山頂直下から篭山方面を見る、三角の山が篭山、鞍部が峰の辻で4コースが交差する
沼の平に向かって、ほぼ平坦な牛の背を行く、相変わらず曇り空。
沼の平の縁に到着、船明神山と障子ヶ岩(奥)の岩稜が見える
母成峠の登山口から船明神山を経由して安達太良山に来る登山道や、沼尻登山口から障子ヶ岩と船明神山を経由して登るコースも有る。
牛の背の牛の首から見る「沼の平」の全景、左に障子ヶ岩、右に胎内岩の絶壁が見える
遙かに光るのは秋元湖らしい。
以前は、この沼の平を横切って馬の背に登るルートが有ったが、平成9年の9月15日
午前10時過ぎ、関東から来たグループが、沼の平に到着後、濃霧に巻かれて道を失い
3班に別れて道を探りながら進んだところ、その内の南に進んだグループが、障子ヶ岩の絶壁に阻まれ、引き返す事になり
その途中で火山ガスを吸った4人が次々と倒れて死亡した為、その後沼の平のコースは入山禁止なった。(山渓のYAMAPから引用加筆)
また同じ理由で、馬の背からくろがね小屋に向かうルートも入山禁止となっている。
日本百名山を書いた深田久弥も岳温泉から勢至平を通り、くろがね小屋に一泊して
馬の背に登り、沼の平の様子を次のように書いている。
「三方をものすごい岩壁に取囲まれたこの平は、その名の通り以前は沼だったそうだが、今は砂地に化している。
明治33年(1900年)の爆発でここにあった硫黄精錬所が害を被り、70余人の従業員が全滅したという。」
これを読めば、この沼の平が比較的新しい火口である事が判る。
深田は、その後山頂に登り、「霧に包まれて眺望は得られなかったが、山頂を極めた喜びに変わりは無かった。」と書いている。
牛の首から矢筈森と鉄山方面の景色を見る。
深田久弥も矢筈森には森が無いのに何故森の名前が付いたか不思議がっている。
私たちは真ん中に見える矢筈森の手前から右の峰の辻に下った。
下り始めてすぐに、山頂を見ると例の双耳峰的な景観を見る。
矢筈森と篭山の鞍部に有る峰の辻は、石のゴロゴロした場所であるが、登山道が交差している
分岐でもある。
前回、私たちはここから「くろがね小屋」に寄らず、勢至平に抜けるコースを歩いた。
昼にはちょっと早かったが、風の当たらないこの場所で、昼食にした。
植物を痛めないように石に腰掛け、紅葉の中で食べるおむすびは、また格別である。
「最高の贅沢だよね」などと言いつつ食べる至福の時間だった。
くろがね小屋方面の紅葉が、たまに日が差して輝くと、言いようもない美しさであった。
私が熱いコーヒーを入れて、何気なく矢筈森の尾根の一つを見ると、コースでも無い斜面を
下ってくる登山者がいた。
双眼鏡で覗いた花友のKさんが、「学生のようだよ」という。
私たちが出発する頃、どうにか無事に下山出来たようだったが、お薦めは出来ない行為だと思う。
峰の辻からガレた登山道を30分ほど下ると、くろがね小屋を見下ろすやや平坦な尾根に出る。
端に並ぶ大岩に乗って、くろがね小屋を見下ろすと、そこは今盛りの綾錦であった。
「凄い凄い」と花友が言う。
これで日が当たっていたらどれほどの美しさで有ったろうか。
花友のKさんが、明日の仕事を休んでとまりたいねと言うのも判る気がする
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オマケの写真追加・10月25日
くろがね小屋と紅葉・陽が当たらなくてもこの美しさ、人気が有るのも無理はない
くろがね小屋付近の紅葉
くろがね小屋の先は、紅葉のトンネルだった。
トンネルの先は紅葉の沢だった。思わず笑顔。