10年前の今日。
1995年10月24日、確か火曜日。
私はインド・アーグラに居ました。
黒い太陽に逢うために。
上記画像の中央右寄りにゴマ粒のように写っているのは、暗くなったので寝ぐらに帰ろうと飛んでいる小鳥です。
皆既継続時間は非常に短かったのですが、太陽が欠けて暗くなってきたら、小鳥達はテンヤワンヤで飛び交っていました。
本当は朝焼けがもう少し赤みを帯びていました。
ザラザラ画像ですが、お許しを~!
観測場所は、郊外のファーテープル・シークリという昔の隊商宿の遺跡。
その隣にはジャマー・マスジットというイスラム寺院。
撮影準備の為に前夜から観測地に入りましたが、日の出前にはかなり冷え込んで、スウェット2枚重ねで過ごしました。さすが乾燥地帯?
遺跡の壁からカノープスがチラリと顔を出したり、ディワーリのお祭りの花火が揚がったりで夜は更けていき、持って行った短波ラジオからは入感の悪い中国あたりの報時放送が、時折思い出したように…。
東天が明るくなった頃にはイスラム寺院の塔に設置されたスピーカーからコーランが流れるという、不思議な雰囲気の中でワクワクとドキドキの落ち着かない気持ちでその時を待ちました。
夕飯を食べてからかなりの時間が経っているのに、朝になってもお腹がすきません。ホテルでBOXのお弁当をもらってきているのですが、水分以外は喉を通らない…。
久しぶりの皆既日蝕なので、緊張しているのでしょう。(^_^;)
今回の日蝕に向けて、GPSを使った報時システムを製作しました。
それをスピーカーに繋いで、ツアーの皆さんに時刻をお知らせするという任を担っていたので、そのせいもあったかも。
第二接触前に振り返れば、そこには月の影が自分に向かって覆い被さって来るようなものものしさ!
ここでは黒い太陽は、たった34秒。(だったよなぁ…記憶が。^^;;)
月の縁から零れ落ちるルビー色のプロミネンスは最高!
太陽の縁をソロソロと動いていくベイリーズビースや彩層がとても見事でした。
「食分が限りなく1に近い方が、見ごたえがあるよ!」とは村山定男先生のお言葉ですが、その通りだと思いました。
上記画像は、短い皆既継続時間だったので、とにかくしっかり見たい!と双眼鏡で見ている図。
コンパクトカメラのインターバル機能で撮影したものですが、実はその辺にあった石を利用して仰角を出したために、水平が出ていません。(設置した時点では出ていた筈なのだけれど、ほぼ地面に直置きに近いので、ファインダをちゃんと覗けなかった。^^;;)
GPSとスピーカーの面倒をみたりでバタバタしていて、設置してから予想以上に太陽の高度が上がってしまったために、コロナ上部が切れてしまひました。
(;_;)
フィルム上ではなんとか入っているのですが…。
オリジナルの日蝕Tシャツは、大好評でした。(^^)
第三接触終了後、明るさを取り戻していく太陽の下で、みんなでシャンパンで乾杯しました!
イギリスのTV局が取材に来たり、翌日アーグラ城(だったかな?)で出会ったインドのTVクルーにメキシコ皆既日蝕時の写真をあげたら、その夜のTVニュースで無断で使われていたり…エピソードには事欠かない旅。
タージ・マハルも想い出深いし…。
インドや皆既日蝕の写真は山ほどあるけれど、まだスキャンしていないのです。
そう言えば、この時には気温計測もしたのだっけ。
十年一昔とは言うけれど、とても懐かしく思い出しました。
1995年10月24日、確か火曜日。
私はインド・アーグラに居ました。
黒い太陽に逢うために。
上記画像の中央右寄りにゴマ粒のように写っているのは、暗くなったので寝ぐらに帰ろうと飛んでいる小鳥です。
皆既継続時間は非常に短かったのですが、太陽が欠けて暗くなってきたら、小鳥達はテンヤワンヤで飛び交っていました。
本当は朝焼けがもう少し赤みを帯びていました。
ザラザラ画像ですが、お許しを~!
観測場所は、郊外のファーテープル・シークリという昔の隊商宿の遺跡。
その隣にはジャマー・マスジットというイスラム寺院。
撮影準備の為に前夜から観測地に入りましたが、日の出前にはかなり冷え込んで、スウェット2枚重ねで過ごしました。さすが乾燥地帯?
遺跡の壁からカノープスがチラリと顔を出したり、ディワーリのお祭りの花火が揚がったりで夜は更けていき、持って行った短波ラジオからは入感の悪い中国あたりの報時放送が、時折思い出したように…。
東天が明るくなった頃にはイスラム寺院の塔に設置されたスピーカーからコーランが流れるという、不思議な雰囲気の中でワクワクとドキドキの落ち着かない気持ちでその時を待ちました。
夕飯を食べてからかなりの時間が経っているのに、朝になってもお腹がすきません。ホテルでBOXのお弁当をもらってきているのですが、水分以外は喉を通らない…。
久しぶりの皆既日蝕なので、緊張しているのでしょう。(^_^;)
今回の日蝕に向けて、GPSを使った報時システムを製作しました。
それをスピーカーに繋いで、ツアーの皆さんに時刻をお知らせするという任を担っていたので、そのせいもあったかも。
第二接触前に振り返れば、そこには月の影が自分に向かって覆い被さって来るようなものものしさ!
ここでは黒い太陽は、たった34秒。(だったよなぁ…記憶が。^^;;)
月の縁から零れ落ちるルビー色のプロミネンスは最高!
太陽の縁をソロソロと動いていくベイリーズビースや彩層がとても見事でした。
「食分が限りなく1に近い方が、見ごたえがあるよ!」とは村山定男先生のお言葉ですが、その通りだと思いました。
上記画像は、短い皆既継続時間だったので、とにかくしっかり見たい!と双眼鏡で見ている図。
コンパクトカメラのインターバル機能で撮影したものですが、実はその辺にあった石を利用して仰角を出したために、水平が出ていません。(設置した時点では出ていた筈なのだけれど、ほぼ地面に直置きに近いので、ファインダをちゃんと覗けなかった。^^;;)
GPSとスピーカーの面倒をみたりでバタバタしていて、設置してから予想以上に太陽の高度が上がってしまったために、コロナ上部が切れてしまひました。
(;_;)
フィルム上ではなんとか入っているのですが…。
オリジナルの日蝕Tシャツは、大好評でした。(^^)
第三接触終了後、明るさを取り戻していく太陽の下で、みんなでシャンパンで乾杯しました!
イギリスのTV局が取材に来たり、翌日アーグラ城(だったかな?)で出会ったインドのTVクルーにメキシコ皆既日蝕時の写真をあげたら、その夜のTVニュースで無断で使われていたり…エピソードには事欠かない旅。
タージ・マハルも想い出深いし…。
インドや皆既日蝕の写真は山ほどあるけれど、まだスキャンしていないのです。
そう言えば、この時には気温計測もしたのだっけ。
十年一昔とは言うけれど、とても懐かしく思い出しました。