ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
ピアノ:エミール・ギレリス
指揮:オイゲン・ヨッフム
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1972年6月12日―13日、ベルリン、イエスキリスト協会
LP:ポリドール(ドイツグラモフォン) MGX7065
ブラームスのピアノ協奏曲第1番を初めて聴いた時、私は第1楽章のおどろおどろしい出だしに、緊張感で思わず見まがえたことを思い出す。それほどこのピアノ協奏曲は、通常のピアノ協奏曲と異なり、何か交響曲を聴いているようにも思えてくる。最初にこの曲を聴いた聴衆も、大分驚いたらしく、不評だったという(拍手は2、3人?しかなかったと、このLPレコードのライナーノートで浅里公三氏は書いている)。しかし、その後、徐々にこの曲の真価が認められ、今ではピアノ協奏曲の代表的な一つに数えられる程の名曲と評価されるまでに至っている。私の方も、その後この曲を何回も聴くうちに、徐々に耳に慣れてきて、その雄大で男性的な構想に引かれ、今では私の愛聴曲の一つになっている。このLPレコードでのギレリス(1916年―1985年)の演奏は、こけおどし的なピアノ演奏を狙うというよりも、この曲の持つロマン的な香りを強く前面に打ち出しており、これが逆に功を奏して、名演を聴かせてくれるのだ。しかし、要所要所はギレリス本来の、鋼鉄にも似たピアニズムが如何なく発揮され、この曲の名演奏録音の一つに挙げられるほどの出来栄えになっている。この成功は、オイゲン・ヨッフム(1902年―1987年)指揮ベルリン・フィルの名伴奏による所も大きい。ヨッフムもいたずらにオケを鳴らすことはせず、優雅に、しかし、スケールの大きな伴奏を聴かせ、聴くものを釘付けにする。エミール・ギレリスは、旧ソ連(ウクライナ、オデッサ)出身の20世紀を代表する世界的ピアニストの一人であった。オデッサ音楽院で学び、1933年(17歳)「全ソ連ピアノコンクール」優勝。1935年にオデッサ音楽院を卒業し、モスクワに転居、以後1937年までゲンリフ・ネイガウスに師事。1938年(22歳)「イザイ国際コンクール」優勝。その後、ヨーロッパでの演奏旅行を開始し、さらにアメリカでのデビューを果たす。1946年「スターリン賞」、1961年と1966年「レーニン勲章」、1962年「レーニン賞」をそれぞれ受賞している。往年には、その“鋼鉄のタッチ”と称される完璧なテクニックに加えて、格調高い演奏内容が高い評価を受けた。指揮のオイゲン・ヨッフムは、ドイツ、バイエルン州出身。ミュンヘン音楽大学で作曲を学ぶが、途中で専攻を指揮へと変更した。ハンブルク国立歌劇場音楽総監督、バイエルン放送交響楽団首席指揮者、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者、バンベルク交響楽団首席指揮者などを歴任した大指揮者であった。(LPC)
ヨハン・シュトラウスⅡ世:円舞曲「春の声」
サン=サーンス:「うぐいすとばら」
ヴェルディ:「煙突掃除夫」(歌曲集「6つのロマンス」の第4曲)
ゴダール:「ジョスランの子守歌」(歌劇「ジョスラン」から)
アルディーティ:「パルラ(語りたまえ)」
ヨハン・シュトラウスⅡ世:「侯爵さま」(喜歌劇「こうもり」op.56から)
ヨハン・シュトラウスⅡ世:田舎娘の役ならば(喜歌劇「こうもり」op.56から)
ヨハン・シュトラウスⅡ世:円舞曲「ウィーンの森の物語」
スッペ:愛はやさし(喜歌劇「ボッカチオ」から)
ドヴォルザーク:月に寄せる歌(歌劇「ルサルカ」から)
マイアベーア:影の歌(歌劇「ディノーラ」から)
ソプラノ:リタ・シュトライヒ
合唱:RIAS室内合唱団
指揮:クルト・ゲーベル
管弦楽:ベルリン放送交響楽団
