2009.4.23(木)
私の釣行記録に留めていない釣行記憶第11談を、記憶を辿って書き記しておく。
私はシーバス(スズキ、ハネ)狙いでの釣行は一度しかない。これは15年くらい前のことだが、この時は宇部市の遊漁新西さんにお世話になった。下松から釣友3人で出掛け、宇部の釣友2人と合流、計5人での船釣りだった。釣果はよく覚えていないが、シーバスを2~3本揚げたように思う。
今夜はその時のことでは無く、更に10年くらい遡った頃の釣行である。
釣友2人で真夏のカンカン照りの中、キス釣り釣行した時の話。釣り場は今も時々行く中電西の道路の波返しの下である。普段は波返しの下には滅多に降りないが、この時は引き潮だったのかも知れないし、潮が小さかったのかも知れない。
キス釣りは大正解で沢山釣れた。それよりも暑さに耐え切れず、2人で竿を出したまま、当時我々の溜まり場になっていた喫茶店に行く。喫茶店でアイスコーヒーを注文し、涼を取ってから再び釣り場に戻ったのであるが、立て掛けていた私の竿が見当たらない。良く見ると竿は倒れて岩場の間に挟まっているのだ。
竿を手に取りラインを巻いて見るとゴミを引っ張っているように重い。
この時はキス針ではなくカレイ針を使っていたが、針に掛かったキスをシーバスが食っていたのだ。これだけならば、引いている内にキスが口から抜け出る可能性があったのだが、この時はカレイ針3本仕掛けだったので、残りの2本の針がシーバスの身体に絡まっていた。都合3本の針でシーバスを絡め取ったようなものだ。
当時はまだシーバスと言う呼び方もしていなくて、スズキと呼んでいたが、このスズキを釣ったのも初めてだったので、釣った時は名前も定かではなかった。多分スズキだろうと思っていたが、帰宅して親に聞いてみるとやはりスズキだった。色んな釣り方があるものだ。
【4月23日過去の釣行記録】
・2005年笠戸本浦港、14:50~19:00、大潮、釣果=グチ6・アジ5・メバル6・アサリ
・2006年第2埠頭東側、06:50~16:30、若潮、釣果=カレイ爆釣26・キス2・タナゴ3
【この日の釣り情報】
・2005年新日鉄波止場、1日中、大潮、カレイ1
・2006年第2埠頭南端西側、9時まで、若潮、釣果=40cmチヌ2・35cmアイナメ1(この1ヶ月でアイナメ10本)
・2006年笠戸深浦港、朝方、若潮、釣果=木っ端ガレイ・アジ
・2006年笠戸寺崎、夜、若潮、釣果=メバル5・アジ2
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2009.4.22(水)
私の釣行記録に留めていない釣行記憶第10談を、記憶を辿って書き記しておく。
大物ヒラメ、計測すると83cmあった。
但し、これは私が釣ったんじゃありません。
この時の釣行は、釣友Bの義父さんの船で、笠戸島沖の、上、下コウズという岩島の周囲。メンバーは船長がBの義父さん、B、N、もう一人が肝心の釣った本人で大工のGさん、それに私の計5人である。
確か12月初めの頃で、穏やかな天気で寒くは無かったと思う。本命はヤズ狙いだったが、この日は全く釣れない。終盤、みんな飽きてきて、大工のGさんなどは酒に酔ってデッキの上でごろ寝である。しかしGさん、足を船縁から出して足の親指に道糸を括り付けていた。餌は活きアジを鼻掛けしての泳がせ釣りであるが、アジの動きが変だったといきなりむっくりと起き上がった。
最初はただ重いだけで、ゴミか何かが掛ったと言って、ゆっくりと道糸を引き上げていた。水深は20~30mだったか。途中からも引きは全く無くて、逆に軽くなってすいすい上がって来る様子だった。
