★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇フランスの名バリトン スゼーが歌うシューマン:歌曲集「詩人の恋」/歌曲集「レーナウの詩による6つの歌曲」ほか

2024-11-18 09:51:48 | 歌曲(男声)


シューマン:歌曲集「詩人の恋」

         美しい五月には
         僕のあふれる涙から
         ばらに百合に鳩に太陽
         君の瞳に見入る時
         心を潜めよう
         ラインの聖なる流れに
         恨みはしない
         小さな花がわかってくれたら
         あれはフルートとヴァイオリン
         あの歌を聞くと
         若者が娘を恋し
         まばゆい夏の朝に
         僕は夢の中で泣いた
         夜毎君の夢を
         昔話の中から
         古い忌わしい歌

       歌曲集「レーナウの詩による6つの歌曲」

         鍛冶屋の歌
         わたしのばら
         出会いと別れ
         アルプスの羊飼いの娘
         孤独
         暗い夜に
    
       レクイエム
       献呈(歌曲集「ミルテの花」より)
       東方のばら(歌曲集「ミルテの花」より)
       二人の擲弾兵

バリトン:ジェラール・スゼー

発売:1975年

LP:日本フォノグラム(フィリップスレコード) PC‐1529(835 146LY)

 シューマンの歌曲集「詩人の恋」は、シューマンの歌曲の年と言われる1840年に作曲された歌曲集である。詩は、ハインリヒ・ハイネの詩集「歌の本」の中の「叙情的間奏曲」により、全20篇のうち16曲を収録している。第1曲から第6曲までは愛の喜びを、第7曲から第14曲までは失恋の悲しみを、そして最後の2曲はその苦しみを振り返った曲に特徴付けられている。これらの作品は、ピアニストであったシューマンらしく、ピアノ伴奏部分が表現力に富んだ優れた歌曲になっているのが特徴。一方、このLPレコードのB面に収められた歌曲集「レーナウの詩による6つの歌曲」は、ニコラウス・レーナウの詩をテキストに、1850年に作曲された作品であり、補遺として「レクイエム」を追加して出版された。これらは、デュッセルドルフへ移るシューマンのドレスデン時代の最後の作品の一つである。10年前の「詩人の恋」は、若者の恋への憧れが、ういういしく表現された作品となっているのに対して、10年後のこの歌曲集「レーナウの詩による6つの歌曲」では、深い抒情と心の翳りといった暗い表現が中心の作品へと様変わりしている。「献呈」「東方のばら」は、歌曲集「ミルテの花」からの作品。歌曲集「ミルテの花」は、結婚の時、シューマンが妻クララへ贈った愛の歌曲集。最後の「二人のてき弾兵」は、ロシアで捕虜になっていた2人の擲弾兵(てきだんへい:擲弾<手榴弾>の投てきを任務とする兵士)が、フランスへ帰る途中、フランス軍の敗北、皇帝も囚われの身となったことを聞いて歌うバラード調の曲。このLPレコードで歌っているジェラール・スゼー(1918年―2004年)は、フランス出身の名バリトン。当然、フランスものの作品を得意としていたが、シューマンやシューベルトなど、ドイツ・オーストリア系の作品でも優れた録音を遺している。スゼーは、ドイツ・オーストリア系出身の歌手よりも、ドイツ・オーストリア系作品に対して深い洞察力をもって歌うことが出来た、フランス出身の歌手であった。このLPレコードに収められたシューマンの歌曲でも、スゼーは、あたかもビロードを思わせるような、それはそれは美しい歌声でリスナーを魅了する。こんなにまで繊細で、あくまで柔らかく、そして整った歌声を響かせる歌手は、スゼー以後はいないと断言できるほどである。このLPレコードは、そんなスゼーの真価を知り得る、貴重な録音となっている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇名テナー ムンテアヌーのシューマン:歌曲集「ミルテの花」全曲

2024-10-14 09:45:45 | 歌曲(男声)


