ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
チェロ:ピエール・フルニエ
指揮:ジョージ・セル
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1962年6月1日~3日、ベルリン、イエス・キリスト教会
LP:ポリドール(ドイツ・グラモフォン 2544 057)SE 7810
ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、交響曲「新世界」、弦楽四重奏曲「アメリカ」と並びアメリカに滞在中に作曲された曲だ。1892年、51歳の時、ドヴォルザークがアメリカのニューヨークに新たに設立された国民音楽学校の校長として招かれた時である。ふるさとのボヘミアの自然を思い出しながら作曲したと言われているだけに、曲全体が豊かな自然の中から生まれでたような安らぎを覚える。特に旋律が限りなく美しく、それらを聴いているだけでうっとりとしてしまうほど。それも、ただ美しい旋律と言うだけでなく、アメリカでの生活の孤独感がそこはかとなく滲み出ており、その上に故郷のボヘミアへの郷愁が加わり、聴くものの心に、ひしひしと伝わってくる。よく考えてみると、同じことは交響曲「新世界」、弦楽四重奏曲「アメリカ」にも言えることであり、いずれも名曲として現在でも聴衆から絶大な人気を得ていることは、ドヴォルザークの作曲家としての力量が並外れたものであったことが裏付けられる。ブラームスは、このドヴォルザーク:チェロ協奏曲を聴いた感想として「こんなすばらしいチェロ協奏曲が書けるのなら、私も、とっくに書いているであろう」と語ったという。このLPレコードでチェロを弾いているのがフランスの“チェロの貴公子”の愛称で知られたピエール・フルニエ(1906年―1986年)である。ピエール・フルニエは、フランス、パリ出身。1923年パリ音楽院を一等賞で卒業した翌年、パリでデビューを果たす。独奏者として優れていただけでなく、世界的な名手たちとの室内楽を多く手がけた。1942年にヨゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)、アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)との三重奏、さらにウィリアム・プリムローズ(ヴィオラ)を加えた四重奏で活動。また、1945年、カザルス三重奏団からパブロ・カザルスが抜けた後、ジャック・ティボー(ヴァイオリン)、アルフレッド・コルトー(ピアノ)とトリオを組む。1954年初来日し、ピアノのヴィルヘルム・ケンプとジョイントリサイタルは、当時の多くのファンを湧かせた。ピエール・フルニエは、このLPレコードでも実に気品のある演奏を聴かせており、あたかもドヴォルザークが、故郷のボヘミアを偲んで弾いているかのようなしみじみとした感覚がよく出ている演奏内容。ジョージ・セル指揮ベルリン・フィルの演奏は、伴奏というより独立した管弦楽曲を聴くように堂々としているが、同時にピエール・フルニエの演奏も充分に引き立てている。(LPC)
~ハリーナ・チェルニー=ステファンスカのショパン:24の前奏曲~
ショパン:24の前奏曲op.28
前奏曲変イ長調遺作
前奏曲嬰ハ短調op.45
ピアノ:ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(24の前奏曲op.28)
バルバラ・ヘッセ=ブコウスカ(前奏曲変イ長調遺作)
ボレスワフ・ヴォイトヴィッチ(前奏曲嬰ハ短調op.45)
発売:1975年8月
LP:日本コロムビア OW‐7556‐PM