ところが、姿が見えてきてみんな吃驚である。この時の光景は未だに忘れられない。兎に角でかいヒラメである。タモにも入りきらないので、2人掛かりで頭と尻尾を抱えて漸く船に揚げることが出来た。船のデッキに上げてからヒラメが大暴れ、身崩れがするがしょうがない。兎に角絞めようということになって、包丁を突き刺すが、これがまたなかなか絞まらない。何とか絞め終わってこの日の釣行はお終いとなった。
一旦それぞれが自宅に帰宅して、再びBの家にメンバーが集合した。Bの家族総出で調理したそうであるが、刺身に湯通し(しゃぶしゃぶ)など色々と楽しめたが、私の率直な感想としては、やはりデッキの上でばたつかせたせいか、身が柔らかくなっていたように思う。しかしそれでも興奮覚めやらず、味そのものよりも釣った時の話に花が咲いたのは言うまでも無いことだ。
『ヒラメ40』という成句があって、アタリがあってから合わせるまで40を数えるぐらいの間をおけという意味だが、ヒラメは餌に食いついて、飲み込むまでに時間が掛かる。最初のアタリの時は餌を銜えているだけだから、合わせても針掛かりしないのだ。針掛かりするのは餌を飲み込んでから竿先がグーっと引き込まれてからである。Gさんの場合、足の親指に道糸を括り付けていた訳だから、竿よりも敏感にアタリが感じ取れるはずである。酔って寝ていたのが幸いしたのだろうが、慌てず騒がず動ぜずといったところが全てマッチングしたようである。
みなさん、こんな釣り方もあるのですよ。諦めないことが寛容かと教わった釣行でした。
【4月22日過去の釣行記録】
・2006年第2埠頭東側、07:15~11:15、長潮、釣果=カレイ10・キス2
【この日の釣り情報】
・2006年庄の浦港、07:00~11:30、カレイ3・キス1
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2009.4.17(金)
私の釣行記録に留めていない釣行記憶第9談を、記憶を辿って書き記しておく。
今日はOBのIMさんが営業所へ来られた。久し振りに出会って、とても懐かしく感じた。久し振りと言っても、昨年は数度船釣りでご一緒しているのだが・・・。
そのIMさん、今年に入って既に3回くらい船で出ておられるそうだが、2週間前の土曜日、雨は降らないだろうと平群島沖に船で出られたそうだが、予想が外れてずぶ濡れになったそうで、その時引いた風邪が未だに尾を引いて病院通いしているとのこと。しかしこの時は、35~50cmのヒラアジを1人辺り20本揚げたそうである。羨ましいなあ。
私が初めて船釣りでアジを釣りに行ったのは、もう20年も前のこと。はっきりした場所は覚えていないが、確か伊予灘の2号ブイと呼ばれる辺りに行ったと思う。目の前には愛媛県の松山市が見えたはずだ。その時の遊漁船は良く知っているところなので、今度詳細を確かめてみようと思う。
この時が沖合いのアジ釣りの最初だったと記憶しているが、5~6人で行ったと思う。釣り方はサビキ釣り、50号のインナーの竿に50~60号の大きな籠を付け、電動リールでやったと思うが、初釣りというのは結構ビギナーズラックというものがあって、この時私は40~50cmのアジを20本程度揚げたと記憶している。その後も大分県の佐賀関辺りに何度も釣行したが、このサイズのアジにはお目に掛っていない。
昨年の5月17日に平群島沖で40cm超のアジを揚げたのが久し振りだった。暫く忘れていた大物アジの感触を取り戻すことが出来た。アジも30cmを越すと引きが十分に楽しめる。このサイズがサビキで一荷釣りとなると、重いのなんの、全部揚げることはなかなか困難となる。大抵1~2匹はばらしてしまう。
ああ、もう1年近く本格的アジ釣りをやっていないなあ。佐賀関のアジ釣りは船長がレーダを見て『水深何メートル、はい、降ろして~、はい、上げて~』の号令の元にやるのだから、釣堀に近い感覚、ハズレが少ないのでやっても面白い。地元でのアジ釣りは、号令無しで群れが来るのをじっくり待つ釣り。飽きも来るが、行きたくなって来たなあ。
