チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
ピアノ:ウラディミール・ホロヴィッツ
指揮:アルトゥーロ・トスカニーニ
管弦楽:NBC交響楽団
録音:1943年4月25日、米国ニューヨーク、カーネギー・ホール(ライヴ録音)
発売:1977年
LP:RVC(RCAコーポレーション)
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番は、過去から現在まで数えられないほどの多くの録音があるが、このLPレコードほど感情の激しい演奏の録音は、現在に至るまで私はあまり聴いたことがない。これは1943年4月25日、米国ニューヨークのカーネギー・ホールでのライヴ録音であるから、スタジオ録音と比べ迫力の点で自ずと違う。ホロヴィッツ(1903年―1989年)は数多くの録音を残しているがライヴ録音は少ない。しかし、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番はもう1枚、1941年のライヴ録音盤が遺されている。トスカニーニ指揮NBC交響楽団が伴奏をしているが、トスカニーニが伴奏の指揮を執ることは現役時代ほとんどなかったようで、この意味からもこのLPレコードは貴重な録音なのである。ホロヴィッツはトスカニーニの娘婿なので特別なケースだったのであろう。このLPレコードでは全曲にわたって緊張感が持続する。ホロヴィッツのこのピアノ演奏は、第1楽章を弾く時などは、何かものに憑かれたように、力の限りを尽くして極限にまでその曲想を押し広げ、「チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番ってこんなにも激しい曲だったのだ」と聴くものに強く印象付ける。第2楽章は、さすがに少し大人しさを演出するが、その技巧の並外れた才能には脱帽せざるを得ない。鍵盤の上を指が流れるように行き来する様が髣髴としてくる。第3楽章は、また第1楽章の激情が戻ってくるが、そこにはもう力だけの世界から脱却して、もう一段高いところから見下ろすような余裕も一部感じられ、結果として第1楽章~第3楽章を通して、巧みな演出効果が生かされているのだ。ホロヴィッツはただ単に力だけで弾き通すピアニストではなく、エンターテインメントの才能にも恵まれたピアニストであることがこの録音から聴き取れる。指揮をしているのが、ホロヴィッツからすると義理の父に当るトスカニーニ(1867年―1957年)である。現役時代あまり協奏曲の伴奏をしなかったトスカニーニは、ホロヴィッツだけは例外だったようである。ある意味ではトスカニーニとホロヴィッツの音楽性には共通点があったとも言えるのかもしれない。このLPレコードでトスカニーニは、いつもの輪郭のはっきりした力強い指揮ぶりを発揮し、ホロヴィッツのピアノ演奏のきらびやかさを数倍高めることに成功している。これほどの名コンビはあまりいない、という思いを深くする録音ではある。(LPC)
ブラームス:弦楽四重奏曲全曲(第1~3番)
シューマン:ピアノ五重奏曲
弦楽四重奏:ブタペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレキサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャー・シュナイダー(チェロ)
ピアノ:ルドルフ・ゼルキン
録音:1963年11月(ブラームス)/1963年9月(シューマン)
LP:CBS/SONY SOCL 225~6
このLPレコードは、在りし日の名クァルテットのブタペスト弦楽四重奏団(1917年―1967年)と、名ピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903年―1991年)の名演に酔いしれる貴重な録音だ。潤いのある音であり、室内楽を聴く条件としては申し分ないものに仕上がっている。ブダペスト弦楽四重奏団は、1917年にブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバーによって結成され、1938年からアメリカに定着し、1967年2月まで活動した20世紀を代表する弦楽四重奏団。世界的な名声を得たのはロシア人のヨーゼフ・ロイスマンが第1ヴァイオリンとなってからで、メンバー全員がロシア人に入れ替わり活動した。演奏スタイルは、それ以前の古典的あるいはサロン的演奏スタイルを一新させ、一音一音を明確に弾き分ける、いわゆる新即物主義によるもので、弦楽四重奏曲の演奏の現代化に大きく貢献した。一方、ボヘミヤ出身のピアニストのルドルフ・ゼルキンは、ウィーンで学び、その後1939年、ナチから逃れるため米国に移住し、主にドイツ音楽を得意とするピアニストとして活躍した。演奏スタイルは、あくまで正統的であり、力強さに溢れたものであった。