シューマン:歌曲集「ミルテの花」全曲
1. きみにささぐ
2. 自由な心
3. くるみの木
4. だれかが
5. 西東詩編「酌亭の書」から―ただひとりいて
6. 西東詩編「酌亭の書」から―手あらく置くな
7. はすの花
8. お守り
9. ズライカの歌
10. ハイランドのやもめ
11. 花嫁の歌「おかあさま、おかあさま」
12. 花嫁の歌「あの人の胸に」
13. ハイランドの人々の別れ
14. ハイランドの人々のこもり歌
15. ヘブライの歌から「心は重く」
16. なぞ
17. ヴェネチアの歌「静かに船を」
18. ヴェネチアの歌「広場を風が」
19. 大尉の妻
20. 遠く、遠く
21. ひとり残る涙
22. だれも
23. 西の国で
24. あなたは花のように
25. 東の国のばら
26. 終りに
テノール:ペトレ・ムンテアヌー
ピアノ:フランツ・ホレチェック
発売:1978年8月
LP:日本コロムビア OC‐8021‐AW
シューマンとクララ・ヴィークの結婚式は、1840年9月12日にライプチッヒ郊外のシェーネフェルトの教会で行われた。シューマンは、その前夜、「わが愛する花嫁に」という献呈の文字をミルテの花で飾った一冊の歌曲集をクララの許へと届けていた。これがシューマン:歌曲集「ミルテの花」なのである。何故、ミルテの花かというと、北欧では花嫁のヴェールにミルテの花をつけ、その白い花の香りの高さによって、花嫁の純潔と美とを象徴する習慣があるからである。つまり、この歌曲集「ミルテの花」の1曲、1曲が、クララに対する愛情がこもった内容となっており、シューマンにとっては、長い間の苦悩と忍従を通して、やっと結婚が成就できたという思い出が込められた歌曲集なのである。シューマンは、当初、ピアニストを目指すが、指を痛め断念し、作曲と評論の道へと進む。このことにより、恩師の娘でピアニストのクララへの愛が、ピアノ曲の作曲へと向かわせることになる。しかし、クララの父の反対で結婚への道のりは簡単なものではなかったのだ。そんな中、シューマンは、ハイネ、バイロン、リュッケルト、ゲーテらの詩集から自ら詩を選び、そして作曲し、一つの歌曲集としてまとめ上げた。これが歌曲集「ミルテの花」として結実したのである。シューマンは、文学の素養を充分に持っていたため、詩の選択には誰もが一目を置く存在であった。このことが、ドイツ・ロマン派の味わい深い歌曲を完成させることに繋がったのだ。1840年は、この「ミルテの花」のほか「リーダークライス」「詩人の恋」など全部で180曲もの歌曲を書き続ける。このことから、この年は、後世”シューマンの歌の年”と呼ばれることになる。このLPレコードではテノールのペトレ・ムンテアヌー(1916年―1988年)が歌っている。ペトレ・ムンテアヌは、ルーマニア生まれ。ブカレスト国立歌劇場でデビューした後、ベルリンに留学。その後、イタリアに渡り、1947年にスカラ座にデビュー。ドイツリートでは日本でも熱狂的なファンがいた。このLPレコードでも少々くぐもったような音質が、シューマン独特のロマンの世界を表現することに成功しているといえよう。ドイツ・ロマン派の音楽、特に歌曲においては、詩的で幻想的な個人の内面の世界が、その歌声に込められていなくてはならない。その点から見ると、ムンテアヌーはこの曲集の最適な歌手の一人であったと言うことができる。(LPC)
いましたが、歌曲集「ミルテの花」をめぐる挿話を伺い、
彼らが素敵なカップルであったことがよくわかりました。
良いお話を聞かせていただきありがとうございます。
この歌曲集は手元にありませんが、いつか入手して
聴いてみたいと思います。