シューマン:歌曲集「ミルテの花」全曲

          1. きみにささぐ
          2. 自由な心
          3. くるみの木
          4. だれかが
          5. 西東詩編「酌亭の書」から―ただひとりいて
          6. 西東詩編「酌亭の書」から―手あらく置くな
          7. はすの花
          8. お守り
          9. ズライカの歌
          10. ハイランドのやもめ
          11. 花嫁の歌「おかあさま、おかあさま」
          12. 花嫁の歌「あの人の胸に」
          13. ハイランドの人々の別れ
          14. ハイランドの人々のこもり歌
          15. ヘブライの歌から「心は重く」
          16. なぞ
          17. ヴェネチアの歌「静かに船を」
          18. ヴェネチアの歌「広場を風が」
          19. 大尉の妻
          20. 遠く、遠く
          21. ひとり残る涙
          22. だれも
          23. 西の国で
          24. あなたは花のように
          25. 東の国のばら
          26. 終りに

テノール:ペトレ・ムンテアヌー

ピアノ:フランツ・ホレチェック

発売:1978年8月

LP:日本コロムビア OC‐8021‐AW

 シューマンとクララ・ヴィークの結婚式は、1840年9月12日にライプチッヒ郊外のシェーネフェルトの教会で行われた。シューマンは、その前夜、「わが愛する花嫁に」という献呈の文字をミルテの花で飾った一冊の歌曲集をクララの許へと届けていた。これがシューマン:歌曲集「ミルテの花」なのである。何故、ミルテの花かというと、北欧では花嫁のヴェールにミルテの花をつけ、その白い花の香りの高さによって、花嫁の純潔と美とを象徴する習慣があるからである。つまり、この歌曲集「ミルテの花」の1曲、1曲が、クララに対する愛情がこもった内容となっており、シューマンにとっては、長い間の苦悩と忍従を通して、やっと結婚が成就できたという思い出が込められた歌曲集なのである。シューマンは、当初、ピアニストを目指すが、指を痛め断念し、作曲と評論の道へと進む。このことにより、恩師の娘でピアニストのクララへの愛が、ピアノ曲の作曲へと向かわせることになる。しかし、クララの父の反対で結婚への道のりは簡単なものではなかったのだ。そんな中、シューマンは、ハイネ、バイロン、リュッケルト、ゲーテらの詩集から自ら詩を選び、そして作曲し、一つの歌曲集としてまとめ上げた。これが歌曲集「ミルテの花」として結実したのである。シューマンは、文学の素養を充分に持っていたため、詩の選択には誰もが一目を置く存在であった。このことが、ドイツ・ロマン派の味わい深い歌曲を完成させることに繋がったのだ。1840年は、この「ミルテの花」のほか「リーダークライス」「詩人の恋」など全部で180曲もの歌曲を書き続ける。このことから、この年は、後世”シューマンの歌の年”と呼ばれることになる。このLPレコードではテノールのペトレ・ムンテアヌー(1916年―1988年)が歌っている。ペトレ・ムンテアヌは、ルーマニア生まれ。ブカレスト国立歌劇場でデビューした後、ベルリンに留学。その後、イタリアに渡り、1947年にスカラ座にデビュー。ドイツリートでは日本でも熱狂的なファンがいた。このLPレコードでも少々くぐもったような音質が、シューマン独特のロマンの世界を表現することに成功しているといえよう。ドイツ・ロマン派の音楽、特に歌曲においては、詩的で幻想的な個人の内面の世界が、その歌声に込められていなくてはならない。その点から見ると、ムンテアヌーはこの曲集の最適な歌手の一人であったと言うことができる。(LPC) 

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◇クラシック音楽LP◇フルトヴェングラー指揮&ピアノ伴奏と3人の名歌手たちによるライヴ録音

2024-06-13 09:40:47 | 歌曲(男声)


①マーラー:さすらう若人の歌
  
  バリトン:ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ

  指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
  管弦楽:ベルリン、フィルハーモニー管弦楽団
      録音:1953年8月12日、ザルツブルク・フェスティヴァル(ライヴ録音)

②R.シュトラウス:森の幸福
         愛の賛歌
         誘惑
         冬の恋
  
  テノール:ペーター・アンダース
 
   指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
   管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
   録音:1942年2月15日、17日、ベルリン(ライヴ録音)

③ヴォルフ:春に
      アナクレオンの墓
      私を花で覆って下さい
      私のふさふさした髪の陰で
      意地悪な人たちはみな
      ジプシーの娘
  
  ソプラノ:エリーザベト・シュワルツコップ
  
  ピアノ:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
  録音:1953年8月12日、ザルツブルク・フェスティヴァル(ライヴ録音)

