バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番/第2番
2つのヴァイオリンのための協奏曲
ヴァイオリン:シャルル・シルーニック
ジョルジュ・アルマン(2つのヴァイオリンのための協奏曲)
指揮:ルイ・オーリアコンブ
管弦楽:トゥールーズ室内管弦楽団
発売:1970年2月
LP:日本コロムビア MS‐1066‐EV
バッハのヴァイオリン協奏曲3曲についての録音は、私はオイストラフ親子が共演した演奏のものを長らく聴いてきて、何かそれが耳に定着してしまった感がある。そんな時にこのLPレコードを聴いてみたのだが、全く新しいバッハ像が浮かび上がるのに我ながら驚く。このLPレコードでは、シャルル・シルーニック(シャルル・シルルニクとも表記)とジョルジュ・アルマンがヴァイオリン独奏し、ルイ・オーリアコンブ指揮トゥールーズ交響楽団が伴奏を務めている。フランスのヴァイオリン名手シャルル・シルーニックは1923年にパリで生まれた。シルーニックのヴァイオリンは、男性的な骨太さを持ちながら同時に気品をも漂わせ、当時高い評価を得ていた。ジョルジュ・アルマンは、トゥールーズ室内管弦楽団のコンサートマスターを務めたが、後に首席指揮者を務めた。このLPレコードの演奏は、フランス・ロココ調とでも言ったらいいのか、あくまで典雅で高貴な香りが辺り一面に漂うようだ。そこには、ただただ至福の時が流れ過ぎて行き、リスナーはそれに身を委ねるのみ。それに対し前記したオイストラ親子の録音は、あくまでシャープな感覚でり、あくまで厳しく、バッハが目指した響きを徹底的に追究するような緊張感溢れる演奏であった。果たしてどちらのバッハが本物なのか?バッハがこれらの3曲のヴァイオリン協奏曲を書いたのは、6年間続いたケーテンの楽長時代。ここでの生活は、バッハにとって理想的なものであったらしく、幸福な作曲生活をおくっていたようだ。バッハのワイマール時代がオルガン曲の時代、ライプツィヒ時代が教会声楽曲の時代と呼ばれるのに対し、ケーテン時代は世俗的器楽曲の時代といった位置づけがされている。つまり、ケーテン時代の作品である3つのヴァイオリン協奏曲は、明るく、楽しいバッハを象徴しているみたいな作品であり、その意味からは、このLPレコードの演奏の方が、バッハのその時代のバッハの雰囲気を表現していると言えなくもないようでもある。指揮のルイ・オーリアコンブ(1917年―1982年)は、フランス、ポーの出身。1933年から1939年までトゥールーズ音楽院で声楽とヴァイオリンを学んだ後、トゥールーズの放送局のオーケストラの団員となる。1957年から1967年までイーゴル・マルケヴィチ(1912年―1983年)の助手を務めた。1953年トゥールーズ室内管弦楽団を創設して、自ら首席指揮者を務めた。(LPC)
ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番/第2番
ピアノ三重奏:フィッシャー・トリオ
エドウィン・フィッシャー(ピアノ)
ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン)
エンリコ・マイナルディ(チェロ)
録音:第1番:1953年11月30日/第2番:1951年12月2日、バイエルン放送スタジオ
発売:1979年5月
LP:日本コロンビア OZ‐7560‐BS
