今日は、昼頃から上野に出かけ、
↓ここへ。
でも、その前に、アメ横↓の
↓この店で、腹ごしらえ。
大きな餃子で有名な店です。
大きさで、普通の3~4倍、
餡の量で7倍くらいあります。
これだけで腹一杯ですが、
ラーメンも。
これは、どこにでもある味。
その後、東京文化会館へ。
何年ぶりでしょうか。
昔は、オペラを観に、よく通ってものですが。
そういえば、私のオペラ初体験は、
ここでの「椿姫」上映会。
なぜか字幕がなく、
終わった後、友人と、
「あの、椿姫を訪ねて来たおじさんは、誰?」
「パトロンじゃないの?」
とトンチンカンな会話を交わしました。
今日の演目は、↓。
既に観尽くした感のある作品ですが、
今回、チケットを取ったのは、
チームラボとのコラボであることから。
チームラボ・・・
デジタル技術を駆使した「デジタルアート」を作成する会社。
↓のような展示を東京、シンガポール、ドバイ、マカオなどで開催しています。
東京にある2箇所の展示場は、既に行ったことがあり、
「トゥーランドット」を題材に、
どんなことをするのだろう、
という関心でやって来ました。
よく見えるように、センターの席を確保。
このプロダクションは、
昨年6月にスイスのジュネーヴ大劇場でワールドプレミエを迎え、
今度の公演は、二期会による東京公演。
奇抜な演出になるだろうな、
と覚悟していたら、
まさしく奇抜な演出で、
↓のような場面が続出します。
近くにいるはずの人間を、
わざわざ切り離して、ドラマが盛り上がるはずがありません。
チームラボらしいところは、
↓この場面くらいで、
後は、照明による変化。
そのためか、舞台が暗く、
役者(歌手)が何をやっているか、よく見えません。
1幕・2幕を通して上演。
初めて観ました。
更に、リューの死に続き、王のティムールも自害してしまいます。
これは初めての演出。
最後は、普通は、トゥーランドットと王子カラフが結ばれて終わりますが、
今度の上演では、皇帝の死去で終わる。
これも初めて。
今までも、奇抜な演出の「トゥーランドット」はいやになるほど観ていますが、
さすがに音楽だけは、変えられない、
と安心していたら、
えっ、と驚き。
リューの死から後の音楽が、違う。
で、配られたチラシを見たら、
「ルチアーノ・ベリオによる第3幕補作版」と書いてあります。
「トゥーランドット」はプッチーニの遺作で、
癌の手術の後、心臓発作で急死し、
リューの死までしか書いていなかった。
そこで初演にあたり、
プッチーニの弟子とも友人とも言われる
フランコ・アルファーノが
プッチーニの残したスケッチに従って補作したのが、
第3幕の後半部分。
1926年、ミラノ・スカラ座での世界初演の時、
指揮のトスカニーニは、プッチーニが残した最後の音符まで指揮した後、
タクトを置いてこう言ったという。
「ここでマエストロはペンを絶ち、亡くなった」
初日はここで幕を降ろし、2日目からは補作版で通し上演。
このアルファーノ版が、広く上演されている版。
ところが、音楽出版社の依頼で、
2002年に、イタリアの作曲家ルチアーノ・ベリオが、
新たな補作を完成させた。
今回の上演では、そのベリオ版を使用。
従って、リューの死以降は変わってしまったのです。
前の版だったら、音楽的に、
最後に皇帝の死はなかっただろうに。
というわけで、音楽まで変わってしまった、奇抜なオペラを鑑賞した次第。
私は、メトロポリタンのフランコ・ゼッフィレッリのプロダクションを
こよなく愛しており、
これ以上の演出はないと思っています。
もし世界遺産に芸術部門があったら、
間違いなく世界遺産になる。
これがあまりにもオーソドックスな完成品なので、
新たな演出者は、奇抜な方向に行くしかないのでしょう。
ただ、今度の上演でも、
リューの死あたりでは、やはり胸が詰まりました。
ここは、プッチーニも泣きながら作曲したのではないかと思います。
リューのモデルは、
プッチーニとの不貞の嫌疑から服毒自殺した実在の女中、
ドーリア・マンフレーディの存在を重ね合わせる分析が行われています。
終わった後は、再びアメ横に行って、
昇龍に寄り、餃子をおみやげに買いました。
そして、いつものここへ。
家へ帰ってから、
メトロポリタンの「トゥーランドット」(1987)DVD↓を
口直しに観てしまいました。
ジェイムズ・レヴァイン指揮、
エヴァ・マルトンとプラシド・ドミンゴの共演。
そして、ゼッフィレッリの演出。
最高です。
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