発売:1981年9月

LP:日本コロムビア OS‐7071‐BS
 
 このLPレコードは、フルトヴェングラー(1886年―1954年)がベルリン・フィルを指揮して歌曲の伴奏するコンサートのライヴ録音に加え、フルトヴェングラーが自らピアノ伴奏を買って出たコンサートのライヴ録音が収められた、誠に貴重なLPレコードなのである。最初の録音は、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの伴奏で、バリトンのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925年―2012年)によるマーラー:さすらう若人の歌で、1951年8月19日、ザルツブルク・フェスティヴァルのライヴ録音。当時、フィッシャー=ディースカウは、デビューからまだ3年という、新進気鋭の26歳のバリトン歌手であった。両者のマーラー:さすらう若人の歌の録音は、1952年の録音盤が有名であるが、その1年前のこの録音は、音質こそ少々劣るが、若々しいディースカウの歌声とライヴ録音ならではの迫力に満ちたものになっており、貴重な歴史の証言として今でもその存在意義は失われてはいない。次のR.シュトラウスの歌曲集は、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの伴奏で、1942年、ベルリンにおいて行われたテノールのペーター・アンダース(1908年―1954年)のコンサートのライヴ録音。ペーター・アンダースは、日本ではあまり馴染みのない歌手でるが、当時美声のリリック・テノールとして絶大な人気を誇っていた。ここでのペーター・アンダースは、持てる美声を最大限に発揮させ、R.シュトラウスの陶酔的な官能の世界を存分に感じさせてくれる。フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの伴奏も誠に奥深く、R.シュトラウスの世界を巧みに表現することに成功している。最後のヴォルフ歌曲集は、ソプラノのエリーザベト・シュワルツコップ(1915年―2006年)の伴奏をフルトヴェングラー自身が買って出て実現した、1953年8月12日のザルツブルク・フェスティヴァルのライヴ録音。その年はヴォルフ没後50周年記念に当る年。ここでのシュワルツコップは、名ソプラノと謳われた名に恥じることなく、堂々とヴォルフの歌の世界をリスナーに存分に披露してくれる。フルトヴェングラーのピアノ伴奏は、メリハリの利いたもので、シュワルツコップの美しい歌声を最大限に発揮させている。フルトヴェングラーは、ピアノ伴奏者としても当時一流であったことを認識させられる貴重な録音。(LPC)
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◇クラシック音楽LP◇エーリッヒ・クンツのドイツ愛唱歌集

2024-05-27 10:05:25 | 歌曲(男声)

 

~エーリッヒ・クンツのドイツ愛唱歌集~

シューマン:二人のてき弾兵
ブラームス:眠りの精
シューベルト:笑いと涙
リスト:愛の夢
レーがー:マリアの子守歌
シューベルト:音楽に寄す
シューマン:くるみの木
ベートーヴェン:自然における神の栄光
ジルヒャー:ローレライ リスト:ローレライ
モーツァルト:すみれ
ベートーヴェン:君を愛す
ヴォルフ:主顕祭
ヴォルフ:眠れる幼な児イエス
ブラームス:セレナード
シューベルト:シルヴィア寄す

