会派視察1日目
政府が世界文化遺産へ推薦している「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」について、ユネスコ世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)による勧告がユネスコ世界遺産センターより政府に通知されました。その事を受け、わが会派は県内に存在する世界遺産候補地をあらあけて視察しました。
日本の近代化は、幕末における西洋技術の導入以来、非西洋地域で初めて、かつ極めて短期間のうちに飛躍的な発展を遂げたという点において、世界史的にも特筆されるべきものです。その飛躍的な発展の大きな原動力となったのが、アジア大陸に近いという地理的特性により、古くから日本と海外を結ぶ窓口として発展してきた九州・山口です。「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」は、造船、製鉄・製鋼、石炭産業の重工業分野に西洋技術を移転する上で他に類を見ないプロセスを証明する資産群であり、非西洋地域において近代化の先駆けをなした経済大国日本の原点を訪ね、語り継いでいく上で、極めて重要な遺産群であります。
三池港閘門
大牟田市役所の方から歴史や概要の説明を受けました。その後、現地で実際閘門の開閉を視察させて頂きました。三池港は三井合名専務理事だった団琢磨が石炭の積み出し港として着想し、1908年に開港。水門を開閉し、干満差の大きい有明海で水位を一定に保つ「閘門」にした。1万トン級船も入港できるとのことです。
三池炭鉱宮原坑
明治20年に開坑の三池炭鉱の主力坑の一つ。現存する煙突は、明治21年建造、高さ31.2m、上部直径2.9m、基部直径4.3mで、平成10年1月16日に国登録指定文化財(建造物)として登録されました。年間約40~50万トンを出炭していて、三池集治監(刑務所)に収監された囚人たちが採炭作業に従事し、その厳しい労働から修羅坑とも呼ばれていました。
三井三池三川坑跡
三井三池三川炭鉱跡を視察。ここで起こった悲惨な炭塵爆発は、1963年1月9日にに発生しました。当時、死者458名、一酸化炭素中毒患者839名を出したこの事故は、戦後最悪の炭鉱事故・労災事故と言われています。繁栄の裏にはこの様な悲惨な出来事がありました。今はひっそりとしてその面影は感じられませんでした。