人生いろいろ、たぶん大丈夫だ?

40代の中年おじさんです。「四十にして迷わず」うーん、迷える中年羊を誰か救いたまえ。

写真を「撮る」時のポーズ

2018年02月11日 19時00分10秒 | 
私は元来のひねくれものなのですみません。
写真を撮るときにポーズはとりません。カメラをしっかりホールドするために脇を締めてカメラを両手で持つ、というのが基本です。

写真に写るときは、もうおじさんなので若者ぶることはしません。
あっ、それから基地従業員としては、アメリカ人並みの笑顔を求められることもありますが、あれは練習しないとできないです。
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父が自家用車を手放す

2011年12月20日 12時38分43秒 | 
79歳になる実家の父が先日長年愛用していた自家用車を手放しました。
一人暮らしで時々知人宅を訪ねたりするために使っていたようです。

最近は高齢者の免許の自主返納も行われていますが、免許は無事に更新できていました。
離れて暮らしていたので、自動車の運転については気になっていたのですが私の方からは何も言わないでおきました。特に事故を起こしたわけでもないのですが、最近ニュースなどで聞く自動車事故のことを気にかけていたようなので、自分で判断したのだと思います。

我が家に自家用車が登場したのは父が40代の頃ですから、割と遅かったのかもしれません。それまでは遠出をするときは列車などでしか行けなかったのですが、父が単身赴任をきっかけに自家用車が来たわけです。
マックスフェロー、ローレル、マーク2、マーク2、クラウン、クラウンという車歴だったと思います。そのうちマーク2とクラウンは私の自家用車にもなりました。

結果的には大きな事故もなく良かったと思っています。これからは車に費やした費用を生活に充てることができます。交通便利なところにすんでいるので、生活には不便はないと思っています。
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話の伝わらない人

2011年06月06日 00時46分12秒 | 
私も含め、皆さんは多くの人たちに囲まれて生活していると思います。家族、隣人、学校、職場などです。そんな身近な人の中に「話の伝わらない人」はいませんか?
私には不幸にも職場に一人います。しかも人生初で最悪かもしれません。

さらに悪いことにそれは上司です。
ちょっと複雑なことや人間関係の難しいことになると、話を煙に巻くような言い方や論点のすり替え打ち切りなどという高等テクニック?を使って話す相手を悪者にして締めくくります。そういうわけで、話の本質というか論点がぼけてしまい、何について話しているのか判らなくなります。そして、最後の決めぜりふは「私は上司だ」と。

基地の従業員の中にはこんな勘違いの人もいます。私が見たところ、このひとは人間関係の中でもまれて育ったわけではないので、「常識」が通用しません。たぶん本人も自分の能力の低さを自覚しているもんだから、それを必死でごまかすために変なロジックを使うのだと思います。
私が雇われる前から、同じ職場の他の従業員ともトラブルを抱え、しかも解決できなくて何とかその人をクビにしようと画策していました。
また私が雇われた後にも新たに他の従業員とのトラブルを抱え、やはりクビにしようと画策していたのを一部始終見ていました。当然今は私とのトラブルを抱えています。

その人の自慢話は、「どうやって従業員を辞めさせたか」です。(同じ話を最低4回は聞きました)一方的な話を聞かされればその人は「よい子」ですが、こんなにも個人的に従業員とトラブルを抱えていること自体、問題児だと思うのですが、それを評価する人にはその事実が伝わりません。(と言うか同じ穴の狢だ!)

私は普段からこの人とは無駄話をしないようにしています。なるべく二人きりでも話をしたくありません。(誰か第三者をたてたいくらいです。)
それでいいのです。仕事はちゃんと回りますから。

私がいくら「システムや人事がおかしい。その人がおかしい。」と声を上げたとしても、庇護されている限り沈まないでしょう。だから関わり合いを持たないで、我慢するしかないのです。(俺が言いたかったのはこのことだよ。最後まで人の話を聞けよ!空気読め!そしてその頭で考えろ!)

すみません、くだらなくて。
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伯父様のこと

2010年06月01日 23時07分18秒 | 
親戚つきあいというのは、多種多様であると思います。時には親戚同士で仲が悪くなり、絶縁という話も聞いたことがあります。
幸いにも、私の一族の関係は良好です。
私も年をとるにつれ、親戚のおじさまおばさまたちも当然お年を召してきます。そんな私の親戚の伯父様のお話です。

私は地方の都市に生まれ育っていますので、歴史の教科書に書いている現代史はほとんどのことは東京の出来事だと思っておりました。

その伯父様は、土木技師として全国のダムの建設に関わり、70歳を過ぎてもう現役から退き、悠々自適な生活を送っているころから、おつきあいさせていただきました。
70をすぎてからワープロを習い、その後パソコンが世に出てからはパソコンでメールもできるようになりました。私も時々、電話でパソコンの操作でわからないことなどを教えていました。
親戚の伯父様の中でも、技術者の雰囲気がでていらっしゃって、文系の私にはとても興味深いエピソードをお持ちでした。

そのようなおつきあいをして伯父様が90歳代になったとき、体調を崩されて入退院を繰り返すことが多くなりました。その時も病床にお見舞いに出かけたりして、伯父様との時間を過ごしました。
そんな病床でのあるとき、今まで聞いたことがなかった話題になりました。それは伯父様の子供の頃からの経験でした。そのお話を聞いたとき、私は「自分の身近に歴史の生き証人がいた」ということがわかり、日本の現代史が身近に感じられるようになりました。

伯父様から伺ったお話は3つ。
関東大震災で焼け出されたときの様子。
226事件の時、内務省の建物の中で働いており、窓から反乱軍の様子を見ていたこと。
東京大空襲の夜の出来事。

この3つの大事件を生き抜いていたと言うことを知って、驚きと畏敬の念が湧いてきました。
技師として働いていた間も決して順風満帆ではなかったと言うことは後で叔母様から伺いました。
いろいろなご苦労があったのでしょうが、私のような若い者とのおつきあいも苦にせず、新しいことに挑戦していた伯父様。
2009年5月、旅立ってしまいました。最後にお見舞いに行ったとき、もう最期であるとわかっていたので、私は「ありがとうございました」と感謝の念を伝えて来ました。

お話を伺いたいのに、もうできない。人間には寿命があります。もっと身近な年長者のお話を聞くのは、今しかないのだと気がつかされました。
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