歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪石川九楊『中国書史』を読んで その1≫

2023-01-29 18:00:24 | 書道の歴史
≪石川九楊『中国書史』を読んで その1≫
(2023年1月29日投稿)
 

【はじめに】


 私は、以前のブログで、中国の書道史について、次に全集の内容を紹介したことがあった。
〇神田喜一郎ほか編『書道全集』(平凡社刊、1965年~1968年、中国篇、全15冊、別巻2冊、計17冊)
 この全集の各巻の巻頭論文である神田喜一郎氏の「中国書道史」は、後に神田喜一郎『中国書道史』(岩波書店、1985年)に再録されて出版された。
 神田氏の捉え方は、歴史家らしく、中国史にそって書道史を概観するものであった。
 ところが、今回のブログから紹介する石川九楊氏の次の書籍は、捉え方がまったく異なる。
〇石川九楊『中国書史』京都大学出版会、1996年
 石川九楊氏は、書家らしく、書そのものの歴史的変遷を精緻に辿っている。
 その基本的な理解は次の点にある。
・書は「筆蝕」の芸術
・「書史は、文字に発し、字画を書くことへと転位した筆触以前に発し、筆触を発見し、ついに筆蝕を発見し、さらにその筆蝕を筆蝕として組織し、構築しつづけてきた歴史である。その過程と力動(ダイナミズム)を明らかにすることこそが書史である」(8頁)
 
 ただ、石川九楊氏の文章は難しく、目次を見てもわかるように、内容は多岐にわたり、要約しにくいものである。私の関心にそって、以下、紹介してみたいと思う。




【石川九楊『中国書史』はこちらから】

中国書史



〇石川九楊『中国書史』京都大学出版会、1996年

本書の目次は次のようになっている。
【目次】
総論

序章  書的表出の美的構造――筆蝕の美学
一、書は逆数なり――書とはどういう芸術か
二、筆蝕を読み解く――書史とは何か
第1章 書史の前提――文字の時代(書的表出の史的構造(一))
 一、甲骨文――天からの文字
 二、殷周金文――言葉への回路
 三、列国正書体金文――天への文字
 四、篆書――初代政治文字
 五、隷書――地の文字、文明の文字
第2章 書史の原像――筆触から筆蝕へ(書的表出の史的構造(二))
 一、草書――地の果ての文字
 二、六朝石刻楷書――草書体の正体化戦術
 三、初唐代楷書――筆蝕という典型の確立
 四、雑体書――閉塞下での畸型
 五、狂草――筆蝕は発狂する
 六、顔真卿――楷書という名の草書
 七、蘇軾――隠れ古法主義者
 八、黄庭堅――三折法草書の成立
第3章 書史の展開――筆蝕の新地平(書的表出の史的構造(三))
 一、祝允明・徐渭――角度の深化
 二、明末連綿体――立ち上がる角度世界
 三、朱耷・金農――無限折法の成立
 四、鄧石如・趙之謙――党派の成立
 五、まとめ――擬古的結語

