★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ヨーゼフ・シゲティ&クラウディオ・アラウのベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第7番/第10番

2021-04-29 09:56:38 | 室内楽曲(ヴァイオリン)

ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第7番/第10番

ヴァイオリン:ヨーゼフ・シゲティ

ピアノ:クラウディオ・アラウ

発売:1976年

LP:キングレコード SOL 5040 

 “ヨーゼフ・シゲティの芸術”(全4巻)と名付けられたこのLPレコードは、第2次世界大戦の中の1944年(昭和19年)に、米国ワシントンの国会図書館で3回にわたって行われた、ヴァイオリンのヨーゼフ・シゲティ(1892年―1973年)とピアノのクラウディオ・アラウ(1903年―1991年)のよる「ベートーヴェン・ヴァイオリンソナタ全曲演奏会」のライブ録音盤である。当時、シゲティは50歳代の初めの最盛期にあり、シゲティの真の姿を伝える貴重な録音と言える。シゲティは“ヴァイオリン界の革命児”とも言える存在である。シゲティ以前のヴァイオリン演奏は、ヴィルトオーゾ風の誇張された演奏スタイルか、あるいはヴァイオリンの音色を極限にまで美しく歌い上げる演奏スタイルがほとんどを占めていた。これに対し、シゲティのヴァイオリン演奏は、曲の核心に向かってひたすら演奏し続け、曲の持つ隠された価値を表現するという演奏スタイルをとる。ヴァイオリンの美音に馴れた耳には、シゲティの奏でるヴァイオリンの音は、最初は違和感を持つが、しばらくするとシゲティのひた向きに曲に対峙する姿勢に共感を覚え、聴き終えるとヴァイオリンの音色には拘らなくなっている自分を発見することになる。それほど、シゲティのその曲に対する思い入れは激しいものがある。シゲティの演奏は、その曲に対する自分の解釈をストレートにリスナーに伝えるという求道的な姿勢に貫かれている。ヨーゼフ・シゲティは、ハンガリー・ブタペストの出身。このLPレコードでのシゲティの演奏は、シゲティの特徴である、曲の核心に向かってぐいぐいとつき進むさまが聴き取れる。録音のレベルは、今と比べれば良い状態とは言えないが、1944年のライヴ録音としては、よく音を捉えていると言っていいだろう。第7番の演奏でシゲティは、ベートーヴェンの作品らしく、あくまで力強く、同時に深遠な精神的広がりを持つ、この曲の特徴を如何なく表現し尽す。これほど、この曲の持つ奥の深さを表現し得た演奏は、現在に至るまでないのではないか。聴き終えると、少なくともこの曲に関する限り、ヴァイオリン特有の美音なんて必要でないとまで思ってしまうほど、シゲティの演奏内容は強烈な印象をリスナーに残す。一方、第10番は第9番までの曲とは作曲時期が離れており、後期の作品に近い。このため、通常の演奏は、ややもすると牧歌的な面や悟りに近い表現を取る。しかし、シゲティの演奏だけは違う。第9番までの曲と同じく、力強く内面にぐいぐい食い込む.。シゲティの実演が聴ける貴重な録音。(LPC) 

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◇クラシック音楽LP◇テオドール・グシュルバウアー指揮バンベルグ交響楽団のモーツァルト:交響曲第38番「プラハ」/第39番

2021-04-26 09:51:51 | 交響曲(モーツァルト)

モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」
       交響曲第39番

指揮:テオドール・グシュルバウアー

管弦楽:バンベルグ交響楽団

LP:日本コロムビア OP‐7012‐RE

 世の中には、実力以上に評価される指揮者もいれば、実力があるのに知名度はそう高くない指揮者もいる。このLPレコードでモーツァルト:交響曲第38番「プラハ」と交響曲第39番指揮をしているテオドール・グシュルバウアー(1939年生まれ)は、どちらかというと後者に当たるようだ。特にこのLPレコードでの交響曲第38番「プラハ」の名演ぶりには圧倒的なものがある。フリッチャイの求心力とシューリヒトの緻密さを兼ね備えたような演奏内容とでも言ったらいいのであろうか。グシュルバウアーは、ウィーンの生まれで、ウィーン国立音楽院に学ぶ。ウィーン・フォルクスオーパーやザルツブルク州立劇場の指揮者を経て、1969年にリヨン歌劇場の首席指揮者に就任。以後、リンツ・ブルックナー管弦楽団、ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団、ラインラント=プファルツ州立フィルハーモニー管弦楽団の各首席指揮者を歴任。モーツァルトの交響曲第38番は、プラハにおいて初演されたため、「プラハ」の愛称で親しまれている曲。曲は全3楽章からなる。このLPレコードでのグシュルバウアーの指揮ぶりは、実に堂々としており、その構成美は数多くある同曲の録音を大きく上回る。緻密の中にも、毅然たる意志力が見え隠れし、聴いていてもその充実した演奏に釘付けとなる。音の一つ一つが躍動しているのである。決して上っ滑りな音楽なんかでは毛頭なく、さりとて重々し過ぎることもない。中庸を行く演奏であるかもしれないが、同時に強烈な光が解き放されるような、今聴いても、その新鮮さに溢れた演奏には驚かされる。一方、モーツァルトの交響曲第39番は、1788年6月にウィーンで作曲された。第40番と第41番とともに、“三大交響曲”と言われ、その最初を飾る曲。交響曲第38番「プラハ」は、オペラ「フィガロの結婚」との親和性が指摘されるが、この交響曲第39番は、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」との関係がしばしば語られる。当時のモーツァルトは貧困に喘いでいたわけであるが、天才とは、そんな自己の境遇と真逆な曲風を作曲できるということか。曲は第38番とは異なり通常の4楽章構成であるが、モーツァルトの作品では例外的に木管楽器群にオーボエは使っていない。交響曲第39番でのグシュルバウアーの指揮は、基本的には第38番と同一なことが言えるが、この第39番では、力強さを前面に出すというよりも、何か憂いを含んだような表現が強調される。グシュルバウアーが、作曲時のモーツァルトの境遇を斟酌して、憂いを含ませて指揮したかのように私には感じられた。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団のベートーヴェン:荘厳ミサ曲

2021-04-22 09:43:53 | 宗教曲

ベートーヴェン:荘厳ミサ曲(歌詞:ラテン語)

          キリエ
          グローリア
          クレド  
          サンクトゥス(ベネディクトス)
          アニュス・デイ

指揮:オットー・クレンペラー

管弦楽:ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

独唱:エリザベート・ゼーダーシュトレーム(ソプラノ)
   マルガ・ヘフゲン(アルト)
   ワルデマール・クメント(テノール)
   マルッティ・タルヴェラ(バス)

