幼なじみの葬儀に行ってきました。
退屈な葬儀に眠ってしまうような幼子の姿、
幼なじみの母であるおばちゃんが棺から離れられないで
いる姿、もうやりきれない気持ちでいっぱいです。
葬儀の間に思い出したことがありました。
小学校の頃、彼女や数人の友達がピアノを習い始め、
学校で弾いているのを聞いて、モーリーは親に
頼んでピアノを習うようになりました。
そして、ねだってピアノを買ってもらいました。
これがピアノを弾くきっかけです。
友達はそのきっかけをくれたんだ。
それを思い出したとたん、また涙が止まらなくなりました。
もう何年も交友がなく、幼なじみだということで葬儀に
参列していたはずのモーリーでしたが、彼女への
感謝の気持ちでいっぱいになり、最後のお別れの時には
「ありがとう」と言いました。
そして、葬儀に参列している人たちの中に、数人の知人を
見つけた時、やはり人はつながっているんだと実感しました。
保育所からの友達はもちろん、彼女が結婚してからの友達、
子供や仕事関係でいろんな縁があって、こうして会わせて
くれている。
葬儀からすぐ帰宅する気になれず、一緒に行った友達と
お茶。
実際葬儀に参列してみて、予想以上にショックが大きく
友達ともども脱力感が・・・。
はかない命だからこそ、毎日をちゃんと生きよう、
そう思う反面、やっぱり幼なじみの死は悲しすぎる。
重い足取りで帰宅しました。
退屈な葬儀に眠ってしまうような幼子の姿、
幼なじみの母であるおばちゃんが棺から離れられないで
いる姿、もうやりきれない気持ちでいっぱいです。
葬儀の間に思い出したことがありました。
小学校の頃、彼女や数人の友達がピアノを習い始め、
学校で弾いているのを聞いて、モーリーは親に
頼んでピアノを習うようになりました。
そして、ねだってピアノを買ってもらいました。
これがピアノを弾くきっかけです。
友達はそのきっかけをくれたんだ。
それを思い出したとたん、また涙が止まらなくなりました。
もう何年も交友がなく、幼なじみだということで葬儀に
参列していたはずのモーリーでしたが、彼女への
感謝の気持ちでいっぱいになり、最後のお別れの時には
「ありがとう」と言いました。
そして、葬儀に参列している人たちの中に、数人の知人を
見つけた時、やはり人はつながっているんだと実感しました。
保育所からの友達はもちろん、彼女が結婚してからの友達、
子供や仕事関係でいろんな縁があって、こうして会わせて
くれている。
葬儀からすぐ帰宅する気になれず、一緒に行った友達と
お茶。
実際葬儀に参列してみて、予想以上にショックが大きく
友達ともども脱力感が・・・。
はかない命だからこそ、毎日をちゃんと生きよう、
そう思う反面、やっぱり幼なじみの死は悲しすぎる。
重い足取りで帰宅しました。