本論
第1章  天がもたらす造形――甲骨文の世界
第2章  列国の国家正書体創出運動――正書体金文論
第3章  象徴性の喪失と字画の誕生――金文・篆書論
第4章  波磔、内なる筆触の発見――隷書論
第5章  石への挑戦――「簡隷」と「八分」
第6章  紙の出現で、書はどう変わったのか――<刻蝕>と<筆蝕>
第7章  書の七五0年――王羲之の「喪乱帖」から「李白憶旧遊詩巻」まで
第8章  双頭の怪獣――王羲之の「蘭亭叙」(前編)
第9章  双頭の怪獣――王羲之の「蘭亭叙」(中編)
第10章 双頭の怪獣――王羲之の「蘭亭叙」(後編)
第11章 アルカイックであるということ――王羲之「十七帖」考
第12章 刻字の虚像――「龍門造像記」
第13章 碑碣拓本の美学――鄭道昭の魅力について
第14章 やはり、風蝕の美――鄭道昭「鄭羲下碑」
第15章 紙文字の麗姿――智永「真草千字文」
第16章 二折法と三折法の皮膜――虞世南「孔子廟堂碑」
第17章 尖塔をそびえ立たせて――欧陽詢「九成宮醴泉銘」
第18章 <紙碑>――褚遂良「雁塔聖教序」
第19章 毛筆頌歌――唐太宗「晋祠銘」「温泉銘」
第20章 巨大なる反動――孫過庭「書譜」
第21章 文体=書体の嚆矢――張旭「古詩四帖」
第22章 歓喜の大合唱・大合奏――懐素「自叙帖」
第23章 口語体楷書の誕生――顔真卿「多宝塔碑」
第24章 <無力>と<強力>の間――蘇軾「黄州寒食詩巻」
第25章 書の革命――黄庭堅「松風閣詩巻」
第26章 粘土のような世界を掘り進む――黄庭堅「李白憶旧遊詩巻」
第27章 過剰なる「角度」――米芾「蜀素帖」
第28章 紙・筆・墨の自立という野望――宋徽宗「夏日詩」
第29章 仮面の書――趙孟頫「仇鍔墓碑銘稿」
第30章 「角度筆蝕」の成立――祝允明「大字赤壁賦」
第31章 夢追いの書――文徴明「行書詩巻」
第32章 書という戦場――徐渭「美人解詞」
第33章 レトリックが露岩――董其昌「行草書巻」
第34章 自己求心の書――張瑞図「飲中八仙歌」
第35章 媚態の書――王鐸「行書五律五首巻」
第36章 無限折法の兆候―朱耷「臨河叙」
第37章 刀を呑み込んだ筆――金農「横披題昔邪之廬壁上」
第38章 身構える書――鄭燮「懐素自叙帖」
第39章 貴族の毬つき歌――劉墉「裴行検佚事」
第40章 方寸の紙――鄧石如「篆書白氏草堂記六屏」
第41章 のびやかな碑学派の秘密――何紹基「行草山谷題跋語四屏」
第42章 碑学の終焉――趙之謙「氾勝之書」
第43章 現代篆刻の表出
第44章 境界の越境――呉昌碩の表現
第45章 斬り裂く鮮やかさ――斉白石の表現

結論
第1章 中国史の時代区分への一考察
第2章 日本書史小論――傾度(かたむき)の美学
第3章 二重言語国家・日本――日本語の精神構造への一考察




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


〇序章  書的表出の美的構造――筆蝕の美学
・書は「筆蝕」の芸術







序章  書的表出の美的構造――筆蝕の美学


書は「筆蝕」の芸術


石川九楊氏によれば、書は「筆蝕」の芸術である。
書の中心部に「筆蝕」という言葉を嵌め込めれば、書というものの構造は鮮明になり、書は近代批評に耐える水準で、その姿をまざまざと曝すことになる、と石川氏は考えている。

書は「線の美」という理解がされてきた。しかし、書の本質に迫ろうと理解する場合、筆蝕に従って思考することを提唱している。筆蝕とは、筆尖と紙(対象)との接触と抵抗と摩擦と離脱の劇(ドラマ)であり、書字の微粒子的律動を指す。その筆蝕が、筆法や筆意、筆勢、筆力、筆致、筆鋒、筆触を生み、統括すると、石川氏は捉えている。
この筆蝕によって、書と文学は架橋されているそうだ。それゆえ、書は「線の美」と呼ぶべきできはなく、「筆蝕の美」ととらえるべきであると主張している。

清朝の書論家・笪重光の「書は逆数なり」の言は、名言である。「逆数」は「逆理」もしくは「逆説」と言い換えられるとし、「書つまり筆蝕は逆説なり」という、書と文学の根幹を言いあてているという。文体(スタイル)とは表から見られた筆蝕つまり逆説であり、書つまり書体(スタイル)とは裏側から見られた筆蝕つまり逆説であると説明している。
この意味で、筆蝕は文学と書の本源であり、詩や文や書と呼ぶものは、逆説たる筆蝕がそれ自体の存在や構造を明証せんとする運動であるとみている。

ところで、音写文字しか知らない西欧文学理論では、とうてい解けえない事態が、東アジアの文学には登場する。一例を挙げれば、他人の詩句を書くという書の作法がある。たとえば、黄庭堅の揮毫した「李白憶旧遊詩巻」は、西欧では、単なる李白の詩であるか、あるいは李白の詩を黄庭堅が絵画的に造形(デザイン)したものとしか考えられない。

しかし、東アジア漢字文化圏においては、「李白憶旧遊詩巻」そのものが黄庭堅の詩そのものであるという構造に、書と文学の関係は存在する、と石川氏は考えている。
肉化した逆説である筆蝕こそが、文体(スタイル)であり思想であるとすれば、筆蝕を書体(スタイル)=書として定着するという方法で文学を成立させ、それを享受するという、西欧では理解しがたい文学構造が成立しつづけてきたと説く。言ってみれば、陽の文学として詩、陰の文字として書、双方併せて文学である。