このアルバムは、LPレコード2枚組で、1枚目と2枚目のA面にはブラームスの弦楽四重奏曲が収められている。ブラームスの3つの弦楽四重奏曲は、第1番が厳格さ、第2番がロマン性、第3番が牧歌的な性格とそれぞれ異なる性格を持っている。第1番はの完成は1873年の夏で、ミュンヘンに近いシュタルンベルク・ゼー湖畔のトゥッツィングという村で書かれた。第2番は、第1番と同じく1873年の夏、トゥッツィング滞在中に書き上げられた。第3番は、1875年の春から夏にかけて、ドイツの古都ハイデルベルクに近いツィーゲルハウゼンで書かれた。これらの3つの弦楽四重奏曲は、決して聴きやすい曲ではないが、聴き込むにつれ、ブラームス特有の渋いロマン溢れる世界へと誘われる。ブタペスト弦楽四重奏団の演奏は、一点の曖昧さもなく、しかも一音一音を丁寧に演奏しており、この結果、ブラームスの心の奥底の音楽を聴き取りやすいものにしている。一方、シューマン:ピアノ五重奏曲は、ゼルキンとブタペストの音楽的感性がピタリと合った演奏を繰り広げる。スケールが大きく、がっしりとしたシューマンに仕上がっているが、同時にロマン的な香りも感じられる名演奏となっている。(LPC)
モーツァルト:交響曲第39番
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」
指揮:エフゲニー・ムラヴィンスキー
管弦楽:レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1965年2月モスクワ音楽院大ホール(ライブ録音)
発売:1977年
LP:ビクター音楽産業 VIC-5069
このLPレコードは、1965年2月モスクワ音楽院大ホールにおけるライブ録音である。ロシアの名指揮者エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903年―1988年)の遺した数ある録音の中でもライヴ録音は珍しく、巨匠のナマの演奏を聴くことができる貴重な録音だ。ムラヴィンスキーは、実に50年(1938年―1988年)にわたってレニングラード・フィルハーモニー交響楽団首席指揮者を務めたが、レパートリーは、主にショスタコーヴィチやチャイコフスキーなどロシアものを得意とした。ムラヴィンスキーの指揮は、オーケストラに一糸乱れることのない演奏をさせ、リスナーはそのことに釘づけになるが、ムラヴィンスキーの真の偉大さは、それだけで終わらないところにある。その曲の本質をぐっと握りしめ、それをリスナーの前に明確に示すことによって、感動をリスナーに共感させることにある。つまり、単なる音の羅列でなく、作曲家が楽譜に込めた思いが、ムラヴィンスキーの棒を通して伝わってくる。これは例え幾多の指揮者がいようが、ムラヴィンスキーしかなしえない神業なのだ。このLPレコードのモーツァルト:交響曲第39番は、そんなムラヴィンスキーの特徴を十二分に聴いて取れるライブ録音なのである。ゆっくりとしたテンポの中に、実に奥行きの深い演奏に仕上がっている。それでいて、とっても温かみのある演奏なのだから、一度聴いたらたちまちのうちにムラヴィンスキーファンになるということが少しも不思議には感じられない。静寂の中に熱い思いを込めた指揮ぶりは、何度繰り返し聴いても飽きることはない。もっとも体調が悪いときはムラヴィンスキーの指揮は聴かない方がいいかもしれない。その理由は、聴くこと自体がムラヴィンスキーと共感することになるので、聴くことがあたかもリスナー自身が指揮者になることを意味し、聴き終わったときはぐったりと疲れ果ててしまうからだ。もっとも、これは心地よい疲れなのだが・・・。B面に収容されているストラヴィンスキー:バレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」は、ストラヴィンスキーが新古典主義の作風に入った時の曲だけに聴きやすく、聴いていて心地よい作品だ。ここでのストラヴィンスキーの指揮ぶりは、モーツァルトやチャイコフスキー、それにベートーヴェンなどを指揮する時とはがらりと様相を変え、実に楽しげに指揮をしている。ムラヴィンスキーの別の一面が垣間見えて、楽しい一時を過ごすことができる。(LPC)
モーツァルト:弦楽四重奏曲第20番「ホフマイスター」
弦楽四重奏曲第22番「プロシャ王第2」
弦楽四重奏:ウィーン・フィルハーモニー弦楽四重奏団
ウィリー・ボスコフスキー(第1ヴァイオリン)
オットー・シュトラッサー(第2ヴァイオリン)
ルドルフ・シュトレンク(ヴィオラ)
エマニエル・ブラベック(チェロ)
発売:1979年
LP:キングレコード GT9253
