★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ギーゼキングとカンテルリ指揮ニューヨーク・フィルのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ライヴ録音盤)

2024-12-19 09:39:59 | 協奏曲(ピアノ)


ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

ピアノ:ワルター・ギーゼキング

指揮:グィード・カンテルリ

管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニック

録音:1956年3月25日、ニューヨーク(ライヴ録音)

発売:1980年

LP:キングレコード(Cetra) SLF 5013
 
 このLPレコードは、1956年3月25日にニューヨークで開催されたコンサートのライヴ録音である。ピアノはドイツ出身の巨匠ワルター・ギーゼキング(1895年―1956年)、指揮はイタリア出身で35歳の若さで飛行機事故で亡くなったトスカニーニの後継者と目されていた天才指揮者グィード・カンテルリ(1920年―1956年)、そして、管弦楽はニューヨーク・フィルハーモニックという、当時考え得る最高の演奏家達による演奏で、しかも、曲目はベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。これだけを見ても、目も眩みそうな組み合わせの演奏であるが、しかもライヴ録音というから凄い。音質も当時のライヴ録音としては上出来な部類に入るもので、現在でも充分に鑑賞に耐え得る。こんな豪華なコンサートであったが、その直後に、大きな悲劇が待ち受けていたなどということは、当日のコンサートの演奏に酔いしれた聴衆は誰ひとり予想もしなかったであろう。何と、ギーゼキングは、このコンサートの直後に、交通事故に遭い、同乗の夫人を失うととともに、自身も怪我をし、1956年11月26日に世を去ってしまう。一方、指揮者のグィード・カンテルリは、1956年11月24日、飛行機事故のため、パリのオルリー飛行場付近で35歳という短い生涯を終えることになる。つまり、カンテルリが飛行機事故で死んだ2日後に、ギーゼキングが交通事故のためこの世を去ってしまったのだ。これは、単なる偶然なのであろうか。あたかも、神が死ぬ前に、2人をコンサートで共演させたかのようにも感じられるほどである。ギーゼキングは、すでに当時、新即物主義のピアニストとして、その右に出るものはいないという巨匠中の巨匠であった。新即物主義というのは楽譜に忠実に演奏するスタイルであり、当時、ロマン主義で恣意的に演奏されていたピアノ演奏法をギーゼキングが根底から覆してしまったのだ。この流れは脈々と現在まで受け継がれている。ギーゼキングは、「皇帝」の録音をこのほか2つ遺しているが、いずれもスタジオ録音盤。トスカニーニは、「カンテルリが自分と同じような指揮をする」と言ってNBC交響楽団の副指揮者として招き、1956年には、スカラ座の音楽監督に指名した。このLPレコードで、ギーゼキングは、ライブ録音でしか聴けないような即興的な背筋のぴーんと張った迫力あるピアノ演奏を聴かせる。一方、カンテルリの指揮は、ギーゼキングに一歩も引かず、如何にもベートーヴェンの曲だと納得させられる、構成力のある伴奏が見事である。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇クララ・ハスキルのシューマン:ピアノ協奏曲/子供の情景/アベッグ変奏曲

2024-11-07 09:41:54 | 協奏曲(ピアノ)


シューマン:ピアノ協奏曲       
      子供の情景       
      アベッグ変奏曲

ピアノ:クララ・ハスキル

指揮:ウイレム・ヴァン・オッテルロー

管弦楽:ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団

LP:日本ビクター(PHILIPS) SFL‐7924

 このLPレコードのA面に収められたシューマンのピアノ協奏曲は、5年という長い月日を掛けて完成された。この協奏曲の第1楽章は、シューマンが31歳のとき「ピアノと管弦楽のための幻想曲」として作曲され、その後、2つの楽章が書き加えられ完成したもの。しかし、聴いてみると3つの楽章には統一感があり、一気に書かれた曲のような印象を持っている。シューマンは、ピアノ協奏曲を作曲するに当たり、名人風の協奏曲を狙ったのではなく、「交響曲と協奏曲と大きなソナタとを混ぜ合わせたような曲」づくりを目指したという。この曲の初演は、シューマン夫人のクララ・シューマンがピアノを独奏し、1845年にドレスデンで行われた。一方、B面に収められた「子供の情景」は、1838年、シューマンが28歳の時に作曲されたピアノ独奏曲。30曲ほど作曲した中から、13曲を選んで「子供の情景」という名前が付けられた。演奏上難しい技巧は必要としない代わり、夢や幻想などの雰囲気を内包した演奏内容でなければ、この曲集の真に意図するものを的確に表現することは到底出来ない。最期の「アベッグ変奏曲」は、1830年、シューマンが20歳の時に書かれたピアノ独奏曲。当時シューマンはハイデルベルグ大学で法律の勉強をしていたが、学友の一人に恋人がいて、その名をメタ・アベッグと言った。シューマンは、このアベッグの姓を音に当て嵌め、イ(A)、変ロ(B)、ホ(E)、ト(G)、ト(G)の5音を主題にして一つの変奏曲をつくり上げた。これがアベッグ変奏曲である。法律の勉強をそっちのけで音楽の勉強ばかりに没頭していた、如何にもシューマンらしい作曲の由来だ。これらのシューマンのピアノ曲をこのLPレコードで弾いているのがルーマニア出身の名ピアニストのクララ・ハスキル(1895年―1960年)である。ハスキルは当時、「モーツァルトの生まれ変わりのように演奏する」と言われていたが、その純粋で情念のこもった演奏は、シューマンのロマンの世界をつくりだすことでも突出した存在であった。このLPレコードでの演奏内容は、いずれの曲もシューマンの持つロマンの薫り高い世界を十全に描き切って、実に見事な出来栄えを披露している。一瞬、時間が止まったような、抒情の世界にリスナーを誘ってくれて、気分が安らぐ。ハスキルのような”夢”を演出してくれるピアニストは、貴重な存在だった。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇バックハウスのモーツァルト:ピアノ協奏曲第27番(ライヴ録音)/ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(ライヴ録音)

