霞ヶ浦南岸を、土浦から潮来方面に向かって走ると、古渡入という広大な入り江化した
小野川河口があります。
霞ヶ浦は元々、海水が流入する汽水湖で、現在でも、海として管理されています。
霞ヶ浦湖岸の入り江は港町として栄え、古渡もそうした港湾の一つでした。
現在は多くの入り江が埋め立てられた中で、古渡入はまだ往時の面影を残しています。
この古渡入り西岸に古渡城という城跡があります。
調査日は2018年08月05日です。
旧古渡橋を西岸を渡り浮島方面に入ると、すぐに智福院というお寺があります。
そのわき道を入り道なりに直進すると、智福院裏に下のような解説板が現れます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/54/97572c4a9227c07468dc425d172a13b0.jpg)
とてもこんなところに城があったなんて想像もできませんが、丹羽長重の居城だったそうです。
恐らく海上交通を押さえるためのものだったのでしょう。1603~1622年までというわずかの間です。
城跡には土塁と空堀があると書いてありますが・・・。
まず、水郷らしく弁財天がお祀りされています。その背後に土塁が残されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/fe/6cce141ca6f97f48b945460adf4a1edd.jpg)
お祀りものに不思議なものがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b8/bbc2a113be546d428870da0134442f53.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/b7/dafe3410793ee06feba94777d7763d6c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/91/31e634b7e9f4352c512d3106f9630d83.jpg)
されている
このタマゴ型の御神体は何なんでしょうか?
錘りのようにもみえますが・・・・。
さて、弁財天周囲の土塁です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/0d/e0de93524ab94989bf1d0259ccb91d03.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/38/1615546f7b01bcfb1b4ba01ca18ec776.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/98/7465fe292e68b94fb7cfd978e686f916.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/86/938a0095a5ab98e38040b081739f3abc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/fa/c9ff4f9741e7a9862e72f973819d869c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/7e/87cf0577af85b63820b1c71f4eccccbe.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/08/c4dda5ed1b3ad84af560a9c121efbd17.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/f2/54b09067351ec5810d95dc4321c4b9f1.jpg)
現況の大部分は耕地になっています。
智福院内にも土塁の一部が残されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/fb/a239bba051089158b6f0d55f3edb6087.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/5e/b8a44d2ddc404358026a60492b2b746b.jpg)
下が境内内の土塁です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/20/a09116b59b2a52d36924289249deba2e.jpg)
事前情報がだいぶ少ない状態で行ったので、しつこく歩き回ることはできませんでしたが、
ここも時間ができた時に、追加調査をしたいと思います。
小野川河口があります。
霞ヶ浦は元々、海水が流入する汽水湖で、現在でも、海として管理されています。
霞ヶ浦湖岸の入り江は港町として栄え、古渡もそうした港湾の一つでした。
現在は多くの入り江が埋め立てられた中で、古渡入はまだ往時の面影を残しています。
この古渡入り西岸に古渡城という城跡があります。
調査日は2018年08月05日です。
旧古渡橋を西岸を渡り浮島方面に入ると、すぐに智福院というお寺があります。
そのわき道を入り道なりに直進すると、智福院裏に下のような解説板が現れます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/54/97572c4a9227c07468dc425d172a13b0.jpg)
とてもこんなところに城があったなんて想像もできませんが、丹羽長重の居城だったそうです。
恐らく海上交通を押さえるためのものだったのでしょう。1603~1622年までというわずかの間です。
城跡には土塁と空堀があると書いてありますが・・・。
まず、水郷らしく弁財天がお祀りされています。その背後に土塁が残されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/fe/6cce141ca6f97f48b945460adf4a1edd.jpg)
お祀りものに不思議なものがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b8/bbc2a113be546d428870da0134442f53.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/b7/dafe3410793ee06feba94777d7763d6c.jpg)
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このタマゴ型の御神体は何なんでしょうか?
錘りのようにもみえますが・・・・。
さて、弁財天周囲の土塁です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/0d/e0de93524ab94989bf1d0259ccb91d03.jpg)
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現況の大部分は耕地になっています。
智福院内にも土塁の一部が残されています。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/5e/b8a44d2ddc404358026a60492b2b746b.jpg)
下が境内内の土塁です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/20/a09116b59b2a52d36924289249deba2e.jpg)
事前情報がだいぶ少ない状態で行ったので、しつこく歩き回ることはできませんでしたが、
ここも時間ができた時に、追加調査をしたいと思います。