録音:1958年5月19日~23日/28日~30日、ベルリン、イエス・キリスト教会
LP:ポリドール(ドイツ・グラモフォン) MGW 5250
これは、往年の名ソプラノ、リタ・シュトライヒ(1920年―1987年)の名唱を、寛ぎながら聴ける、誠にもって楽しくもあり、懐かしい香りがするLPレコードである。シュトライヒは、旧ソ連ウラル地方パルナウルで、ドイ人の父、ロシア人の母のもとに生まれた。幼時に両親ともどもドイツへ戻り、声楽の勉学に励む。1943年にデビューし、1945年ベルリン国立歌劇場の舞台を踏んだのだが、その時に注目を浴びることになる。透き通るような美しいコロラトゥラの声と知的でチャーミングな容姿は、たちまちにして聴衆の心を掴んだのだ。彼女の絶頂期は、1950年代から1960年代にかけてであり、この録音はその真っ只中に行われたもの。このため、このLPレコードでは全盛期の彼女の美声を心置きなく堪能することができる。ここで取り上げられている曲の多くがお馴染みの曲であり、古き良き時代の雰囲気に溢れ返っている。昔は、こんな楽しい曲がしょっちゅうラジオから流れていた。私などはリタ・シュトライヒという名を聞いただけで、昔のことが走馬灯のように浮かんできてしまう。そのリタ・シュトライヒの清々しい歌声が、LPレコード独特の柔らかい音質で今でも鑑賞できることは何とも幸せなことだ。最初の曲のヨハン・シュトラウスⅡ世:円舞曲「春の声」は、ヨハン・シュトラウスⅡ世の後期の代表作でもともとは声楽付きの円舞曲。サン=サーンス:「うぐいすとばら」は、ヴォカリーズ形式による歌詞なしの曲。ヴェルディ:「煙突掃除夫」は、歌曲集「6つのロマンス」の中から第4曲目の曲。ゴダール:「ジョスランの子守歌」(歌劇「ジョスラン」から)は、甘美な旋律で親しまれている曲。アルディーティ:「パルラ(語りたまえ)」は、ワルツで書かれている軽やかな愛の歌。ヨハン・シュトラウスⅡ世:「侯爵さま」「田舎娘の役ならば」(喜歌劇「こうもり」から)は、小間使いアデーレ役を十八番としたシュトライヒがチャーミングに、しかも洒脱に歌う。ヨハン・シュトラウスⅡ世:円舞曲「ウィーンの森の物語」は、1868年に作曲されたウィンナワルツのお馴染みの名品。スッペ:愛はやさし(喜歌劇「ボッカチオ」から)は、わが国では昔からお馴染の曲。ドヴォルザーク:月に寄せる歌(歌劇「ルサルカ」から)は、抒情的で清らかなアリア。マイアベーア:影の歌(歌劇「ディノーラ」から)は、コロラトゥラ・ソプラノの名アリア。このLPレコードは、これらの名品を絶頂期のリタ・シュトライヒが清らかに歌い上げる、今となっては誠に貴重な録音だ。(LPC)
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番/第2番「ラ・カンパネラ」
ヴァイオリン:イヴリー・ギトリス
指揮:スタニスラフ・ヴィスロツキ
管弦楽:ワルシャワ国立フィルハーモニー交響楽団
発売:1980年
LP:日本フォノグラフ(フィリップスレコード) 13PC‐282
イタリアの名ヴァイオリニストであったパガニーニは、同時に作曲家でもあり、生涯で6曲のヴァイオリン協奏曲を作曲している。その中で、現在しばしば演奏されるのが、このLPレコードに収録されている第1番と第2番で、このほかには第4番も演奏されることがある。パガニーニのヴァイオリン協奏曲、とりわけ第1番は、私がクラシック音楽ファンの切っ掛けとなった曲の一つであり、思い出深い曲なのである。昔は、この第1番の協奏曲は、ラジオを付ければ必ずといっていいほど流れていた曲で、いわばクラシック音楽放送の定番ともいえる曲だった。第2番は、第1番を卒業したリスナーが聴くとその良さがじっくりと分ってくるような曲だ。演奏しているのが、日本でもお馴染みであったヴァイオリニスト、イヴリー・ギトリス(1922年―2020年)。