「原始的な呪術が宗教となり、やがて科学に取って代わられる過程にメスを入れたアニミズム、トーテミズム研究の古典的名著」
・「The Golden Bough(金枝篇)」の著者ジェームズ・ジョージ・フレイザーは、1854年スコットランドのグラスゴーで生まれ、地元のグラスゴー大学を卒業後、後に英国の魔術師アレイスター・クロウリーも一時期学んだケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジにて社会人類学を専攻した。
・「The Golden Bough(金枝篇)」上下巻を上梓したのは1890年、ケンブリッジ大学の特別研究員だった頃のことだった。
・「金枝」の名称は、ヤドリギにまつわる王殺しの伝承が遺るイタリアのネミ湖畔を描いたジョセフ・M・ターナーの風景画の題名に由来する。
・クトゥルフ神話にまつわる神々や教団について直接言及しているわけではないが、ヨーロッパの神話や地域信仰の世界に深く踏み込んでいるため、併読書として研究者の書架に並ぶことが多い。
・この著作で高い評価を受けたフレイザーは、1907年にリバプール大学の社会人類学教授に就任。1914年にはナイト爵に叙任された。
・1921年に母校ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの教授に就任したことは、彼にとってナイト爵の称号を得た以上に大きな名誉となった。
・1925年にはメリット勲位を受勲、英国学士院特別研究員、エジンバラ王室学会名誉評議員、王室ポロシア科学学会名誉会員など華々しいポストを歴任し、学者として頂点を極めるが、第二次欧州大戦の1941年5月7日、ドイツ軍の空襲により夫人とともに亡くなっている。
・「The Golden Bough(金枝篇)」自体は版数を重ねる毎に内容が増補され、1911年から15年にかけて刊行された全12巻の完全版をもって完結された。
・1920年代以降、フィールドワークの研究が主流となった現代の人類学の現場において、フレイザーは「安楽椅子の人類学者」と蔑称され、顧みられることが少なくなっている。