2024-10-31 10:27:20 | 協奏曲(ピアノ)

モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番(ライヴ録音)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(ライヴ録音)

ピアノ:ウィルヘルム・バックハウス

<モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番>

指揮:カール・ベーム
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

<ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番>

指揮:ハンス・ロスバウト
管弦楽:ケルン放送交響楽団

録音:1960年8月2日、ザルツブルグ音楽祭(モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番)    
   1950年10月16日、ケルン(ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番)

発売:1982年

LP:キングレコード K22‐168

 ウィルヘルム・バックハウス(1884年―1969年)は、ドイツ出身のピアノの巨匠。1905年、パリで開かれたルビンシュタイン音楽コンクールのピアノ部門で優勝。スイスに帰化した後、1954年には米国のカーネギー・ホールでコンサートを開催。その後訪日も果たしている。 若い頃は、“鍵盤の獅子王”と言われたほどのテクニシャンであった。今回のLPレコードの録音は、それまで未発表であったコンサートのライブ録音が収録された貴重な遺産である。バックハウスが遺したライブ録音としては、「バックハウス:最後の演奏会」のほかに、1954年3月30日にニューヨークのカーネギー・ホールで行ったベートーヴェンのピアノソナタを中心としたリサイタルが重要な録音として挙げられる。これらはいずれもリサイタルのライヴ録音であるが、今回のLPレコードに収録されたものはコンチェルトのライヴ録音というところがポイントとなる。バックハウスは、第27番以外のモーツァルトのピアノ協奏曲をあまり弾かなかったようであり、特に晩年は第27番だけに絞られていたという。一方、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番は、カール・ベーム指揮、およびハンス・シュミット=イッセルシュテット(1900年―1973年)指揮でそれまでに2回録音している。今回のレコードの指揮は、モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番がカール・ベーム(1894年―1981年)、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番がハンス・ロスバウト(1895年―1962年)である。ハンス・ロスバウトは、特にハイドンからベートーヴェンに至るまでウィーン古典派の作品に定評があった。このベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番について、ライナーノートにおいて浅里公三氏は「1950年の録音としては比較的音質が良く、また拍手も入っていないので、コンサートではなく生放送用の録音と思われる」と書いている。このLPレコードでのモーツァルト:ピアノ協奏曲第27番の演奏内容は、全体が襟を正した端正な表現に終始しており、モーツァルトの音楽が持つ純粋な美しさを満喫することができる。録音の最後で1960年8月2日当日のザルツブルグ音楽祭の聴衆の拍手が聞けるのが何となく嬉しい。ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番は、如何にもバックハウスの十八番らしく、スケールの大きい、柔軟性を持った表現力が印象に残る。ベートーヴェンに真正面から取り組み、その本質を見事に引き出す技には感服せざるを得ない。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇クララ・ハスキルのモーツァルト:ピアノ協奏曲第13番/ピアノソナタ第2番/「キラキラ星」の主題による変奏曲

2024-09-23 09:59:11 | 協奏曲(ピアノ)