【4月17日過去の釣行記録】
・2005年竹の浦漁港、08:40~17:15、小潮、釣果=カレイ1・キス4・アジ10・メバル1
【この日の釣り情報】
・2005年笠戸本浦、カレイ、チヌが良い
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2009.4.16(木)
私の釣行記録に留めていない釣行記憶第8談を、記憶を辿って書き記しておく。
今夜は雷雨の中の船釣り、本当に怖かった釣行でした。
これも12~3年前、船釣りの夜釣りでチヌをやりに行った時のこと。場所は笠戸湾の日立工場沖である。日立工場沖には絶好のチヌのポイントがあると言うことで、釣友Bの義父所有の船でB、Nの3人で出掛けた。
出港の頃は風も無く凪いでいたので、まずまずの釣り日和だと思っていたが、暗くなった頃から遠雷が聞こえていた。遠くの曇った空も雷光により時々明るく浮かび上がっていた。
確か20時頃だったと思うが、急に風が出てきて雨が落ち出した。『釣り師が暑いの、寒いの、雨の、など言ってちゃあ釣りにはならんめえ』と言うことで、雨天続行したが雨脚は激しくなるばかり。おまけに雷の音は凄まじいもので、頭の上で大音響がして身が竦む思いで生きた心地はしなかった。
この頃には3人とも船の操舵室に入り雷雨を避けていた。この時初めて雷が海に落ちるのを間直に見たような気がする。天から白い稲妻が、紐を垂らしたような線を描いて海に落ちてくるのだ。それも一瞬のことである。こりゃ幾らなんでも帰った方が賢明だと3人の意見が一致し、帰る準備に掛った。ところが、竿を持った時は何とも無かったのだが、竿尻を持った瞬間、感電したのだ。ビリッと来て痛みを覚えた。大したことは無かったが、それでも吃驚して思わず竿を放した。1度で放電したかと思ったが、竿を畳む間中ビリビリきていた。幸い、アンカーを下ろしていなかったので引き上げる作業が無くて助かった。
この時の恐怖は未だに記憶の底にある。狭い船の上では逃げ場が無いので、それこそまな板の上の鯉状態である。帰港した時の安堵感は人語に尽くせないものがあった。
その後も幾度か雷雨の釣行を体験したが、この時の恐怖に比べれば大したことはない。それでも雷はあまり気持ちの良いものではない。
【4月16日過去の釣行記録】
・2006年第2埠頭東側、07:20~17:30、中潮、釣果=カレイ爆釣21・アイナメ3
【この日の釣り情報】
・2006年第1埠頭南端西側、07:00~17:30、中潮、釣果=カレイ8・アイナメ1・キス2
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2009.4.15(水)
私の釣行記録に留めていない釣行記憶第7談を、記憶を辿って書き記しておく。
タイトルの通り、本当にカレイは番でいると言うことを初めて体験した時の話。
今から約30年前のこと。釣友TMと2人で笠戸島へ釣行した。地名(字名)は良く解らないが、当時は養殖筏が目の前にあった。後ろはコンクリート塀、その下には敷石が海岸線に沿って敷いてあった。その敷石の上から竿を出した。現在は当時とは変わっていると思う。というのは、その後、進入禁止となっていてその場所で釣行していないのだ。
TMが連れて行ってくれた場所だが、彼もここで釣るのは初めてのようだった。この釣行時には、敷石と海面との差が10cmくらいしかなかったので、ほぼ満潮時だったのかも知れない。お互いに短い竿を2本づつ抱えて、何故か声高に話すことを抑制されて敷石の上を歩いた覚えがある。
暫く歩いて釣り場に着くと、敷石の上にしゃがみ込んでのサーフである。敷石の幅は1m足らずで、真後ろが塀なのでテイクバックは取れない。それこそちょい投げである。狙うポイントはやはり養殖筏の近辺である。餌が流れ出る筏の周りにはきっとカレイが集まっているに違いないという読みである。
