![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/16/a84e33e0c7e05f2df20f82f6a25cafee.jpg)
29歳から58歳まで
30年間ものあいだ
ハンガリーの名門
エステルハージ家に
仕えたハイドン。
かつらをつけ
飾りのついた
鮮やかな色の
制服を身に着けて
白い長靴下を履くように
義務づけられていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/2b/991e7c309a743e3f59eabfd3b009bc0c.jpg?1682295032)
雇い主の命じる音楽を作り
旅行に行くことも
できませんでした。
待遇や雇用は保証されて
いましたが
地位はとても低く
「音楽召使い」 と呼ばれ
音楽家は召使いの義務も
果たさなければ
ならなかったのです。
そんなエステルハージ家の
ために作曲した
作品数は1000曲に
およぶと言われています。
フリーランスに
なった晩年
興行師ザロモンより
ロンドンに招かれます。
この時ハイドンは58歳
当時の感覚からすると
高齢です。
ロンドンはウィーンから
1500キロも離れて
いますし
海を渡らなければ
なりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/88/e2e7c79612642127ebf18ec7a2779e89.jpg?1682295323)
しかし提示されたのは
べらぼうな好条件。
約2500万円を謝礼として
前払いで支払われました。
そんな折、誰よりも
ハイドンの身を
案じたのは
モーツァルトでした。
「先生、あなたは
年を取りすぎています。
それに英語を
ご存じないので
とても心配です」
と言うモーツァルトに
ハイドンは音楽という
共通の言葉があるから
大丈夫と答えました。
ハイドンはロンドンに
1年半滞在し
驚異的な成功を収め
6000万円もの
収益をあげて
帰国しますが
気を良くしたハイドンは
再びロンドンに出向き
更に7500万近い額を
手にするのです。
このようにハイドンが
栄光に包まれて
イギリスを
あとにしたとき
彼の身をあれほど心配した
24歳歳下のモーツァルトは
この世にいなかったのです。
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