ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

ふと・・・こんな詩を思い出しました。

2022年05月06日 11時02分11秒 | owarai

 

春の夜に霜が降ったよ 
やわらかい青い花にも 
その花は枯れて死んだよ 

若者が娘に惚れて 
親たちの知らないうちに 
こっそりと駈落ちしたよ 
国々をさすらい歩き 
幸せにめぐり合わずに 
二人ともやつれ死んだよ 


高校生の頃 口ずさんだ 
ハイネの詩ですが、どこか 
間違っているかもしれませ 
んけど・・・・。 

この娘さんと男は、決して 
生命が終わったのでのでは 
なく、愛がやつれて死んだ 
のでしょうね。 

“国々をさすらい歩き 幸せ 
にめぐり合わずに・・・“ 
とても悲しい詩ですね。 
アメリカの女性文学者が、 
愛は三年で死ぬと言っています。 

 

 

愛が死に、そしていつか愛情 
という型に変わり、普通の男 
と女になり、時という大きな 
手のひらの中に包まれ、良き 
夫婦で晩年を迎える。 

移ろう季節をともに歩む 
の二人の恋が・・・・ 

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あなたに会えたお礼です

2022年05月06日 08時52分26秒 | owarai

 

この人とよくぞ出会えた、と 
思うことが、まれにある。 
そう思うからには、その人物 
は自分にとって少なからず重 
要なに人間(例えば、恋人とか、 
恩人とか、特別な友人)なのだ 
が、 

それにもかかわらず、出会いと 
は言えば、何とも頼りない数々 
の偶然の上に起こっていること 
に、いまさらながら気づく。 

あの時、別の道を通っていたら。 
家を出るのが五分おそかったら。 
バスが一分早く来ていたら。 

思えば人間の出会いとは、ぜんぶ 
がぜんぶ、そんなことの積み重ね 
でできている。そう考えると、な 
にか心細くもあり、どこか空おそ 
ろしくもあり、よく、考えると、 
胸をしめつけられるように切なく 
なったりもするのだ。 

でも、人と人はそうやって出会う。 

六十数億もの人間の中から、数え 
きれないほどの奇蹟のような偶然 
を乗り越えて、その人に出会って 
しまうのだ。出会ってしまうだけ 
ではない。その人は自分の人生の 
中できわめて大切な役割を果たし 
てくれるのである。 

でも僕は、そうやって出会った 
ふたりを「出会う運命にあった」 
などと美化するつもりはない。 
出会うことはまったく偶然である。 
問題は出会ったあとの関係のつく 
りかただ。 

新しい人と出会い、その都度、 
その人との人間関係を、きちん 
とていねいに育てる人を見て 
いると、心から尊敬してしまう。