実はこの読みが的中して、私が10mくらいの所へ投げていた竿が、いきなり引き摺られたのである。もう少しで竿が海に落ちるところだった。巻き上げてみても、不思議と抵抗はあまり無く、何だがゴミか雑巾を引っ張ってくるような感じだった。ところが、姿が見える頃になって暴れ始めたのである。この時はTMがタモを持ってきていたので、難なく取り込むことが出来た。何と未だに破ることが出来ない42.5cmのマコガレイだった。
私がタモを手繰り寄せるや否や、TMは直ぐに私が投げていたポイントを聞いて、そこに仕掛けを投入したのだ。すると5分もするとほぼ同じサイズ(私のより少し小さかった。40cm弱か)のカレイをゲットしたのだ。カレイは番で居るというのを、この時初めて体験したのである。3度同じポイントに投げたが、3枚目は釣れなかったから。
このカレイは帰宅するや否や、刺身になったことは言うまでも無いことだ。
【4月15日過去の釣行記録】
・1999年2号ブイ、船釣り、07:00~16:00、釣果=3人でアジ50
【この日の釣り情報】
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2009.4.14(火)
私の釣行記録に留めていない釣行記憶第6談を、記憶を辿って書き記しておく。
まだ長女がよちよち歩きの頃だったから20年くらい前のこと。
家族3人でピクニックがてら笠戸島に行き、本浦港からその先の寺崎に出た。勿論、サーフ竿と餌は持参していた。寺崎はこの当時からアイナメ釣りが有名な場所だった。岸壁は今のようにしっかりしたものでは無く、コンクリートも剥がれ掛った古びたものだった。
おそらく潮が引いていたのだろうが、海岸にはごろた石が出ていた。沖の方までごろた石が続いていたので、一度サーフすると後は置き竿にしておかなくては駄目である。ラインを巻こうものなら直ぐに根掛かりしてしまうからだ。
この時は、時間的には30分もやっていなかったと思うが、直ぐにアイナメがきた。チヌのように良い引きなのでアイナメと直ぐに解った。ところが、足元近くまで寄せて、さあ取り込もうとした時に針が外れてしまったのである。岸壁との高低差は1mくらいのものだったが、ごろた石が出ているとはいえ、水も残っていたので外れたアイナメはバシャバシャと泳ぎ去って行った。結構大きかったので、ついていくようだった。逃した魚は大きいと言うけれども、姿を見ているだけにまさしくその通りであった。タモの用意もしていなかったのも敗因だった。
逃した魚は数多くあるけれど、この時のことは何故かずっと頭に残っている。
【4月14日過去の釣行記録】
・2007年第2埠頭東側、05:05~13:00、中潮、釣果=カレイ1・キス1・タコ1
・2007年櫛ヶ浜港防波堤、18:45~01:00、中潮、釣果=メバル21
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2009.4.13(月)
私の釣行記録に留めていない釣行記憶第5談を、記憶を辿って書き記しておく。
私が親に初めて竿を買って貰ったのは投げ竿だった。これは小学校の4~5年生の頃だと記憶している。従って、海釣りの初体験がこの頃ということになる。
私は買って貰ったばかりの竿を持って直ぐに海に行った、と思う。場所は徳山競艇場前の居守海岸である。現在は海岸線も整備されているが、当時は道路から海岸にはすぐに出られたと思う。ここら辺りの記憶は殆ど無い。何故、居守海岸まで行ったのかはよく覚えていないが、おそらく近所の友人たちと一緒に行ったのだと思う・・・。ただ、この時の釣行で、安定の悪いゴロタ石の上からサーフした記憶が微かに残っている。
