ハイドン:交響曲第101番「時計」
交響曲第95番
指揮:フリッツ・ライナー
管弦楽:臨時編成による交響楽団
録音:1963年
LP:RVC(RCA) RCL‐1001
このLPレコードで指揮をしているハンガリー出身のフリッツ・ライナー(1888年―1963年)は、10年間にわたりシカゴ交響楽団音楽監督を務め、同楽団を一流オーケストラに生まれ変わらせたことで知られる。リスト音楽院に学び、バルトークやコダーイ等に師事したという。1909年、同音楽院を卒業後、ブダペストのコミック・オペラに入団し、ティンパニー奏者と声楽コーチを担当。フリッツ・ライナーの録音を聴くと、いつも歯切れのいい、軽快な指揮ぶりに感心させられるが、これはティンパニー奏者としての経歴からきているのではないかとも言われている。1922年のアメリカに渡り、シンシナティ交響楽団の音楽監督に就任後、 ピッツバーグ交響楽団、メトロポリタン歌劇場などで活動する。そして1953年に、シカゴ交響楽団の音楽監督に就任し、死去までの10年間、同楽団の黄金時代を築いたのである。このLPレコードは、フリッツ・ライナーが遺した数多くの録音の最後の録音(1963年)となったもので、特に、ハイドン:交響曲第101番「時計」は、数ある同曲の録音の中でも、屈指の出来栄えを誇るものとなった。オーケストラは、単に「交響楽団」とだけクレジットされた”覆面オーケストラ”となっている。その実態はメトロポリタン歌劇場管弦楽団、ニューヨーク・フィル、ピッツバーグ交響楽団、シカゴ交響楽団等からの選抜メンバーで構成された臨時編成のオーケストラ。ハイドン:交響曲第101番「時計」は、1793年にウィーン近郊で着手し、翌1794年にロンドンで完成させたロンドン交響曲のうちの1曲。愛称の「時計」は、19世紀になってから、第2楽章の伴奏リズムが時計の振り子の規則正しさを思わせることから付けられたもの。一方、交響曲第95番は、ハイドンが1791年の第1回ロンドン旅行のおりに作曲した交響曲で、いわゆる「ロンドン交響曲」と呼ばれる中の1曲で連作の中では唯一の短調作品。交響曲第101番「時計」は、全楽章にわたり、フリッツ・ライナーの特徴である、筋肉質で、しかも軽快なリズムに乗り、オーケストラの持つ能力を極限にまで引き出す指揮ぶりには感心させられる。これを聴くと大変耳の良い指揮者であったことが推察できる。逆に言うと、オーケストラは少しの手抜きも許されず、さぞ大変であったのではなかろうか。交響曲第95番は、統一感のある肉太な指揮ぶりが印象的。(LPC)