書と詩が陰陽対である関係は、山中の岩肌に巨大な文字を刻った摩崖書をもつ、中国の「刻る」歴史からくるようだ。中国では、書が石を刻る「刻蝕」の歴史が存在した。
筆は鑿(のみ)であり、紙は石であり、墨は刻り跡の陰翳であり、筆蝕は刻蝕であった。書くことは掻くことを背後に忍ばせ、その二重性で表出されるがゆえに、「書は筆蝕の芸術」であり、書=文学は東アジア文化圏の表現の中央を歩んでいる、と石川氏は考えている。

石川氏にとって、書史というのは、筆蝕史を解く試みということになる。
書史とは、従来のように、書=作品を並べ、その成立の事情や作者の事情を羅列するというのでは不十分であり、書という作品、否、書という筆蝕を根柢的に解き明かさねばならないとする。

従来の書史は、書を作者や時代の産物としてとらえ、または書を一種の考古資料や文献資料として扱ってきたと批判している。石川氏の書史は、我々の眼前に存在する書の作品から出発する。書字の墨跡(すみあと)は、筆蝕を通して、生き生きと、筆尖と紙(対象)の接触状況(その速度、深度、力の態様、さらには角度や距離)までも再現してくれる。
たとえば、蘇軾の筆蹟は、蘇軾が生きて、今まさに書字している筆蝕の現場であるがゆえに、筆蝕の彼方に生々しく蘇軾がよみがえり、時代がよみがえる可能性をもつという構造にあると、石川氏は捉えている。
つまり、筆蝕を通して、書の美を解読することは、書き手たる人間を眼前によみがえらせるがゆえに、歴史解読の方法となるというのである。

石川氏は、書史を次のように定義している。
「書史は、文字に発し、字画を書くことへと転位した筆触以前に発し、筆触を発見し、ついに筆蝕を発見し、さらにその筆蝕を筆蝕として組織し、構築しつづけてきた歴史である。その過程と力動(ダイナミズム)を明らかにすることこそが書史である」(8頁)
※注意~石川氏は、「筆触」と「筆蝕」を区別し、使い分けている。

中国書史の大枠として、次のように記している。殷周代の古代宗教国家においては、神官たちによって文字が書かれていた。だが、秦代以降は高級官僚の手によって字画が、また漢魏六朝からは言葉とみなされる筆触が、そして、初唐代の筆触から筆蝕への価値転換を経て、宋代以降、現在に至るまでは、決して文字ではなく、筆蝕が書かれているにすぎないとみている。

書史上の最大の謎は、文字はなぜ生まれたかということである。
第二の謎は、秦代を経て、漢代になぜ草書体という省略体が生まれたかということである。そしてそれは、形状としては、もはや書かれていない(かのごとくに見える)けれども、筆触の中に、書き込まれているという関係の成立、つまり筆触の誕生がそれを可能にしたという点から解けるという。
そして現在までのところで明らかになったことは、筆触は刻蝕を呑み込んで筆蝕と化し、その筆蝕は、速度と深度すなわち時間と空間の交点にあって、その速度と深度の劇(ドラマ)という美を生み出す力であるということであるとする。

繰り返しになるが、まとめておこう。
言葉は文字を生み、逆に文字を核に言葉が呼び集められ、宇宙化するという転倒を生んだ。また文字は字画を生み、字画は筆触を生み、筆触は筆蝕を生んだ。
その筆蝕は、時間たる速度を縦軸、空間たる深度を横軸とする交点である。書史を読み解くとは、したがって、筆蝕の速度と深度を読み解くことに他ならない。力の態様をもたらす源泉が角度である。それは筆蝕の射影といってもよいようだ。
筆蝕の角度は、発生的には、筆毫や筆管の角度、また横画が右に上がり、文字が角度をもつことによって、対象から離脱するという歴史過程に負っている。さらに表現された世界の現実世界への角度という、筆蝕の角度劇、つまり書の美を演出している。
書の美とは、この筆蝕の角度劇の別名である。書史の解読とは、この劇を解読しつつ、その劇法を明るみに出すことである。
(石川九楊『中国書史』京都大学出版会、1996年、5頁~8頁)



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