<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=soranokiroku-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4575299111&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=ACCCF5&bg1=ACCCF5&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" align="right"></iframe>◆
小笠原エコツーリズムキャンペーン
特賞:小笠原体験ツアー(シー・カヤック、トレッキング体験。宿泊、往復乗船券付き2名招待)
2007年2月28日(水)24時まで
☆-★-☆
ボーニン(ボニン)諸島は、小笠原諸島の別名。
小笠原村役場によると、小笠原諸島は、1593(文禄2)年、信州深志(松本)の城主小笠原長時の孫、小笠原貞頼が発見したと伝えられています。
(小笠原貞頼なる人物は実在しなかった-幕府が小笠原諸島の個人所有を認めたくなかった?-など、この話にも諸説あるようですが…)
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=soranokiroku-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4408018848&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=ACCCF5&bg1=ACCCF5&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" align="right"></iframe> では、何故ボーニン諸島なのでしょう?
こちらを拝見すると、1853(嘉永6)年の黒船来航のペリー提督が絡んでいるようです。
江戸後期の書物中にあった「小笠原諸島は無人島である」という記述の「無人(ムニン)」を(通事が)誤って「ボニン」と訳してしまい、欧州で「Bonin Islands」として広まったとか。
漁船・捕鯨船が難破して漂着、中にボーニンという姓の方がおられたのが由来であるという話も聞いた気がするのですが(ガセ?^^;; ルーツは分かりませんが、欧米系住民にセイボリー/瀬堀姓がいらしたのは確かですよね?)、最初に定住したのは江戸時代後期の1830(文政13)年、白人5人とハワイの先住移民20数人が父島に上陸、とのこと。
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=soranokiroku-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4121501853&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=ACCCF5&bg1=ACCCF5&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" align="right"></iframe> その後、江戸幕府や明治政府の調査、開拓により1876(明治9)年には国際的に日本領土として認められ、欧米系の方も住まれていた訳ですが、1882(明治15)年に全員帰化させられた…と、これも小笠原村役場のサイトで分かりました。
そして、第二次大戦後にはアメリカ統治領となり、1968年(昭和43年)に日本に返還されましたが、
返還記念切手は南国情緒たっぷりです。(返還○○年記念切手というのもあったと思うのですが、
郵政公社や
郵便局では見つけられませんでした。*_*;)
この地を訪れたのは一度だけ。
それも
1988年3月18日の洋上での皆既日蝕の後に立ち寄ったというものですが、紺碧の素晴らしい海(Bonin Blueと称される方もいらっしゃるとか)や亜熱帯の自然に魅了されました。
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=soranokiroku-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4861240158&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=ACCCF5&bg1=ACCCF5&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" align="right"></iframe> イルカやホエール・ウォッチング、ダイビングでも有名ですし、イセエビなどの豊かな海の恵みの御造りや、変わったところではアオウミガメの煮付け(カメ養殖所もありました)などに舌鼓を打っていらした方もおられましたっけ。
事前に知ってはいたものの品川ナンバーの車を実際に目にすると不思議でしたし、道路わきの茂みなどあちこちに散乱していたアフリカマイマイの殻にビビッたり、野良ヤギと戯れたり、海岸でメノウを探したり、通船をして下さった漁師の方々も気さくで…短い時間でしたが素敵なひとときでした。
在住の方々には空港問題は切実だと思うのですが(生活全てが『
おがさわら丸』頼みというのは不便ですし、医療面の不安は大きいことと思います。「島内で急を要する重病が発生した場合、海上自衛隊硫黄島基地所属のヘリコプターにより硫黄島を経由して航空自衛隊の飛行機によって本土に搬送されるか、海上自衛隊岩国基地所属の飛行艇で本土までの搬送を行っている」とwikipediaの
小笠原諸島の記述にもあります)、環境面からはどうなのかは気になるところではあります。(外者が言うのは簡単ですが…)
またいつか訪れてみたい場所の一つ。
(2009年の日蝕絡みは無理かしらん。その昔は
共勝丸での行き来も楽勝!と思えるほどの船酔い知らずでしたが、今はもう無理!*_*; ドレイク海峡もお呼びではないのだろうなぁ…。;_;)
キャンペーン・プレゼント、当たらないかなぁ…。(^^ゞ
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拙サイトへ日蝕報告をお寄せ下さったこともある、くりちゃんの共勝丸乗船記。(なんとひと月余りの間に3回も!)
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くりちゃんのアフリカ皆既日蝕報告