バリトン:エーリッヒ・クンツ

指揮:アントン・パウリク

管弦楽:ウィーン国立歌劇場管弦楽団

発売:1982年

LP:キングレコード(VANGUARD) K18C‐9294

 エーリッヒ・クンツ(1909年―1995年)の名前を聴くと我々の世代は、ウィーン国立歌劇場のバリトン歌手という肩書きより、「ドイツ学生の歌 大全集」(SLE1034~8)の5枚組みのLPレコードを吹き込んだバリトン歌手といった方がぴんと来る。何故、当時、ドイツ学生の歌が流行ったのか、今となっては知る由もないが、多分、その当時は戦前の旧制高等学校の気風がまだ残っていて、何処となくドイツ学生の歌を聴いていると、旧制高等学校の雰囲気を思い出し、青春のノスタルジーに浸る人が多く居たのが一つの原因ではなかったからではないだろうか。エーリッヒ・クンツは、ウィーン生まれのオペラ歌手で、特にモーツァルトに作品を得意としていた。1940年からウィーン国立歌劇場には所属し、フィガロ役、パパゲーノ役、レポレロ役では記録的な出場回数を誇っていた。ウィーン国立歌劇場の戦後分だけで、フィガロ役が249回、パパゲーノ役が338回、レポレ役がロ211回という記録を打ち立てている。1959年にウィーン国立歌劇場員公演の際に来日した。同時にエーリッヒ・クンツは、ドイツ学生歌やドイツ民謡についても数多くの録音を残している。それらの録音の一部が日本で「ドイツ学生の歌 大全集」として発売されヒットし、そして、その延長線上にあるのが、今回のLPレコードの「ドイツ愛唱歌集」なのである。これらの曲目を見ると、そのほとんどが日本人にとっても馴染みのある曲であり、理屈ぬきに楽しめるLPレコードとなっているのが、何とも嬉しい。第1曲目のシューマン:二人のてき弾兵を聴いただけで、昔の情景が眼前に広がり、懐かしい気持ちにしてくれる。シューマン:二人のてき弾兵は、昔はラジオからしょっちゅう流れてきて、あたかもクラシック音楽の代名詞のような曲になっていたことを思い出す。今はあまりこの曲を聴くことはなくなった。少々大時代ががっているからだろうか。第2曲目のブラームス:眠りの精になると、今度はエーリッヒ・クンツの歌い方は情緒たっぷりにがらりと変わる。この辺の絶妙の変わり身が、当時のリスナーに大受けしたのだろう。エーリッヒ・クンツの音質は、柔らかく、暖かい。そう言えば思い出した。当時は「歌声喫茶」の全盛時代であり、このLPレコードを聴いていると肩を組み合って歌う、「歌声喫茶」の想い出が蘇る。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇夭折した名テノール:ヴンダーリッヒのシューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」

2024-04-18 09:38:08 | 歌曲(男声)

シューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」

テノール:フリッツ・ヴンダーリッヒ

ピアノ:フーベルト・ギーゼン

録音:1966年7月2日―5日、科学アカデミー

LP:ポリドール(ドイツ・グラモフォン) 2544 093

 このLPレコードで歌う、当時、一世を風靡した名リリック・テノールのフリッツ・ヴンダーリッヒ(1930年―1966年)は、36歳という若さでこの世を去った。この死は病死ではなく、1966年9月17日に階段から転落した際に、頭部を打ったことが原因で急死した事故によるものものだったのだ。当時ヴンダーリッヒが所属していたミュンヘンのバイエルン国立歌劇場総監督のハルトマンは、「オペラ芸術にとって最大の損失」と語り、また、名バリトンのフィッシャー=ディースカウ(1925年―2012年)も、ヴンダーリッヒの卓越した才能を称え、「限りない衝撃であり悲しみである」と、その突然の死に対して、最大限の弔辞を捧げている。ヴンダーリッヒは、それほど多くに人達から将来を嘱望されていた歌手であったのだ。このLPレコードの記録によると、「録音は、1966年7月2日~5日、科学アカデミーにおいて行われた」と記されているので、ヴンダーリッヒの死の2カ月ほど前ということになる。その意味ではヴンダーリッヒの最後の歌声を後世に残すことになる大変貴重な録音なのだ。ヴンダーリッヒが世界的に注目されたのは、1950年代の後半からで、それ以後ミュンヘンを中心に世界的な活躍を展開するが、それも僅か10年足らずで途絶えてしまうことになる。リリック・テノールという言葉通り、ヴンダーリッヒは、限りなく美しい声の持ち主であり、現在、果たして同じような声の持ち主が居るかと問われると、返答に窮するほどである。そんな不世出の美声の持ち主であるヴンダーリッヒの歌った、このシューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」は、絶品というほかない仕上がりとなっている。限りなく伸びやかなテノールの独特の輝きに満ちた歌声が、リスナーを夢心地に誘う。歌劇が得意らしかったことは、その語り掛けるような歌唱法からも読み取れる。シューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」は、正にヴンダーリッヒのために作曲されたのではないか、という思いにさせられるほどの名録音なのだ。フリッツ・ヴンダーリッヒは、ドイツ出身。1950年から55年にかけて、フライブルク音楽大学において、初めにホルンを、後に声楽を学んだ。シュトゥットガルト州立歌劇場、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場で活躍。1959年以降はザルツブルク音楽祭に定期的に出演。1966年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場デビューを数日後に控え、死去。(LPC) 

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