この時がサーフデビューだったので、キャスティングも上手く出来るはずも無い。最初はサーフしても指を外すタイミングが難しい。周りには人が居なかったと思うのでキャスティングの練習である。何度か投げ直してやっと正面に飛んだと思う。
私の記憶に残っているのは、最初のこのサーフでチヌを釣ったことである。チヌといってもメイタ級の小さいやつであるが、初めての海釣りで本人としては初の大物である。今までは川でハヤやフナを釣っていたのだから、メイタとは言え大物には違いない。喜び勇んですぐさま取って返した覚えがある。帰宅してみると誰もおらず、冷蔵庫に入れて家族が帰って来るのを待っていたのを覚えている。この時はこの魚の名前すら知らず、父親に教えて貰ったのである。
小学校時代のこの後の釣行記憶は殆ど無い。海釣りをやりだしてからは川釣りはまずやっていないと思う。海釣りもやっていない訳では無く、はっきりした記憶が無いだけである。
【4月13日過去の釣行記録】
・この日の釣行記録はありません
【この日の釣り情報】
・2006年第1埠頭東端港前、夜、大潮、釣果=2人でメバル12
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2009.4.12(日)
私の釣行記録に留めていない釣行記憶第4談を、記憶を辿って書き記しておく。
今夜は私の釣り初体験のことを書いておく。
我が家の前を通る県道、これは開通当時は国道2号線だった。私が初めて釣りをしたのがこの国道が出来た直後だったので、小学校に上がった頃のことである。つまり6~7歳の頃かと推測できる。
国道がどうして釣りと関係あるのかと言うと、近くの末武川に架かる当時の末武橋の上から釣っていたからだ。この橋は木で出来ていて、橋の上には赤土が敷き詰めてあった。勿論、車は通行できない人道だったが、手摺も欄干も無い危なっかしい橋だった。今にして思えば半分くらい崩れていたような橋だったと思う。国道が出来て現在の末武大橋が架かると、間もなく取り壊されたと思う。
当時我が家にあった竿を持ち出して、今にも崩れそうな橋の上からハヤを釣っていた。竿は竹を削ったような細い粗末な竿から立派な継ぎ竿も数本あった。曽祖父が投網を使っていたらしく、投網は勿論、竿も幾本もあったようだ。
私が使用できたのは、言わずもがなであるが、粗末な竹竿である。
釣り糸と仕掛けだけを買ってもらい、竹竿の先っぽに釣り糸を括り付けて橋の上から釣るのである。餌は庭や畑を掘り返すとミミズが幾らでも捕れた。時にはご飯粒や酒粕を団子にして針に付けた。これで10cm前後のハヤが良く釣れたのを覚えている。
釣り終わると、釣り糸を竹竿にくるくると巻き付けて、最後に釣り針を竹竿に食い込ませて納竿である。
但し、ハヤは釣るだけで食べた記憶は無い。生かして持ち帰り、木のタライなどに入れて暫くは飼っていたようにも思う。
これが私の釣り事始めである。
のどかな田舎の風景だったと想い出す。
【4月12日過去の釣行記録】
・2008年中電西、06:20~16:40、小潮、釣果=カレイ2・アイナメ1・ナマコ1
【この日の釣り情報】
・2007年第2埠頭東側、05:10~09:00、長潮、釣果=カレイ3・キス1・アイナメ1
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2009.4.10(金)
私の釣行記録に留めていない釣行記憶第3談を、記憶を辿って書き記しておく。
私の船釣り初体験は、もう数十年も前のこと。多分、小学校の5~6年生か中学校の1年生の頃だと思う。私の叔母の嫁ぎ先が木船を持っておられたので、遊びに行った時に叔母の夫に乗せてもらって釣りをしたのが始めである。
