それは、矜持だと思う。
(矜持:プライド、誇り)
武士は食わねど高楊枝で
はないが、
誇り高き男は、
どんなに貧しくても、
心まで貧しくはならない。
矜持を大切にする男は、
軽率にものを言わない。
矜持を持つ男は、
軟弱な姿を見せたりしない。
「男性のみなさん、世界中の
女性にモテモテなのは男性で
はありません。残念ながら。」
欲ばりな男が浜辺で不思議な
ビンを拾いました。
それを開けてみると、妖精が
飛び出し男に言いました。
「私をビンの中から救い出し
てくれてありがとう。お礼
に、3つの願いをかなえて
あげましょう。」
男は迷わず「3億ドルがほ
しい!」と言いました。
するとびっくり。
そこには3億ドルの札束が。
次に「カッコいいオープン
カーが欲しい!」と言いま
した。すると、たちまちカ
ッコいいオープンカーが
現れました。
そして味をしめた男は最後
に「世界中の女から愛され
たい!」と言いました。
すると・・・彼は、
おいしそうなチョコレートに
なりました。
チョコレートは、ひとを幸せに
する。
ただし、そんなに甘くないから
願い事は、慎重に。
パリには料理学校といものが
ほとんどないそうで、
その理由は、
料理はやはり母が子にその
家の独特の料理法を教える
からだそうです。
TVで見るヨーロッパの家庭の
味は、特別なモノではないの
です。
着物の縫い方、料理法も、日本
では、母が子に教えたものでし
た。
それがいつのころかなくなって
しまったのです。
日本人は数十年というわずか
な間に、何か貴重なものを
失ってしまったのではないで
しょうか。
というより、忘れてしまったの
でしょう。
もし、忘れたのだとしたら、
今こそ、それを思い出す絶好
のチャンスだろうと思います。
人間は、一度、楽や贅沢に慣れ
てしまうと、それををもとに戻す
ことは、なかなか困難です。
余談ですが、部屋はモノを置か
ないのが美徳です。
それなのに安いからと、
品質が良いと自分に言い聞かせ
ユニクロやニトリで買い揃え
自分で部屋を狭くしているの
です(笑)
昔の日本人は、食事のとき
ご飯を押しいただいて、感謝
しながら食べたものです。
今の日本人は、食事のとき
肥らないことばかり考えています。
この違いは、日本人の心に、
たぶん、天と地ほどのへだたりを
つくってしまったのではない
しょうか。
「何か、飲み物が欲しい?」
彼女はわたしにソファーを
すすめたあと、リビングルーム
の続きにあるキッチンに立って、
にこにこ尋ねた。
「コーヒー、紅茶、ジャスミン
ティ、グリーンティもあるのよ。
それともあなた、ワインを飲み
ますか」
喉がからからに渇いていた。
「ありがとうございます。じゃあ、
ジャスミンティをいただきます。
その前に、お水を一杯もらえま
すか」
「はい、わかりました」
彼女がお湯を沸かして、お茶の
準備をしているあいだに、わた
しはさり気なくあたりを見回し
た。いや、見回さなくとも、
次々にわたしの目に飛び込ん
できた。
テーブルの上に置かれている
雑誌、英語の新聞、そして日
本語の辞書。ボールペンとメモ
用紙。女物の腕時計。長椅子の
上にはクッションのほかに、
明らかにあのひとのものだと
わかるセーターとシャツ・・・。
それらは「あのひと」であり、
同時に「あのひとの不在」でも
あった。
飾り棚の上には、ファックス用
紙の差し込まれた電話機と、写
真立てがいくつか。大きく引き
伸ばされた彼女の写真。彼女が
両親と三人で写っているものと、
彼女の子ども時代の写真。
その隣に、コックの制服を着て、
クラスメイトと一緒に写って
いる、あのひとの写真。
それは、わたしのよく知ってい
るあのひとのようにも見えたが、
同時に、まったく見知らぬ他人
のようにも見えた。
この部屋で、あのひとは、この
人と暮らしていた。いいえ今も、
暮らしている。
ここには、わたしの知らない
あのひとの生活があり、それは
これからも続いていく。
本の中に、知性の神さま
が住んでいるという。
知性を伸ばせるかどうかは、
本屋さんでの行動で
わかる。
手に取った本を、元の場所
にそっと返す人は、知性を
伸ばすことができる人。
本屋さんでも、図書館でも、
友だちの家の本棚でも、
知性の神さまが住んで
いる。
開高健様。
若くして文壇にその才能を
認められ、企業の宣伝部にあって
一世を風靡する宣伝をいくつも
手がけるかと思えば、
戦火のベトナムから命がけの
ルポルタージュを書き送る。
そんな多忙の間をぬって、
地球の果ての大河に飛んで
壮大なフィッシングを愉し
む。すべてが桁はずれ。
小説家の枠におさまらない
行動力で人々を魅力した。
彼のもうひとつの顔は、美
食家。ワインやコニャック
を愛で、キャビアに舌鼓を
打ち、世界を縦横に駆けめぐ
ってあらゆる料理を味わい
尽くした。そんな開高健が、
じつはお茶漬けファンだった。
と言ったら、驚くだろうか。
あるとき、彼は旅先から家族
宛てた手紙のなかで
「梅茶漬け、送れ」と書いた。
まるで、どこにでもいるふつう
の日本の男のように。
ホッと息ぬきできる時間を求め
るように。
ひとの何倍もの濃密さとスピー
ドで、59年の生涯を駆け抜け
た男が、ただの男に戻るとき、
そこにお茶漬けがあった。
美食も冒険も人生を豊かにする。
しかし、それだけでは何かが
足りない。
肩の力をぬいて、ふだん着の
まま楽しめる何かが足りない。
その何かとは、あったかくて、
らくちんで、日本にしかない、
サラサラおいしいもの。
今夜の酒のシメ。
ゆっくり、おいしい。
梅茶漬け。