Harvest*

日々の中で感じたことや思ったことの記録

他人の荷を背負うとき

2014-09-01 20:23:13 | 日記
毎日、ハートセンターに集中する時間をつくろう、なるべく多くの時間をそうしていよう、と思いつつ日々を過ごしていても、人と人と接する中で、いろんなことが起こって、そうすることを忘れてしまう日があります。

それで、ちょっとOSHO禅タロットをネットでひいてみたら、「重荷」というカードが出てきました。

見るからにあまりいい意味ではないことまるわかりのカードです。

ぐったりした人が、元気でピンピンしている人を背負っています。

背負っている人は疲れてげんなり。生気がありません。

背負われている方は、「早くあっちへ進め」といわんばかりに、命令しているように見えます。身なりも豪華で。

なぜ、彼は人を背負っているのだろう?
そして、ボロボロになってまでも、なぜ降りて自分の足で歩いてもらうことを相手に告げないのだろう?

男は今にも倒れそうです。

倒れるまでおんぶを続けるつもりでしょうか…。

そのカードを見た時にこう思ったのでした。

どうして、わざわざ他人の重荷を背負うような真似をするの?

それは頼まれてもいないのに、他人の問題を一生懸命考える事。

そのことに支配されること。

そうして振り回されて、ぐったり疲れてる。

昨日のわたしはまさにこのカードの通り。

気づけば人のことばかり考えていました。

振り払おうとしても、いつのまにか他人のことばっかり考えてしまう。

そんな状態の自分を感じて、バーソロミューの本の言った通りだなぁ…と思ったのでした。

そこで、久しぶりにバーソロミューの本の気になっていた部分を読み返してみたら、急に明るくてスッキリした気持ちが湧いてきました。

やっぱり忘れてた。

なんでハートセンターに集中するか、今にフォーカスするか、ハートセンターをピンク色で満たすことをする練習をする、その根本の理由を、わたしは忘れかけていました。

それは、他人に振り回されないために始めたんだっていうことを。

揺らがない自分になりたいからだっていうことを。

そのことについて書かれている本の部分がとても心に響くので、折角なのでここでシェアしたいなぁとなぜかすごく昨日の夜中に思いました。

長いですが、その部分を掲載したいと思います~。

特に「出かけて行って人の悩みを借りてきます」という部分にわたしはとても考えさせられました。

必要以上に他人のことを考えてしまうときの自分。

そんなときは、まさにそれですね。

自分のことを見ていない。気をつけよう~。

以下、「バーソロミュー 大いなる叡智が語る愛と覚醒のメッセージ」より。

人生に何も悩みがなかったら、あなたはどんな状態にあるでしょうか。

何も悩みがなかったら、あなたはどんな生き方をしているでしょうか。

このことをよく考えてみてください。

自分の想念の構造を注意深く観察してみると、悩みを解決することに人生の意義を見いだしていることがわかるはずです。

そこで、いったん悩みを解決すると、それを喜ぶ代わりに、「今度は別の悩みがある」とあなたは言い、悩みを見つけます。

それが本物の悩みでなければ、本物を創りだします。

それが緊急の悩みでなければ、出かけていって人の悩みを借りてきます。

そして、自分たちの人生は悩みだらけだと、お互いにこぼし合うのです。

ここであなた方に宿題をあげましょう。

これから一ヶ月のあいだ、自分には何も悩みがないのだと思って暮らしてみて下さい。

そうして、それに対して自分のエゴがどんな抵抗をするのか、観察してください。

自分の悩みや人の悩みを解決したいという欲求の強さを観察してください。

その結果、悩みの解決にやっきになっている限り、それを乗り越えることはできないのだ、ということを理解してください。

求道者は多いのに、悟りを開いた者が少ないのは、こういう理由からです。

「問題解決が人生で最も重要なことだ」という考えをわきにやってしまうことができれば、その人はすばらしい波動のエネルギーに満たされ、自分自身の不調和が癒されるばかりか、まわりの人の不調和さえも癒すことができるようになります。

神の真理の道を歩きたいと真剣に思っている人は、まず「実在しない」自分の問題について悩むことをやめてください。

そして人生のおもむくままに従い、自分を自由にしてくれる内面の奥深くに意識を集中してください。

私の言うことは気に入らないかもしれません。

しかし、あなたが自分の悩みはこんなにも大きいと、どんなにかたく信じていても、本当は問題など全く存在しないのです。

この世は“大いなる愛と光”に満ちたところで、問題など存在しないと信じることができた瞬間から、それが実現し始めます。

そして、本当にその通りになったときに、他人にむかって「あなたの悩みは重要ではない」とあなたが言ったとすると、その人はイヤな顔をするにちがいありません。

では、どうすれば他人を助けられるでしょうか。

ただ、ありのままの自分でいることです

あなたの「あり方」そのものが問題の解決になります。

人はお互いの鏡です。

あなたは自分の中の何を反映することを選びますか。

お互いの悩みを相手に反映し合うことで、自分たちは非力な存在だという考えを確認し、強化し合っているのです。

お互いの顔のなかに自分の顔を見ています。

こうして、あなたは自分自身を見ていることになります。

ですから、自分の内部の調和に意識を集中すると、別の顔を投影し始め、全く違う顔になってしまいます。

この別の顔を投影し始めることができると、あなたに会う人はすべて希望に満たされます。

自分もまた、究極の自由を得られるかもしれないという希望です。

人に尽くしたいのなら、自分自身の鏡をきれいにみがくことです。

そうすれば、ほかの人も自分自身の“神聖なるもの”だけを見るようになります。

人を助けたいのなら、おしゃべりをやめ、あれこれ考えるのをやめ、愛し始めることです。

怖れるものは何もないということを理解できるのは、無条件の愛の力によります。

力と愛は一つです。あなたはこのことをわかっています。

汝は愛なり。

これはあなたが経験することであり、真理です。

あなたは今、愛であり、今までも愛であったし、これからもずっと愛です。

愛以外のものを反映する鏡は、真理を反映していません。

どうか信じてください。

自分が愛されていることがわからないというのは、大変な苦悩です。

自分以外に愛を求めている限り、決して見つかりません。

たった一つの完全なる愛は、自分の心の内から出てくる愛です。

それは、変わることのない永遠の“大いなる愛”につながり、それと一つに溶け合う愛だからです。

人間の愛はまだ非常に気まぐれだということを、あなた方は心の底では十分にわかっているはずです。

もうこのあたりで、もっと違うものを探してみませんか。