数年前、香川県議時代の白川よう子さんと統一教会問題で連絡をとったことがありました。その白川さん(写真左)の対談記事が『岡山民報』2025年新春特別号に載っていました。白川さんは日本共産党参院選挙比例予定候補です(対談相手は大平よしのぶ元衆院議員)。
大平:あけましておめでとうございます。今年夏の参議院選挙で日本共産党は、比例4から5への議席増、選挙区3議席(東京、埼玉、京都)の絶対確保と議席増をめざします。昨年発表された比例5候補のうち、中国、四国、九州・沖縄の17県を活動地域とするのが白川よう子さんです。中国地方の皆さんにとって「初めまして」という方も少なくないかと思います。
白川:新年おめでとうございます。白川よう子です。私は徳島県に生まれ、幼少の頃から阿波踊りに親しんで育ちました。徳島健康生活協同組合に就職し、結婚で香川に移り、主に民医連の診療所に勤めました。
1988年の参院選で、香川選挙区からの立候補要請を受けましたが、その時は子どもが小さくて、一度はお断りしたんですね。
当時「しんぶん赤旗」の日米ガイドライン改定の記事を読んで、子どもを一生懸命育てるのは親としての責任だけど、それだけではなくて、自分に何かできることがあるなら、選挙に出て頑張ってみることが戦争への道を止めることになるのでは……という思いで立候補を決意したんです。
この参院選は日本共産党が一番躍進した選挙で、香川選挙区でも10万票近い得票でした。
その後2003年の地方選挙で香川県議会議員に初当選。4期目途中の17年に衆院比例候補に転任して四国4県を駆け回ってきました。
大平:白川さんは香川県議として県民要求実現に奔走し、県議を辞めるときには県職員から残念がられたという話も聞きました。
白川:1期目で、初めての一般質問が子ども医療費の無料化でした。当時、無料化は5歳まで窓口での立て替え払いだったんです。受付でいったん医療費を支払い、月末にまた来てもらって書類を市役所に申請すれば数カ月後に戻ってくる。お父さんお母さんから、窓口で払わなくてもいい無料化をやってほしいという声がすごく多くて。制度のおかしさを繰り返し県議会で追及しました。
当時は共産党の県議は私一人だったこともあり、私の質問にヤジが飛ぶんですよね。でもヤジを飛ばした議員とエレベーターで乗り合わせると、「白川さん、あれなあ、わしもそう思うんだわ」「娘から、何で建て替えなあかんのて言われる」と言われました。県議会で繰り返し追及する中で、無料化の年齢が徐々に引き上がり、現物給付ということになったんです。住民のみなさんと力を合わせた、大きな運動の成果だったと思います。今や香川県でも全ての自治体で18歳まで無料です。みんなの声で運動してこそ政治って動いていくんだと痛感しました。
もう一つ心に残っているのが、2人の子どもを連れて夫のDVから逃れてきた方が県営住宅に入居され、いろいろな生活の相談に乗ったりしていたんですけど、何回か訪問を繰り返していたら、ある時から家に上げてくれなくなったんです。そしてある冬の寒い日の朝、「お母さんが息をしていない」と子どもから連絡があり、駆けつけた時にはもう亡くなっていて、久しぶりに入った室内は足の踏み場もないような状態で。「もっと踏み込んでいれば救えたかもしれない」という後悔でいっぱいになりました。
幸い、子どもたちには里親さんが見つかり、引き取られることになりましたが、急に母親が亡くなった状態を子どもたちは受け入れられません。子どもたちと一緒に家の片付けをしました。毎日、私が福祉施設から子どもを家に連れて行き、何日もかけてゴミの山を整理する中で子どもたちもお母さんの死を何となく受け止められてきたように思います。その間、その子を連れて県議会に行ったりしたんです。そうしたら「白川さんの仕事ってどんな仕事?」って聞いてきて、いろいろ話をする中で、子どもなりに何となく理解してくれて、最後別れる時に「大きくなったら白川さんのような仕事をしたい」っていってくれて、本当にうれしくて。
人としての幸せや、幸せをつくる環境というのは、私たち自身がつくっていかんと、子どもたちだけではどうすることもできない。政治や議員の役割はすごく重要なんだと思いました。政治だけじゃなくて、地域のつながりや、支えてくれる人の存在、一人ひとりの子どもの成長に目を向けていく、人間としての役割みたいなところも感じて、強い印象が残っています。
大平:白川さんは「後悔」という表現を使われましたが、問題の解決へ政治を変えることとともに、目の前の困っている人、苦しんでいる人に徹底して寄り添ってこられた方なんだということがよくわかり、とても感動しました。
