![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/dc/3bee0e85a91c29c7ee827e0be1106f46.jpg)
昨日は午後から
近くの公園で
選挙の投票と
レッスンを
済ますことができました。
✨✨✨✨✨
今夜のクラシック音楽館は
トゥガン・ソヒエフ指揮
ラフマニノフ作曲
「岩」
チャイコフスキー作家
交響曲第1番
「冬の日の幻想」
いずれも若い頃の
作品ですが美しい。
ラフマニノフの「岩」は
初めて聴きました。
✨✨✨✨✨
仏頂面のイメージの
ラフマニノフ。
彼の唯一の親しい友人が
20世紀の有名な歌手の
フョードル・シャリアピン
でした。
社交性がなく
とっつきにくい
ラフマニノフを
笑顔にさせたのは
シャリアピン。
交響曲第1番の失敗で
完全な自信喪失で
ほとんど作曲が
出来なくなった
ラフマニノフは
私設オペラの
第2指揮者に
就任しますが
そこでシャリアピンと
知り合い、
終生の友情を結びました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/84/ad5f192152f66e12e98f95d1f4790971.jpg?1681080199)
日本では
帝国ホテルの
「シャリアピン・ステーキ」
のほうが有名でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a6/c017f3deb72755fb2e38b679e169b3fb.jpg?1681045461)
シャリアピンは
ロシア出身のオペラ歌手。
オペラの歴史上
偉大な名手の一人でした。
1917年に
ロシア革命が
勃発すると
世界的な名声から
ソビエト政権によって
偉大な芸術家としての
待遇を受けますが
1921年に
祖国から亡命し
パリに住みます。
先にアメリカに
亡命していた
ラフマニノフの
もとへと
シャリアピンは
しょっちゅう
アメリカ・ツアーに
出かけていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/4d/c3000d9eee05d378ee4dee1e651b4793.jpg?1681085646)
若きラフマニノフ。
つい今しがた、買取業者へ行って、帰ってきました。
指輪やペンダントで56000円也。
なんと、純金と思ったものがメッキ!
珊瑚や石は値がつきません。
昨夜はタランテラを練習していたので、
テレビは見ずじまい。
シャリアピンというのは、
シェフかコックの名前だと
思っていました。
歌手だったんなんて。
若いころのラフマニノフの写真
きれいですね。
こんにちは。
あらっ!素晴らしい。
\(^o^)/ですね。
失礼致しました。
タランテラはこれからね。
ラフマニノフの若い時は
きれいですね。❣️
シャリアピン・ステーキ。
結婚したときに
持ってきた料理の本に
載っていて
時々焼いていました。
暮しの手帖から出ていた
常原久彌氏の本です。
その頃、3冊出ていました。
お惣菜屋風外国料理とか
お惣菜12ヶ月とか。
まだ捨てられずに
置いてあります。
確かたこちゃんも
お持ちでしたよね。
良い一日を。