ショパンは、全部で26曲の前奏曲を作曲した。通常、ショパンの前奏曲と言ったらop.28の1~24の「24の前奏曲」を指すわけだが、ショパンはこの前後に1曲ずつの前奏曲を作曲している。その一つが、ショパンの最初の前奏曲である変イ長調遺作、もう一つが24の前奏曲の後に作曲した嬰ハ短調op.45である。変イ長調遺作の自筆原稿は20世紀になって発見され、1918に出版され翌年初演されている。一方、嬰ハ短調op.45は、24の前奏曲の後の1841年に作曲されたショパンの最後の前奏曲。このLPレコードには、以上の26曲の前奏曲が収録されている。使用されている楽譜は、ポーランドのクラカウで1949年に出版された「ショパン全集第1巻(第9版)」(通称:パデレフスキ版)で、このLPレコードは、これに基づいて演奏されている。ショパンの24の前奏曲は、1836年から1839年の4年間をかけ作曲された。数あるショパンの作品の中において一貫した内容を持った作品で、変化に富むと同時に、深い曲想を持っているのが特徴。中でも第15番の「雨だれの前奏曲」は、特に名高く、この1曲だけが演奏されることも多いが、24曲を全て弾くことにより24の前奏曲の真の姿が浮かび上がる。この24の前奏曲を演奏しているのがポーランドの女性ピアニストとして一世を風靡したハリーナ・チェルニー=ステファンスカ(1922年―2001年)である。ハリーナ・チェルニー=ステファンスカは、ポーランド出身。1949年第4回「ショパン国際ピアノコンクール」で第1位および最優秀マズルカ演奏賞を受賞。その後、パリに留学し、エコールノルマル音楽院でコルトーに師事。ショパン・コンクールでの成功を機に、全世界でショパンを中心とした演奏活動を展開し、ポーランドを代表するショパン弾きとして一世を風靡した。レパートリーはショパン以外にバロック、古典から現代曲まで多岐にわたる。ハリーナ・チェルニー=ステファンスカの演奏内容は、繊細を極めたもので、あたかも宝石をちりばめたような美しさが身上。このLPレコードでも、その特徴が最大限に発揮されており、ショパンの24の前奏曲の持ち味を存分に味わうことができる。変イ長調遺作で演奏するのは、ポーランドの女性ピアニストのバルバラ・ヘッセ=ブコウスカ(1930年―2013年)で、1949年ポーランドから戦後初の「ショパン国際ピアノコンクール」に出場し第2位を受賞した。(LPC)
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番/第7番
ヴァイオリン:ダヴィッド・オイストラフ
指揮:ルドルフ・バルシャイ(第3番)
キリル・コンドラシン(第7番)
管弦楽:モスクワ室内管弦楽団(第3番)
モスクワ放送交響楽団(第7番)
発売:1974年
LP:ビクター音楽産業 MK‐1060
モーツァルトは、生涯に8曲のヴァイオリン協奏曲を作曲している。そのうちこのLPレコードには、第3番と第7番の2曲が収められている。ヴァイオリン演奏は、旧ソ連最大のヴァイオリニストであるダヴィッド・オイストラフ(1908年―1974年)、指揮者は、これも旧ソ連を代表する名指揮者であるルドルフ・バルシャイ(1924年―2010年)およびキリル・コンドラシン(1914年―1981年)である。もうこれだけの役者が揃えば名録音は間違いない、と思って聴くと予想通り、愛らしくも、機知に富んだモーツァルトのヴァイオリン協奏曲の名品が、極上の演奏となって耳に飛び込んでくる。“ザルツブルグ協奏曲”と呼ばれる第1番から第5番のモーツァルトのヴァイオリン協奏曲は、1775年4月から12月と短期間に作曲されている。第3番は、如何にもモーツァルトらしい作風である、軽快さ、明るさ、優美さとが織り交ぜられており、美しいメロディーが曲全体に散りばめられ、ヴァイオリンの魅力が余す所なく発揮される。一方、第7番は、第6番とともに自筆原稿が失われているものの、第7番は、草稿の写しが残されており、それには1777年7月16日に作曲されたことが記されている。