合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ

合唱:ニュー・フィルハーモニア合唱団

LP:東芝EMI EAC-77255~6

 ベートーヴェンの荘厳ミサ曲は、宗教音楽の範疇から飛び出し、普遍的な精神世界における祈りであり、人類全体に向け心の連帯感を訴える、声楽つきの讃歌とも言える作品である。ベートーヴェンの曲の中では、荘厳ミサ曲に並び立つ、同系列の曲というと第九交響曲しか挙げることができない。このよう背景を持つ荘厳ミサ曲だけに、これまで幾多の名指揮者が録音を残しているが、その最右翼に挙げられるのが今回のLPレコードのクレンペラー盤である。クレンペラーは、全宇宙的なスケールの大きさで、この曲を最後まで雄大に描き切る。底知れぬ深みのある表現が際立っており、聴くもの全ての心の奥底まで感動を呼び覚まさせずにはおかない。表面的に美しさに甘んじることなく、もっと奥深いところでの人類同士の共感を目覚めさせられるような演奏内容である。今、地球上の多くの場所で人類同士の戦いが絶えないが、ベートーヴェンは、このことをあたかも予知していたかのようだ。ベートーヴェンは、荘厳ミサ曲において平和の大切さを訴え続けている。そして、クレンペラーの指揮は、このベートーヴェンの思いを全ての人々に届けるかのように、生きとし生ける者の連帯を訴え、人類讃歌としての理念を高らかに響かせる。そして、聴くものすべてが、その圧倒的に壮大な演奏内容に感動させられるのである。オットー・クレンペラー(1885年―1973年)は、ドイツのブレスラウ(現ポーランドのヴロツラフ)に生まれた指揮者。1907年プラハのドイツ劇場で指揮者としての活動を開始。1921年ベルリン・フィルにデビュー。しかし、クレンペラーはユダヤ系ドイツ人であったため、ナチス・ドイツ政権樹立に伴い、米国へと亡命する。亡命後、ロサンジェルス・フィルの指揮者となり、同楽団の水準を大きく向上させた。しかし、1939年に脳腫瘍に倒れ、後遺症のため指揮者活動は不可能となり、米国を去ることを余儀なくされる。これで、誰もがクレンペラーは終わったと考えたが、クレンペラーは強靭な意志力で復活を果たす。再び米国へ戻り、1954年からは、フィルハーモニア管弦楽団の常任指揮者としてレコーディングを開始し、EMIから数多くのレコードをリリースする。このベートーヴェンの荘厳ミサ曲もその中の1枚なのだ。到底不可能な状況を克服して指揮者にカンバックしたということは、一時は精神的にも極限状態に置かれ、その逆境を克服したものでしか理解しえない心境が、この録音を通してひしひしと伝わってくる。この録音では、クレンペラーの指揮に加え、独唱と合唱の充実さも特筆できよう。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇カラヤン指揮ベルリン・フィルのバッハ:管弦楽組曲第2番/第3番

2021-04-19 09:47:30 | 管弦楽曲

バッハ:管弦楽組曲第2番/第3番

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

フルート:カール=ハインツ・ツェラー

LP:ポリドール SE 7910

 バッハの管弦楽組曲全4曲の作曲年代は全て不明である。これは、自筆譜が全て失われているためだ。しかし、いくつかのパート譜が残されているため、演奏年代は推測できる。第1番と第2番は、おおよそ1721年、第3番と第4番は1727年~36年の作品ではないかと考えられている。つまり、第1番と第2番はケーテン時代、第3番と第4番はライプツィヒ時代ということになる。バロック時代の音楽の先進国はイタリアとフランスの2国であった。このため18世紀のドイツにおいては、イタリアとフランスの音楽を採り入れながら、ドイツ的要素を加えることによって曲の様式を整える風潮が強かった。当時、フランス風の管弦楽組曲の冒頭には、緩・急の対照的な部分からなる序曲が置かれ、この様式が次第にドイツにも波及することになる。このためバッハの管弦楽組曲の冒頭には、長大なフランス式序曲が4曲のすべてに置かれている。曲のその後の展開は、それぞれの曲で異なる。通常は、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグの4つの舞曲が基本となるが、バッハの管弦楽組曲の場合は、クーラント、サラバンド、ジーグ、ブーレ、ガヴォット、メヌエットなどの舞曲が4~6曲づつ続く。第2番は、ヴァイオリン2部、ヴィオラおよび通奏低音のほかに、フルート独奏の編成となっている。全曲はロ短調で統一されており、フルート協奏曲のようにフルートがソロとして強調されて用いられている。第3番は、1729年~31年に写筆されたパート譜が現存しており、ライプツィヒのコレギウム・ムジクムの演奏会用につくられたと考えられている。全体は、序曲の後、エア、ガヴォット、ブーレ、ジーグと舞曲が続く。このエアはウィルヘルミがヴァイオリン独奏曲「G線上のアリア」に編曲し、1871年に出版し有名になった曲。カラヤン指揮ベルリン・フィルは、真正面から曲に取り組み、繊細でありながら、全体に躍動感のある生き生きした表情を見せる演奏内容が見事だ。カラヤン指揮ベルリン・フィルのコンビは、ヘンデルの合奏協奏曲作品6でも名録音を残しているが、バッハ:管弦楽組曲の演奏でも、これに負けないほどのレベルの高い演奏を披露する。これらの演奏を聴くと、一般に思われているカラヤンの印象とはまた違った、音楽の核心に迫るカラヤンの真実の姿がくっきりと浮かび上がる。全体がバランス良く見事に整えられていると同時に、信仰心のような、あるいは安らぎのような雰囲気が醸し出され、リスナーは自然とその演奏に惹きつけられる。現代感覚に溢れた名録音と言っていいだろう。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団のシベリウス:交響曲第6番/第7番