ブラームスは、数多くの室内楽を書いた。中でもヴァイオリンソナタ、ピアノ五重奏曲、クラリネット五重奏曲、弦楽6重奏曲などは、度々演奏会でも取り上げられるし、FM放送でも流されることが多く、数多くのリスナーから親しまれている。ところが、ピアノ三重奏曲やピアノ四重奏曲、さらにはチェロソナタなどは、そう滅多に聴くことができない。これらは、内省的であり、晦渋であり、しかも暗い印象を漂わせる曲が多い。逆に言うと、最もブラームス的な要素を凝縮している曲であるとも言うこともできるかもしれない。これらの作品は、緻密で、強固な構成力を持っている曲が多く、内容の深みという点から見ると、他のジャンルの作品を凌駕しているという見方もできよう。今回のLPレコードは、ブラームスのピアノ三重奏曲第1番と第2番である。これらに対し第3番は、比較的牧歌的な要素がある。第1番の第1楽章の出だしの部分と第2番の第2楽章が比較的穏やかで、聴きやすいが、他の部分は、実に晦渋であり、内省的な性格で覆われている。しかし、よく聴いてみると、第1番は、若い時の作品だけに意欲的な面はあるものの、構成力は今一歩。一方、第2番は、充実期の作品だけあって十分な構成力を見せている。ここで、演奏しているのが、当時の3人の大家、スイス出身のピアニストで、とりわけバッハの演奏では同時代の第一人者であり「平均律クラヴィーア曲集」の全曲録音を世界で初めて行ったエドウィン・フィッシャー(1886―1960年)を中心に、オーストリア出身のヴァイオリニストのヴォルフガング・シュナイダーハン(1915年―2002年)、イタリア出身のチェリストのエンリコ・マイナルディ(1897年―1976年)からなるフィッシャー・トリオである。このトリオは、1949年のルツェルン音楽祭で登場して以来、1955年まで6年間の間、活動して名声を得ていたが、このLPレコードが発売になるまでは、口伝のみの評判であったようだ。フィッシャー・トリオが活動を停止した大分後になって、このLPレコードが登場し、初めてそのベールが剥がされたのである。このLPレコードに付けられた帯には、「戦後ヨーロッパ最高のトリオとして活躍したフィッシャー・トリオ初のレコード化!」と書かれており、当時のリスナーのフィッシャー・トリオへの熱い思いが伝わってきそうである。演奏内容は、3人の息が合い、期待に違わぬ、密度の濃い、充実したブラームスの調べを聴くことがでる。(LPC)
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
指揮:ウィルヘルム・フルトヴェングラー
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(シューベルト)
ベルリン・フィルハーモニック管弦楽団(メンデルスゾーン)
ヴァイオリン:ユーディ・メニューイン
発売:1967年
LP:東芝EMI ANGEL RECORDS AA‐8173B
このLPレコードは、ウィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮、ユーディ・メニューインのヴァイオリン独奏、それにオーケストラは、ウィーン・フィルとベルリン・フィルという、千両役者が揃った正に“夢の饗宴”と言っていい録音だ。フルトヴェングラー(1886年―1954年)は、当時のクラシック音楽界の頂点に君臨し、指揮者の神様的存在であった。フルトヴェングラーが練習会場に姿を現すと同時に、それまで鳴っていたオーケストラの音が一瞬に変わるとまで言われたほどのカリスマ性の高い名指揮者であった。単に、オーケストラの音を技術的に高めるだけではなく、その音楽が本来持っている音楽性を汲み取り、それをオーケストラに伝え、表現させるというプロセスを踏むことによって、他の指揮者が誰もなしえなかった高い精神性をオーケストラ演奏にもたらしたのであった。第二次大戦後は、戦前のナチスとの関係などが災いし、一時不遇の時代を過ごしたが、死後、フルトヴェングラーが残した録音は、宝物のように扱われ、今でも愛聴されている。ヴァイオリンのユーディ・メニューイン(1916年―1999年)は、アメリカの出身で、後にイギリスに帰化した名ヴァイオリニスト。その深い精神性(坐禅やヨーガにも傾倒した)を持ったヴァイオリンの演奏スタイルは、高貴な香りと同時に、その背景にある一本筋の通った音楽性は、当時、多くの聴衆から愛され、日本でも多くのファンを有していた。シューベルト:交響曲第8番「未完成」は、これが本当の「未完成」だと思わせる、強い説得性のある演奏内容に仕上がっている。