かつて一世を風靡したヴァイオリニストだけあって、十八番とするパガニーニのヴァイオリン協奏曲のジプシー的感覚を存分に盛り込んだ名演奏を、このLPレコードで存分に披露している。何よりも華麗な演奏スタイルが、パガニーニのヴァイオリン協奏曲には打って付けだ。イヴリー・ギトリスはイスラエルのハイファ出身。当時の大ヴァイオリニストであったブロニスラフ・フーベルマンの前で演奏した時、フーベルマンからヨーロッパ留学を勧められ、13歳の時にパリ音楽院に入学。入学試験の成績は1等であったが、学校生活に馴染めず、しばらくして学校を去ることになる。その後、ジョルジュ・エネスコなど、名ヴァイオリニスト・名教師に師事。第2次大戦が始り、ロンドンに移住。1951年の「ロン=ティボー・コンクール」では、結果は5位であったが、その時の聴衆から圧倒的な支持を受け、コンクール終了の数週間後に本格的なデビュー・リサイタルを開催。その後は、世界中でコンサート活動を展開し、次第に名声を得ていく。演奏内容は、超絶技巧によるヴィルトゥオーゾ風の個性あるもので、一部に熱狂的なファンを持っていた。東日本大震災の後、来日を控える演奏家が多かった中、ギトリスだけは来日を続けたように、親日家としても知られていた。東京、名古屋で演奏会を開催した合間を縫って、石巻市立女子高等学校を慰問。その後、石巻市立門脇中学校を訪れ、吹奏楽部の生徒たちと交流、バッハの無伴奏パルティータを演奏すると、そのお返しに生徒たちは「ふるさと」を演奏した。ギトリスはその演奏に落涙し、「君たちとは音楽でつながっている。音楽をずっと続けてほしい」とメッセージをったという。(LPC)
ショパン:ポロネーズ第3番「軍隊」
夜想曲第2番/第5番
ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」/
第3番「華麗なる円舞曲」/第6番「子犬のワルツ」
マズルカ第5番/第17番
即興曲第4番「幻想即興曲」
プレリュード第15番「雨だれ」
練習曲第3番「別れの曲」/第12番「革命」
ピアノ:ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ
録音:1963年5月30日、東京・日本グラモフォン青山スタジオ
LP:ポリドール(ドイツグラモフォン) MGW 5268
20世紀を代表する女流ピアニストの一人 ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(1922年―2001年)は、ポーランドのクラクフ出身。ベートーヴェンの弟子で教則本でも有名なチェルニーの血筋を引いているという。ポーランドの文化使節として日本にも何度も訪れ、コンサートだけでなく、マスタークラスや教育活動に熱心に取り組んだ。ハリーナ・チェルニー=ステファンスカは、クラクフ音楽院の教授でもあったピアニストの父スタニスラフに学んだ後、パリのエコール・ノルマルでコルトーに師事する。1949年の第4回「ショパン国際ピアノコンクール」で第1位および最優秀マズルカ演奏賞を受賞したのを機に、世界を舞台としてショパンを中心とした演奏会活動を活発に展開し、当時、ショパン弾きの第一人者としての名声を得ることになる。このLPレコードは、日本での演奏会活動の折に録音したもの。ハリーナ・チェルニー=ステファンスカのピアノ演奏は、一音一音のピアノタッチに曖昧さは全くなく、鍵盤の上に宝石を撒き散らしたような、繊細で透明感のある、それはもう本当に光り輝く宝石を間近で眺めているかのような錯覚に陥るほどの演奏内容なのである。いつも決して則を越えず、かといって少しも萎縮することなく、伸び伸びと、きりりと引き締まった弾きこなしは、ピアニストの鏡といっても過言でないような完成度の高い演奏をいつも聴かせてくれていたのである。このLPレコードでステファンスカは、十八番のショパンを、いつもの透明感のある、しかも情に溺れず、リズム感のいいピアノ演奏を存分にリスナーに味あわせてくれる。