楢篠賢司の『人間とは』

人間とは何かを研究しています。現在は経済学を自分のものにしたいと目下勉強中です。

貨幣社会における貧富の差 Ⅳ

2016-03-28 04:44:38 | Weblog
 前回からの続き
 人はすべて同じ立ち位置であるはずだ。それが貨幣の蓄蔵量から上下関係つまり貧と富という関係が当たり前の社会でもあるかのような刷り込みを行われているのが現在の社会だと言える。

 私は現在の社会が間違っていると思うし、過去の、例えば一万数千年間続いた日本の縄文時代の人々の生き方、精神性が本来の人間の姿であり生き方ではなかったのかと考えている。ただその時代の生き方を現在の社会にもって来ることだということではない。あくまでも生き方の本質であり、方向性だということ。
そこで問題としているのは貨幣が幅を利かせている社会に対し貨幣の蓄蔵こそが問題なのであり。それを是正すれば人々の生き方を変えることができるということを私なりに考えていることになるのだが。

 貨幣が安定して発行できるようになると、商売だけでなく賃金の支払いも現物ではなく硬貨が使われるようになります。ローマ帝国やアケメネス朝ペルシアなど、古代の大帝国でもこの方法が採られていました。交易都市では両替商や銀行も現れ、紀元前のうちにこういった金融業が生まれています。 歴史の授業でおなじみの所から引用

 余談になるが
 例えば自爆テロという行為、その下となっているものは貧困からきていると考えている。社会に対し不満を持っている何も知らない若者達を宗教を通じて救えるという考え、それを創り出したところから始まっている。日本人はそれをよく知っているはずだ、戦時中特攻隊という国のために自己の身を犠牲にするという宗教観が創り出され、多くの若者が死後靖国神社に祀られるという希望だけを心に描き、自爆テロと同じ行為に駆り出された。
それは日本を貧から救えるという考えがもとになっていると言える。アメリカという大国それは富者であり、日本という限られた資源しか持たない小国それは貧であり、そこには国と国の貧富の差が原因となっている。今、世界を観たとき工業的に発達した先進国と資源だけが頼りとなっている後進国、それがアラブ諸国だといえる。そこに宗教的に一つとなった人間社会を創ろうという呼びかけに貧しい若者たちがそれに引かれていく。