けっして表面的なメロディーの甘美さを追うのでなく、シューベルトが到達した、ある意味での彼岸の境地にまでフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルの演奏は高まりをみせる。もうこれは“「未完成」演奏の決定盤”といっていいほど内容が充実しており、「音楽は単に技術的なものだけでない」とする、フルトヴェングラーのみが成し得る奇跡的録音と言っても過言なかろう。一方、メニューインの弾くメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲は、こんなピュアなヴァイオリン演奏は、滅多に聴くことはできないと思わせるほどの精神性の高まりに、聴いているだけで緊張感が自ずと高まる。その音楽性は、伴奏するフルトヴェングラー指揮ウィーンと同質だけに、両者の共演したこの録音は、これも“メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲演奏の決定盤”と言ってもいい。(LPC)
~ラフマニノフ歌曲集~
「秘密の夜の静寂の中で」 作品4の3(A.フィエト)
「そんなに長い間、わが友よ」 作品4の6(A.ゴレニシチェフ・クトゥーゾフ)
「私は自分の悲しみを恋してしまつたの(兵士の妻)」 作品8の4(T.シェフチェンコ)
「夢」 作品8の5(H.ハイネ)
「私はあなたを待つている」 作品14の1(M.ダヴィドヴア)
「小島」 作品14の2(P.B.シェルレイ)
「夏の夜」 作品14の5(D.ラトハウス)
「みんながきみをそんなに可愛がる」 作品14の6(A.K.トルストイ)
「ぼくを信じないで、わが友よ」 作品14の7(A.K.トルストイ)
「春の水」 作品14の11(F.チューチェフ)
「運命」 作品21の1(A.アプーフチン)
「そよかぜ」 作品34の4(K.バルモント)
「アリオン」 作品34の5(A.プーシキン)
「ラザロのよみがえり」 作品34の6(A.ホミャーコフ)
「そんなことはありえない!」 作品34の7(A.マイコフ)
「音楽」 作品34の8(Ya.ポロンスキー)
ソプラノ:エリーザベト・ゼーダーシュトレーム
ピアノ:ウラディーミル・アシュケナージ
録音:1975年8月
発売:1977年
LP:キングレコード(LONDON) SLA 6189
ラフマニノフの名を聞くと、ピアノ独奏曲、ピアノ協奏曲それに交響曲などをまず思い浮かべる。このLPレコードは、これらとは異なりラフマニノフの歌曲集である。あまり馴染みがないので一瞬腰が引けそうだが、一度聴くとこれがまた魅力的な作品がぎっしりと詰め込まれていて、びっくりする。あたかもシューベルトの歌曲とシューマンの歌曲とを足して2で割ったような雰囲気なのだ。しかし、そこには当然ラフマニノフ独自の特徴が込められている。それらの特徴を、このLPレコードのライナーノートに園部四郎氏は次のようにまとめている。①旋律の流れの美しさ、特にその叙情性②極めて複雑な、深い内容をもった詩を取り上げ、これをムソルグスキーを連想させるようなデクラメーション、つまり朗詠調によって描き出す書法③声とピアノのパートが溶けあい、からみ合い、見事なアンサンブル―などの特徴を有しているのである。ここに収められている16曲の歌曲の多くは、叙情的な雰囲気に溢れているのであるが、中には「運命」と名付けられた曲などのように、ラフマニノフの激情が激しく渦巻く曲も含まれている。この曲は、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の“運命が戸を叩く”という冒頭の小節が突然出て来てびっくりさせられる。これは、自作の交響曲第1番の不評に対し、ラフマニノフが失意の時にあった心境を歌曲に書き綴った作品という。つまり、ラフマニノフの歌曲は、単に抒情的であるだけでなく、激しい独白の作品でもあるのだ。