきたときに、受験生だった当時の「黒い花びら」の世界へ瞬時に遡れたのは、うれしい出来事でした。受験勉強などなおざりで、好奇心の赴くまま、いろいろな青春を・・・駆け抜けた時代が走馬灯のように展開されました。
そして、大荒れの「安保闘争」は、学生全体のうねりとなって、日本国中を席巻しましたが、あれはなんだったんでしょう。「革命」という言葉が、持てはやされたが、学生達は就職と同時に世間に従順となり、熱き血はなくなり、妻や子に蔑まされてもなんとか定年の時代を迎えたが、60歳よりと約束された年金は、順次65歳までに支給年齢を遅らされても、「ハイ」と従うだけのだらしなさだ。世間に斜(はす)に構えた「水原弘」の時代が、懐かしいのだ。


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