場所は徳山市(現周南市)の大島大原で、今でもその家の近くでメバル狙いの夜釣りをしている。当時は現在のように護岸は無くて、叔母の家の前の道路を横切ると直ぐに海だった。今では道路も二車線で、波返しの護岸がずっと続いているが、当時は家の前は綺麗な砂浜だったように記憶している。
船はその砂浜に引き上げられていた。船を出す時には、丸太を船首の下から水際まで敷き、船を押し出すのだ。これは重労働だったが、船が海面に浮かんだ時には感動ものであった。勿論、船は木船で櫓で漕ぐのである。ある程度沖に出てからは、私にも櫓を漕がしてくれた。これがなかなか難しかったが割りと早く慣れた。でも時々、櫓を置くいぼのような所から櫓が外れてしまう。しかしこれは良い体験だったと今でも忘れられない。
この時の釣果の程は残念ながら覚えていないが、その後も何度か船に乗せてもらっている。良く覚えているのは、ナマコ獲りである。底がガラス張りの四角い箱を海面に浮かべて、海底を覗いて見るのであるが、片手にはカン突きと言ったかなあ、竹竿の先にナマコを突き刺すための矢を付けた竿を持っていなければならないのだ。結構長い竿なので、船が潮に乗って流されると波の抵抗の方が強くてその竿が浮き上がってしまう。小学生頃の腕力ではどうしても波の抵抗力には敵わなかった。
今のように海は全く汚れていなかったので、海底はくっきりと見えてとても綺麗だった。最初はナマコがどれだかよく解らなかったが、おじが海底のナマコを指して、これがナマコだと船上から教えてもらって初めて解った。その時はウンチみたいだと本当にそう思った。綺麗な砂の上にウンチがごろんと横たわっているように見えたものだ。この時にはナマコが大漁だっと記憶している。まだナマコなど好きで食べられる年頃ではなかったので、嫌々持って帰った記憶がある。
そのおじも30年近く前に若くして他界している。
【4月10日過去の釣行記録】
・この日の釣行記録はありません
【この日の釣り情報】
・2007年櫛ヶ浜港防波堤、小潮、釣果=メバル6(18~23cm)リリース10
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2009.4.9(木)
私の釣行記録に留めていない釣行記憶第2談を、記憶を辿って書き記しておく。
今夜は14~5年くらい前の釣行で、大島大橋下周辺での石鯛釣りを記しておこう。
大島大橋というのは山口県の大島郡屋代島と柳井市大畠を結ぶ大橋(国道437号線)である。大畠港からは10分程度で着く。この橋の下は真鯛釣りが有名である。全国から多くのアングラーたちがやって来て、大物の真鯛を良く揚げている。
私の知り合いの女性のお兄さんが、大畠で遊魚をやっているということをたまたま知り、彼女を通じて早速申し込んだ。狙いは石鯛釣りである。この石鯛釣りは非常に難しいらしく、ボウズで帰ることの方が多いかも知れないとのことだった。真鯛釣りも魅力的だが、そうと聞いては挑戦しない訳にはいかない。是非試してみようということになった。
この時は、宇部市の釣友2人も駆けつけて来て、計5人での釣行と相成った。朝が早いので我が家に前泊となったが、これがまた遅くまではしゃぐことになり、結局は睡眠不足となる。
寝ぼけ眼で早朝に大畠港に着き、早速出港である。天気晴朗で凪ぎだったと思う。船長はとても無口な人だったが、釣りを開始する前に丁寧なレクチャーを受けた覚えがある。しかし、釣果は5人全員ボウズだった。
この時の釣行での確かな記憶が2つある。
1つ目は、大橋のコンクリートの橋桁の脇で、セト貝の剥き身を刺し餌にして石鯛のアタリを待っていると、3mくらい離れた向かいの遊魚船の釣り客が、80cm級の真鯛を揚げた。それは見事な鯛で、鯛を向って頭の方から見ても20cm弱の厚みがあったように思う。これを見せられて、かなり戦意喪失したのを覚えている。やっぱり真鯛釣りが正解だったかと。