しかし、ソロ・パートの重音技法や管弦楽法、各楽章の形式など、当時のモーツァルトの様式にそぐわない点が指摘されるなど、現在ではモーツァルト作ではないか、少なくとも他人による加筆があることは間違いない作品とされている。この第7番以後、モーツァルトは、ヴァイオリン協奏曲を作曲していない。今考えると不思議と言えば不思議なことではあるが、当時、ヴァイオリン協奏曲の位置づけは現在考えるほど高いものではなく、このためモーツァルトはヴァイオリン協奏曲に拘らなかったようだ。第7番の完成は、“ザルツブルグ協奏曲”から2年しか経ってないが、内容は一層充実感が増しているように聴こえる。“ザルツブルグ協奏曲”が貴族的な優美さに徹した内容とするなら、第7番は偽作の疑いがある曲とは言いながら、より自由な新しい音楽空間を探り当てたような爽快感を聴いていて感じ取ることができる。曲としてのスケールも一回り大きくなったように感じられる。ダヴィッド・オイストラフは、この2曲を集中力の限りを尽くして弾いている。メリハリの利いたダイナミックな演奏を聴き終えた後は、清々しさだけが残り、改めて名人芸の凄さを感じさせられる演奏となっている。(LPC)
ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲「ドゥムキー」
スーク:ヴァイオリンとピアノのための小品集
「愛の歌」「バラード」「メランコリー・メロディー」「ブルレスク」
ピアノ:レフ・オボーリン
ヴァイオリン:ダヴィッド・オイストラフ
チェロ:スビャトスラフ・クヌシェヴィッキー
録音:旧ソ連 MK
LP:ビクター音楽産業 SH‐7770
ドヴォルザークは、ボヘミアのプラハに近い村で生まれた作曲家である。このことがドヴォルザークの作曲家人生の原点にあり、民族音楽の泰斗として今日までその名を広く知らしめているのである。同じ境遇の作曲家としてスメタナがいるが、スメタナが交響詩などで民族意識を強く前面に立てたのに対し、ドヴォルザークは、交響曲や室内楽曲など、所謂絶対音楽においてその才能を発揮した。このため同じ土俵に立つブラームスと親交が厚かったようである。そんなドヴォルザークが作曲した室内楽曲の名曲が、今回のLPレコードのピアノ三重奏曲「ドゥムキー」である。ドヴォルザークは、全部で4曲のピアノ三重奏曲を作曲しているが、「ドゥムキー」は最後に作曲された曲であり、古今のピアノ三重奏曲の中でも傑作として知られている。ドゥムキーとは、ウクライナ地方を起源とするスラブ民族の哀歌「ドゥムカ」の複数形のことで、ゆっくりとした悲しげな部分と速く楽しげな部分とが交互に現れるのが特徴。全体は5つの楽章からなっているが、第1楽章が大きな2部形式で書かれているため、各部を1つの楽章と見た6楽章説もある。ここで演奏しているのが、ピアノ:レフ・オボーリン(1907年―1974年)、ヴァイオリン:ダヴィッド・オイストラフ(1908年―1974年)、チェロ:スビャトスラフ・クヌシェヴィッキー(1908年―1963年)という、当時のソ連が誇る最強の演奏者3人によるもの。今考えると同世代でよくこれほどの名人を当時のソ連が輩出できたもんだと感心するほど。三重奏曲の演奏は、名人が3人揃ったからといって必ずしも名演が聴かれるわけではないが、この録音での3人の息はピタリと合い、名曲「ドゥムキー」を、キリリと引き締まった名演奏で聴くことができる。このLPレコードのB面にはヨゼフ・スーク(1874年―1935年)のヴァイオリンの小品が4曲収録されている。スークはヴァイオリンを学んだ後、作曲をドヴォルザークに学んだ。スークのヴァイオリンの作品で最も有名なのは作品17の4曲であるが、このLPレコードには、第2曲の「情熱的に」が欠けており、代わりに作品7の1「愛の歌」が入っている。このスークの4曲のヴァイオリン小品も、ヴァイオリン:ダヴィッド・オイストラフ、ピアノ:レフ・オボーリンによる、しみじみと心に沁みる名演となっている。ただ、このLPレコードは惜しいことに録音の質が今一つ冴えない。(LPC)