モーツァルト:ピアノ協奏曲第13番
       ピアノソナタ第2番
       「キラキラ星」の主題による変奏曲

ピアノ:クララ・ハスキル

指揮:ルドルフ・パウムガルトナー

管弦楽:ルツェルン祝祭弦楽合奏団

録音:1960年5月5日~6日、ルツェルン、ルカ教会、ゲマインデザール

LP:ポリドール(ドイツグラモフォン) MGW5263

 クララ・ハスキル(1895年―1960年)は、ルーマニア出身の名ピアニスト。15歳でパリ音楽院を最優秀賞を得て卒業し、ヨーロッパ各地で演奏活動を展開するが、1913年に脊柱側湾の徴候を発症し、以後、死に至るまで病苦に苦しめられることになる。このために当初は正統な評価を受けることは少なかった。しかし、第二次世界大戦後の1950年を境に一躍脚光を浴び始め、カラヤンなど著名な指揮者や演奏家に支持されると同時に、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国での演奏活動において、熱狂的な聴衆に支持され、その名声は世界的に広まるようになる。得意としたレパートリーは、古典派と初期ロマン派で、とりわけモーツァルトの演奏には定評があった。室内楽奏者としても活躍し、アルテュール・グリュミオーの共演者として高い評価を受けることになる。しかし、演奏会へ向かうブリュッセルの駅で転落した際に負った怪我がもとで死に至る。現在、その偉業を偲び「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール」が開催されていることはご存じの通り。そんなクララ・ハスキルが、このLPレコードにおいて、お得意のモーツァルトの初期の作品を演奏している。ピアノ協奏曲第13番は、第11番、第12番とともに、1783年にウィーンで作曲された曲。3曲のうち第13番だけ、管弦楽にトランペットとティンパニーを加え、華やかさを備えている。ピアノソナタ第2番 ヘ長調 K.280は、ハイドンの影響が強い、最初期のピアノソナタの1つであるが、モーツァルトならではの個性がいち早く現れている作品。「キラキラ星」の主題による変奏曲は、1778年に作曲したピアノ曲で、当時フランスで流行していた恋の歌「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」 を基にした変奏曲。このLPレコードでのクララ・ハスキルの演奏は、これらモーツァルトの初期の作品を、誠に愛らしく、純粋に弾いている。クララ・ハスキル自身が、若き日のモーツァルトに同化したかのような演奏内容となっている。そこにあるのは、ただ一途に、音楽だけに奉仕するような、限りなく純粋な愉悦の世界が深く広がっている。これは、クララ・ハスキルが不世出のピアニストであったことが実感できるLPレコードであり、そして何よりモーツァルト弾きとしての真骨頂を存分に発揮していることを、聴いて取ることができるのである。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇ゲザ・アンダ&フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団のバルトーク:ピアノ協奏曲第2番/第3番

2024-05-23 09:37:04 | 協奏曲(ピアノ)


バルトーク:ピアノ協奏曲第2番/第3番

ピアノ:ゲザ・アンダ

指揮:フェレンツ・フリッチャイ

管弦楽:ベルリン放送交響楽団

録音:1959年9月10日、15日、16日(第2番)/1959年9月7日~9日(第3番)、ベルリン、イエス・キリスト教会

LP:ポリドール SE 7102(ドイツ・グラモフォン MG 2221)

  バルトークは、生涯で3曲のピアノ協奏曲を作曲したが、このLPレコードにはそのうち第2番と第3番とが収められている。第2番は、1930年から1931年にかけて作曲された曲。ロマン派のピアノ協奏曲に慣れた耳には、最初に聴くと違和感に捉われるが、何回か聴いていくとピアノを打楽器のように扱う面白さや飛び跳ねるような軽快なリズム感に共感を覚えるようになってくる。ロマン派のピアノ協奏曲では朗々としたメロディーが奏でられ、それがアピール点に繋がっている曲がほとんどであるが、このバルトークのピアノ協奏曲第2番は、断片的なメロディーが、手を変え品を変え、現れては消え、また現れるといった具合で、一時も気を休める暇はない。この曲は、ピアノ演奏の最高度の技法を必要とするそうであるが、リスナーだってうかうかとしていられない。バルトークの才気あふれる楽想に付いて行こうとするなら、とてもぼんやりとは聴いてはいられないのだ。しかし、全3楽章を聴き通してみると、これほど音楽の可能性にチャレンジして、そして成果を挙げたピアノ協奏曲は滅多にないことを実感できる。第3番のピアノ協奏曲は、1945年の春から書き始められた。バルトークの死は1945年9月26日であるから、作曲当時、既に重い白血病におかされ、最後の17小節は遂に書くことが出来なかった。この第3番は、第2番とは趣がらりと変わり、ロマン派のピアノ協奏曲を思わせる朗々とした美しいメロディーに彩られている。一般的には第3番の方が聴きやすい曲であると言える。このためバルトークが古典へ回避したと非難する向きがないわけではないが、曲自体はそんな俗論をはねのけるような精神性の高みに立った内容を持つ。白鳥の歌とも言える深い孤独感や音楽に対する純粋性などから、バルトーク最高の傑作とする見方すらある。ピアノのゲザ・アンダ(1921年―1976年)は、卓越した技巧で、この2曲の真髄を見事に弾き分けており、見事というほかない。フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団も、その持てる力を存分に出し切った白熱の演奏内容で応える。バルトークの曲は、その多くはとっつき易いとはとても言えないが、音楽的な充実度では、他に比肩するものがないほどの高みに達している。そのことは、このLPレコードを聴けば、誰でもが納得することができる。(LPC)

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