2つ目は、余りにも釣れないので、途中でハマチ釣りに切り替えた私に巨大なハマチがヒットした。ところが、船の傍まで寄せて取り込もうとした瞬間に切られて逃がしたことである。ハマチの元気が良過ぎて、船体の脇でも暴れまくり右へ左に走られている内に切られてしまった。内心、タモを持っていた者を恨んだものである。
石鯛釣りは、この時が最初で最後である。釣るのが難しいというよりも、アタリが全く無かったので結局何をしたのか解らない内に終わってしまったような感じだった。その後、釣友たちも2度と石鯛釣りのことは話題に上らせなかった。
【4月9日過去の釣行記録】
・1997年大分県佐賀関、07:00~16:00、関アジ、関サバ大漁
・2005年下松市新川港防波堤、14:15~17:45、大潮、釣果=メゴチ1
・2006年周南市大島大原、17:10~19:00、中潮、釣果=ボウズ
【この日の釣り情報】
・2006年下松市第1埠頭東側港寄、19:00~、中潮、釣果=メバル7
・2006年下松市笠戸本浦港、1日中、中潮、釣果=カレイ13・キス3・ナマコ2・アサリ10(潮干狩り)
・2006年下松市笠戸深浦、中潮、夕方、釣果=27cm級アジ
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2009.4.8(水)
今夜からは、私の釣行記録に留めていない釣行を、記憶を辿って書き記していこうと思う。
今夜は12年くらい前の萩沖での鯛釣りを記しておこう。
萩というのは勿論山口県の萩市のことである。日本海に面した萩の海岸線には大小さまざまな港がある。港の名前は忘れてしまったが、小さな漁港だったと思う。ここの船頭さんには5~6回はお世話になっている。
初めてこの港から出航した時は、確かイカ釣りだっと思う。この時は不覚をとってしまった。というのは、船釣りは日頃瀬戸内海ばかりだったので、日本海のうねりを経験したことが無かった。そのため完全に船酔いしてしまったのだ。でも一度戻したら直ぐに回復した。ここら辺は日頃鍛えた感覚である。
さて、鯛釣りであるが、港から1時間くらい沖へ出た場所だったと思う。やはりこの日も風があり少しうねっていたので、船首からパラシュート・アンカーを海面に流して船を安定させた。パラシュート・アンカーを実際に見たのもこの時が初めてだった。
仕掛けは胴付きに60cmくらいの棒浮きを付けて、いや下には籠を付けて撒き餌のエビを詰めたか、愛媛県辺りでいうところのフカセ釣りのイケイケ釣りに近いかも知れないが、あとは仕掛けを潮に乗せてどんどん沖へ流していくのである。数十メートルも流れて行き、突然、長い棒浮きがスポンと沈む。バラシも時々はあるが、この時には大抵マダイがヒットしている。この時には5~6枚のマダイを揚げたと記憶しているが、日本海でのマダイ釣りはこれ1回きりだったと思う。
この時は釣友4人での釣行だったと思うが、みんなそれぞれ同じくらいの釣果だったように思う。一つだけはっきり覚えていることがある。それは、1人だけ船の真下に仕掛けを下ろして釣っていたのだが、この釣友も私と変わらない釣果だったことだ。大袈裟な仕掛けを用意した割には釣果が変わらなかったのがショックでもあった。
【4月8日過去の釣行記録】
・2000年牛島、11:00~16:00、釣果=ボウズ
・2006年第2埠頭東側、05:30~14:00、若潮、釣果=カレイ6・アイナメ1
・2006年大島大原・居守、18:20~22:00、若潮、釣果=2人でメバル3・カサゴ3・アイナメ1
【この日の釣り情報】
・2006年第1埠頭南端西側、若潮、釣果=カレイ5・マダコ1・アイナメ1
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2007.12.27(木)
この時季になると漁りを思い出す。