2021-04-15 09:42:37 | 交響曲

シベリウス:交響曲第6番/第7番

指揮:ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー

管弦楽:モスクワ放送交響楽団

録音:1974年、モスクワ

LP:VICTOR VIC-4005

 今回はゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(1931年―2018年)が、モスクワ放送交響楽団を指揮した「シベリウス:交響曲全集」の中から、第6番/第7番を収録したLPレコードを取り上げる。ロジェストヴェンスキーは、1931年モスクワ出身の指揮者。20歳の時、ボリショイ劇場でチャイコフスキーのバレエ音楽「るみ割り人形」を指揮して一躍注目を浴びる。当時の旧ソ連政府は、ソ連文化省交響楽団を創設するのに際し、ロジェストヴェンスキーを音楽監督に就かせたことでも分かる通り、旧ソ連国内では確固たる地位を固めていた。初来日は、1957年。以後、度々日本を訪れ、1990年には読売日本交響楽団の名誉指揮者となる。さらに、長年ロシア音楽の普及に務めた功績により、2001年勲三等旭日中綬章を受章するなど、日本とは深いつながりを持つ指揮者だ。モスクワ放送交響楽団、ロイヤル・ストックホルム・フィル、BBC交響楽団、ウィーン交響楽団の各首席指揮者を歴任してきた、ロシアを代表する巨匠であった。シベリウスは、生涯で合計7曲の交響曲を作曲した。第6番は、第7番という最高傑作の橋渡し的交響曲という位置づけをされることもある。手法的にも内容的にも第7番に似ている曲とされることも否定できない。しかし、その一方では、田園的な楽想と抽象的な楽想の見事な統一という、独自性を兼ね備えた交響曲とも取れる。一方、交響曲第7番は、シベリウスが交響曲で到達した至高の境地が盛り込められた最高傑作という評価が下されている作品。単一楽章からなり、その内容も、第1番の交響曲から積み上げてきた、それまでの楽想の集大成といった趣が強い作風となった。このLPレコードでのロジェストヴェンスキーの第6番の指揮ぶりは、その出だしから北欧の田園的田園風景を思い起こさせるような、透明感と優雅さが込められており、引きつけられる。どことなく心躍るようにユーモラスに指揮する部分もあり、シベリウス特有の魅力がしばしば顔をもたげる。この録音は、シベリウスの後期の交響曲は難解だという、紋切型鑑賞法に一石を投じる内容だ。オケもロジェストヴェンスキーの指揮に敏感に反応する。一方、第7番は、深みを込めた指揮ぶりが全面を覆いつくし、シベリウスの心の底を除き込むような、壮絶さがリスナーにひしひしと伝わる。世界各地での紛争が絶えない人類へ対しての、何か祈りのようにも感じられる。これは、人類が到達した交響曲の最高峰の一つであり、そして、その演奏でもあり、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーの指揮の凄味の一端に触れた気がする。(LPC)

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