今日、なんとなく唐松神社に行ってみた。
なんとなく行くにはなかなかの距離だけど、車を走らせている間の一人っきりのリラックスできるあの時間は好きだし、距離や時間のことはあまり苦にならなかった。
車に乗って長距離を運転していると、自分の内面を見つめられたりしてとても有意義に過ごせる気がする。
もちろん、運転も十分に気をつけながら。
今日は車の中で、アニメの「まどか☆マギカ」の最終回が浮かんでいた。
わたしは本当にあのアニメの最終回が大好きで、最終回だけ、定期的に見たくなるときがある。
最終的にまどかは、魔法少女たちが絶望に染まらないように、過去現在未来、すべての時間の魔法少女の死の瞬間にパッと現れて絶望を吸収し、すべてを受け止める存在になる。
そんなまどマギのシーンが浮かんだときに、数年前に看取った愛犬の最期の光景が一緒に思い出された。
その光景が浮かんだ時、「あ、そうか、まどかみたいなことってできるんだな」と思った。
そう思ったら死に間際の愛犬の姿とあの時の動揺している自分の後ろ姿が少し離れて見えたので、数年前のあの瞬間にいた自分と愛犬を白い光で包んでみた。
イメージなので実際の効果のほどはわからないけれど、車の中で運転に集中しつつもなぜだか涙が出てきた。
その時、なんとなくもっともっと遠い遠い未来から、今の運転している自分に向けても、同じようにあたたかい光が注がれていることを感覚的に感じた。
未来?もしかしたら過去からかもしれないし、今なのかもしれないけども…。
どの時間からでも同じか、とも思った。
文字で書くとなんだか仰々しいし、うまくまとまらないなぁ…。
でもなんだか自分の中でピンときた瞬間だった。
レイキでも過去や未来にレイキを送る、というのがあるけども、マントラやシンボルの手順を意識しすぎてしまって。
…というか、過去や未来にもレイキを送れること、今日までスコンと忘れてた…。
う~ん。
レイキの感覚よりも、自分には光をイメージする方がやりやすくて馴染みやすい気がするなぁ…。
そんなことを運転しながら考えたりして、車の中で勝手にわたしは一人で泣いて、スッキリしたりしていた。
そこそこの長距離運転も、定期的に自分に必要なのかもしれないなぁ。