このLPレコードで歌っているソプラノのエリーザベト・ゼーダーシュトレーム(1927年―2009年)は、スウェーデン、ストックホルム出身。1948年、ストックホルム王立歌劇場でデビューを飾る。その後世界の主要な歌劇場で活躍。レパートリーは古典から現代オペラまで幅広かった。ピアノのウラディーミル・アシュケナージ(1937年生まれ)は、現在では指揮者活動(ロイヤル・フィル首席指揮者、ベルリン・ドイツ響首席指揮者、チェコ・フィル首席指揮者、シドニー響首席指揮者などを歴任し、現在NHK交響楽団桂冠指揮者)が中心となっているが、以前は、世界的名ピアニストとして活躍していた。このLPレコードでは2人の息はピタリと合っており、美しくも奥深いラフマニノフの歌曲の世界を十全に表現して見事だ。それにしても、もっとラフマニノフの歌曲は広く聴かれてもいい作品だと思う。なによりも内容が優れた曲が多いのだから。(LPC)
リスト:交響詩「前奏曲」
ハンガリー狂詩曲第2番
交響詩「マゼッパ」
ハンガリー狂詩曲第4番
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1967年4月14~17日(交響詩「前奏曲」/ハンガリー狂詩曲第2番)/1960年12月12日~13日(交響詩「マゼッパ」/ハンガリー狂詩曲第4番)、ベルリン、イエス・キリスト教会
LP:ポリドーリ(ドイツ・グラモフォン MGX7047) 2535 110
このLPレコードを聴くとカラヤンの指揮する様が目の前に生き生きと蘇ってくるようであり、如何にもカラヤンらしい絢爛豪華な音の絵巻物が広がって行き、実に楽しい一時を過ごすことができる。カラヤンという指揮者は、これらの曲を指揮させれば当代随一の指揮者であったことを改めて認識することができる録音だ。カラヤン(1908年―1989年)は、ザルツブルグに生まれ、1938年からベルリンの国立歌劇場で活躍。第二次世界大戦後は、1955年から、ベルリン・フィルの芸術監督・終身指揮者に迎え入れられた。1956年から1964年までは、ウィーン国立歌劇場の総監督を兼ねるなど、当時“帝王”として世界のクラシック音楽界に君臨した。1954年に初来日を果たした後も何回か日本を訪れている。しかし、ベルリン・フィルと対立して1989年に辞任するなど、晩年は必ずしも平穏な指揮者生活ではなかったのも事実。この背景には、カラヤンの信奉者は多い反面、フルトヴェングラーなど深い精神性の演奏を重んじる聴衆からは、時代の最先端を走るカラヤンに対する批判が少なからずあったのも事実。ある意味では、この論争(フルトヴェングラー派対カラヤン派)は、未だに続いていると言ってもいいほどだ。クラシック音楽は、形而上学的で深淵に演奏するのが正統であって、カラヤンのように、万人に分かりやすい絢爛豪華な音の饗宴の演奏スタイルは亜流である、とする見方は現在でも存在する。この論争の結論は、多分永遠に出ないであろう。こんなことを考えながらこのLPレコードを聴いていると、カラヤンのクラシック音楽界に果たした足跡の偉大さを改めて認識せざるを得ない。このLPレコードは、カラヤンとベルリン・フィルの蜜月時代の録音だけに、双方の気分がぴたりと合い、オーケストラの醍醐味を存分に味わえる。つまらぬ論争などは何処かに飛んで行ってしまいそうな爽快な録音ではある。この録音は全てリストの作品。交響詩「前奏曲」は、その冒頭にフランスの詩人ラマルティーヌの「詩的瞑想録」による序文が書かれていることで有名。「ハンガリー狂詩曲」第2番は、前半がゆっくりとした悲劇的な”ラッサン”、後半が急速な情熱的で華麗な”フリスカ”の2部からなっている。交響詩「マゼッパ」は、フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの長大な同名の詩を表題としている。「ハンガリー狂詩曲」第4番は、ジプシー的な哀愁と情熱が全体にみなぎった作品。(LPC)