優美さと同時に完成度の高い演奏を聴かせてくれるステファンスカのようなピアニストに、今後出会うことは果たしてあるのだろうかとさえ思うほど類稀な、良き時代の名ピアニストであった。レパートリーはロマン派のショパンを中心とし、バッハから現代曲までと幅広かった。ヨーロッパ各地、アメリカ、カナダ、日本など世界各国で演奏会を開催し、高い評価を得た。ニューヨークの国連、カーネギーホールなどでも演奏を行い、室内楽奏者としても知られ、ポーランド文化功労賞や多数の勲章を受賞した。また、「ルービンシュタイン国際コンクール」などのコンクールの審査員も数多く務めた。録音は、ドイツグラモフォン、テレフンケンデッカ、HMV、RCAなどに多数残したが、全集としては、ショパンのマズルカ全集、ノクターン全集の録音なども完成させている。(LPC)
ブラームス:交響曲第4番
悲劇的序曲
指揮:ブルーノー・ワルター
管弦楽:コロンビア交響楽団
録音:1959年2月2、4、6、9、12日(ブラームス:交響曲第4番)
1960年1月23日(ブラームス:悲劇的序曲)
発売:1979年
LP:CBSソニー 23AC 553
コロンビア交響楽団とは、名指揮者ブルーノー・ワルターが引退したことに対して、是非ともステレオ録音を残してほしいという要望に応えて、臨時に結成されたオーケストラの名前である。このような例は、過去に例がなく、如何にワルターが当時愛された指揮者であったかを裏付けるものである。その一連のワルター指揮コロンビア交響楽団の録音の中でも、特筆されのが今回のLPレコードである。ブラームス:交響曲第4番の録音は、実にゆっくりとしたテンポで演奏される。何かワルターが自らの心の奥にある思いを吐露したような深遠さがある。この歴史的名録音を聴いていると、ワルターがこれまで自分が辿ってきた指揮者人生を振り返えり、そして最後に辿りついた結論がそこにあるような、誠に含蓄に富んだ演奏内容になっている。こう書くと何か単に後ろ向きの演奏内容に思われるが、ワルターの指揮は曲の持つ無限の可能性をオーケストラから引き出そうとし、その結果、一段と高い精神性を持った演奏内容となっている。このLPレコードのライナーノートで門馬直美氏は「ワルターの音楽の世界 つねに微笑を忘れず」というタイトルの文章を寄せているが、同氏はその中でワルターの演奏には「柔和な微笑の感じがいつも秘められている」と書いている。文字通り、このLPレコードでワルターは、“柔和な微笑”の指揮ぶりを、我々リスナーに存分に聴かせてくれる。ブルーノ・ワルター(1876年―1962年)は、ドイツ出身の20世紀を代表する指揮者の一人。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後、最初はピアニストとしてデビューしたが、その後、指揮者に転向。1896年ハンブルク歌劇場で、当時音楽監督の地位にあったグスタフ・マーラーに認められる。その後マーラーとともにウィーンへ転任。ウィーン宮廷歌劇場(ウィーン国立歌劇場)楽長、ミュンヘン宮廷歌劇場(バイエルン国立歌劇場)音楽監督、ベルリン市立歌劇場(ベルリン・ドイツ・オペラ)音楽監督、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団楽長などを歴任。第二次世界大戦後はヨーロッパの楽壇に復帰すると同時に、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽顧問を務めるなど、欧米で活躍した。1960年に引退したが、CBSレコードが、ワルターの演奏をステレオで収録するために、ロスアンジェルス付近の音楽家によるコロンビア交響楽団を特別に結成し、一連の録音が行われた。ワルターは、一度も日本を訪れることなく世を去ったが、日本人が最も敬愛する指揮者であったことは間違いない。(LPC)