漁りといえば、勿論冬場から春先にかけての夜のマイナス潮の時にやる。
『第31夜』にも少し書いたが、重装備で冬の夜の海岸を這いずり回るのだ。
獲物はサザエやアワビ、トコブシといったところ。終わった頃には疲労困憊の極致である。もう、20年も前のことだ。
昔は、夏場にサザエのいる海岸に行くと、足首くらいの水深の場所で大き目の岩を起こすと、拳大のサザエが群れになって転がっていた。大き目のポリバケツ一杯獲るのは訳も無いことだった。アワビも大きな岩の下を覗き込むと岩の奥の方へ、へばり付いていた。草鞋のようなビックなものも良く獲れたものだ。獲るのは簡単なのだが、簡単に獲れる場所ほど行き返りが大変なのだ。勿論徒歩である。
夏場に簡単に獲れなくなってから漁りを始めたというのが正直なところだ。
初めて行ったのは、知人の誘いで一緒に行ったのだが、この時に拳大のサザエが大漁だったために病み付きとなった。それ以降数年間は漁り通いした。終盤には、姫サザエしか獲れなくなったし、数もめっきり減ってしまったので次第に足が遠のいてしまった。
以前は無かった漁師の刺し網が入り出したのが原因でサザエの数が激減した。それに、本格的な装備をした密漁船が横行しだしたためだ。我々がやる漁りと言うのは、防寒着だけはしっかり着て、あとは自分の足で獲って歩くのだが、漁師のそれだと夜行性のサザエは皆網を登って行くのだ。大小見境なく取り込むので数はいなくなる。蜜漁船も少し沖に待機していて、数人のアクアラングを付けた潜水夫が海中を泳いでいた。真っ暗闇の海中でライトの光だけがうごめくのでそれと良く解った。
私と一緒に行っていた知人は、今でもやってらっしゃるのだろうか。あれから随分お歳も召されたと思うが。
そう言えば、私の釣行時にはギャラリーに徹しておられる与太どんも何度か一緒に漁りに行ったなあ。今や、お互いに漁りに行くような体力はないだろうが。
2007.1.17
めばる君のコメントで思い出した。
冬の大潮の夜の干潮時はマイナス潮になります。何時もよりかなり潮が引くので、普段は歩いて行かれない岩場まで辿り着くことが出来る。
20年くらい前の事ですが、当時は釣りよりも漁りに凝っていました。
初めて真夜中の漁りに行ったのは、私の知り合いに誘われて笠戸島のとある岩場に嫌々行ったのですが、その時に拳大のサザエや草鞋のようなアワビ、それにトコブシなどがバケツ一杯に獲れたのです。これで病みつきになりました。
服装がこれまた凄い。当時は暖冬などなくて真冬の真夜中はすこぶる寒い。カイロを装填し、しっかり着込んだ上に雨合羽を着る。風をシャットアウトするために合羽の袖口は手に嵌めたゴム手袋と、そして合羽のズボンの裾は礒靴とをガムテープでぐるぐる巻きにして留める。ゴム手袋の上には軍手を嵌める。頭からは、デストロイヤー、ミル・マスカラスのように毛糸製だがマスクを被り、ヘッドライトを付ける。背中には登山用の大きなリュックを背負い、バケツを入れる。バケツの中には、アワビ起こしや網袋、熱いコーヒー入りのポット、バナナ、チョコレートなどを入れる。手には大き目の懐中電灯やカキウチ棒を持つ。
このような装備で笠戸島のとある駐車場に着くと、真冬の真夜中だというのに車がわんさか停まっているではないか。皆漁りをやりに来ているのだ。アンビリーバボーの世界だった。
5~6年は続けたと思うが、サザエも少なくなり小さなサザエしかいなくなったので、次第に足が遠のいてしまった。我々が獲りに行くのはしれているが、漁師が刺し網で一網打尽にしてしまうのだ。
漁りに行って帰宅するのは朝方の4時、5時になる。当時まだ若かった頃でも、岩場を這いずり回り、駐車場までの往復で疲労困憊して、眠りに就いた時には日ごろ鼾を掻かない私が、大鼾で寝ていたと家人がよく言っていた。今じゃあ体力的にもう無理かも知れない。若き日の良き思い出である。