(次号後半へ続く)
大平:あけましておめでとうございます。今年夏の参議院選挙で日本共産党は、比例4から5への議席増、選挙区3議席(東京、埼玉、京都)の絶対確保と議席増をめざします。昨年発表された比例5候補のうち、中国、四国、九州・沖縄の17県を活動地域とするのが白川よう子さんです。中国地方の皆さんにとって「初めまして」という方も少なくないかと思います。
白川:新年おめでとうございます。白川よう子です。私は徳島県に生まれ、幼少の頃から阿波踊りに親しんで育ちました。徳島健康生活協同組合に就職し、結婚で香川に移り、主に民医連の診療所に勤めました。
1988年の参院選で、香川選挙区からの立候補要請を受けましたが、その時は子どもが小さくて、一度はお断りしたんですね。
当時「しんぶん赤旗」の日米ガイドライン改定の記事を読んで、子どもを一生懸命育てるのは親としての責任だけど、それだけではなくて、自分に何かできることがあるなら、選挙に出て頑張ってみることが戦争への道を止めることになるのでは……という思いで立候補を決意したんです。
この参院選は日本共産党が一番躍進した選挙で、香川選挙区でも10万票近い得票でした。
その後2003年の地方選挙で香川県議会議員に初当選。4期目途中の17年に衆院比例候補に転任して四国4県を駆け回ってきました。
大平:白川さんは香川県議として県民要求実現に奔走し、県議を辞めるときには県職員から残念がられたという話も聞きました。
白川:1期目で、初めての一般質問が子ども医療費の無料化でした。当時、無料化は5歳まで窓口での立て替え払いだったんです。受付でいったん医療費を支払い、月末にまた来てもらって書類を市役所に申請すれば数カ月後に戻ってくる。お父さんお母さんから、窓口で払わなくてもいい無料化をやってほしいという声がすごく多くて。制度のおかしさを繰り返し県議会で追及しました。
当時は共産党の県議は私一人だったこともあり、私の質問にヤジが飛ぶんですよね。でもヤジを飛ばした議員とエレベーターで乗り合わせると、「白川さん、あれなあ、わしもそう思うんだわ」「娘から、何で建て替えなあかんのて言われる」と言われました。県議会で繰り返し追及する中で、無料化の年齢が徐々に引き上がり、現物給付ということになったんです。住民のみなさんと力を合わせた、大きな運動の成果だったと思います。今や香川県でも全ての自治体で18歳まで無料です。みんなの声で運動してこそ政治って動いていくんだと痛感しました。
もう一つ心に残っているのが、2人の子どもを連れて夫のDVから逃れてきた方が県営住宅に入居され、いろいろな生活の相談に乗ったりしていたんですけど、何回か訪問を繰り返していたら、ある時から家に上げてくれなくなったんです。そしてある冬の寒い日の朝、「お母さんが息をしていない」と子どもから連絡があり、駆けつけた時にはもう亡くなっていて、久しぶりに入った室内は足の踏み場もないような状態で。「もっと踏み込んでいれば救えたかもしれない」という後悔でいっぱいになりました。
幸い、子どもたちには里親さんが見つかり、引き取られることになりましたが、急に母親が亡くなった状態を子どもたちは受け入れられません。子どもたちと一緒に家の片付けをしました。毎日、私が福祉施設から子どもを家に連れて行き、何日もかけてゴミの山を整理する中で子どもたちもお母さんの死を何となく受け止められてきたように思います。その間、その子を連れて県議会に行ったりしたんです。そうしたら「白川さんの仕事ってどんな仕事?」って聞いてきて、いろいろ話をする中で、子どもなりに何となく理解してくれて、最後別れる時に「大きくなったら白川さんのような仕事をしたい」っていってくれて、本当にうれしくて。
人としての幸せや、幸せをつくる環境というのは、私たち自身がつくっていかんと、子どもたちだけではどうすることもできない。政治や議員の役割はすごく重要なんだと思いました。政治だけじゃなくて、地域のつながりや、支えてくれる人の存在、一人ひとりの子どもの成長に目を向けていく、人間としての役割みたいなところも感じて、強い印象が残っています。
大平:白川さんは「後悔」という表現を使われましたが、問題の解決へ政治を変えることとともに、目の前の困っている人、苦しんでいる人に徹底して寄り添ってこられた方なんだということがよくわかり、とても感動しました。
(次号後半へ続く)
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