このLPレコードのモーツァルト:弦楽四重奏曲第20番「ホフマイスター」と弦楽四重奏曲第22番「プロシャ王セット第2」は、有名な弦楽四重奏曲「ハイドンセット」や弦楽五重奏曲、それにクラリネット五重奏曲などの他の室内楽曲と比べると地味な存在であるし、それほど演奏される曲でもない。しかし、その地味な存在であるこの2曲の弦楽四重奏曲をじっくりと聴いてみると、その奥底に潜むモーツァルトの豊かな音楽性が息づいているのが聴き取れ、何とも心豊かな一時を過ごすことができるのだ。弦楽四重奏曲第20番「ホフマイスター」について、モーツァルトの権威であるアルフレッド・アインシュタインは「モーツァルトがウィーンの楽譜出版社ホフマイスターからの借金の代償としたのではないか」と推測するほど、他の弦楽四重奏ほど重きを置かれていない曲ではある。しかし、その内容は緻密で、いたるところにモーツァルトらしい機知に富んだ楽想が組み込まれており、聴けば聴くほど親しみが湧いてくる曲である。アメリカに帰化したドイツの音楽学者のアルフレッド・アインシュタイン(1880年―1952年)は、この第20番「ホフマイスター」について「ハイドンセットの特質を総合するとともに、和声の色彩豊かな扱いの点ではシューベルトを予感させる」と書き遺している。一方、弦楽四重奏曲第22番「プロシャ王第2」は、チェロの演奏に長じていたプロシャ国王フリードリッヒ・ウィルヘルム2世の依頼を受け作曲した3曲(「プロシャ王セット」)のうちの2番目の曲。この「プロシャ王セット」の3曲がモーツァルトの最後の弦楽四重奏曲となった。大王がチェロを得意としていたことを意識し、チェロが高音域でソロ的に旋律を担うなど、3曲ともチェロ・パートが第1ヴァイオリンと互角に活躍するという特徴を有している。その頃モーツァルトは貧困のどん底にあった。この曲を書き上げたのが1790年5月であり、死の前年である。貧しさと健康の悪化の中で書き上げられたこの曲ではあるが、そんなモーツァルトの苦悩の姿は微塵も感じられず、ただひたすらに音楽だけを追求するモーツァルトの姿が浮かび上がり、モーツァルトの偉大さを改めて思い知らされる曲なのである。ウィーン・フィルハーモニー弦楽四重奏団は、バリリ四重奏団が当時のウィーン・フィルのコンサートマスターのウィリー・ボスコフスキーを迎え入れて名称を代えた弦楽カルテット。このLPレコードで演奏するウィーン・フィルハーモニー弦楽四重奏団の奥深く、しかも優雅な表現には敬服させられる。(LPC)
モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番K.482
ピアノと管弦楽のためのロンドK.382
指揮&ピアノ:ダニエル・バレンボイム
管弦楽:イギリス室内管弦楽団
録音:1971年11月25日~26日、英国、アビイ・ロードスタジオ
発売:1973年
LP:東芝EMI EAA‐80099
アルゼンチン出身(現在の国籍はイスラエル)のダニエル・バレンボイム(1942年生まれ)は、最近は指揮者としての活躍が目立つが、もともとはピアニスト。1952年にピアニストとしてヨーロッパデビューを果たした以後、世界各国でピアニストとしての名声を高めることになる。そして、1966年からイギリス室内管弦楽団とモーツァルトの交響曲録音を開始して、指揮者デビューを果した。そして、1975年から1989年までパリ管弦楽団音楽監督に就任したのに続き、シカゴ交響楽団音楽監督、ベルリン国立歌劇場音楽総監督、ミラノ・スカラ座音楽監督に就任し、今度は世界的指揮者としての名声を不動にして行くのである。2009年に続き2014年のウィーンのニューイヤーコンサートにも登場し、テレビを通じて全世界に指揮者としての晴れの姿をアピールしたことはまだ記憶に新しい。イギリス室内管弦楽団とは、1966年からコンビを組んでいるので、このLPレコードは、コンビを組んで5年目であり、互いの気心が充分浸透している時期の録音だけに、演奏内容は充実している。モーツァルトのピアノ協奏曲第22番K.482は、第23番とセットで書かれ、1785年に完成ししている。それらは共にオーボエが省かれてクラリネットが使用されるなど、編成的にも新しい試みが見られる。全部で3つの楽章からなる。前2作の第20番、第21番に比べれば知名度は落ちるものの、オペラ序曲のような祝祭的な華やかさと共に穏やかな落ち着きをもつ魅力的な作品となっている。もう一つの曲であるピアノと管弦楽のためのロンドK.382は、モーツアルトが、1782年3月3日に開催された音楽会で、8年も前に作曲されたピアノ協奏曲K.175を取り上げたが、この時終楽章を、このロンドに代えて演奏したところ大変好評を受けたので、以後、このロンドが独立して演奏されるようになった。変奏曲形式でロンドの性質を持つ陽気で愛らしい主題と7つの変奏曲の後、カデンツをはさんで、冒頭主題を素材としコーダで曲が終了する。このLPレコードでは、バレンボイムがピアノを弾きながら指揮をするスタイルをとっているために、ピアノと管弦楽の調和がずば抜けて優れていることが大きな特徴となっている。バレンボイムのピアノ演奏は、輪郭のはっきりとした力強さに満ちていると同時に、モーツァルトらしい流麗さも合わせ持っている点が高く評価されよう。現代に我々にも強くアピールするモーツァルト演奏と言える。(LPC)