現代はものがあふれる時代
技術革新が進み私たちは
スマホを手放せないでいる
江戸時代中期(1758~18831)
今から約200年前
新潟県出雲崎に名主の家の
長男として生まれる
7人兄弟の長男 名前は栄蔵
子供の時から素直で好奇心旺盛
論語ばかりを一生懸命詠んでいた
18歳で名を文孝と改め名主見習いを
しかし名主の仕事はさまざま大変
自分には向いていないと想い悩み
全てを捨てて違う世界へ飛び込む力が
本当の才能を引き出すことがある
自分はどうしてもこれはイヤ
自分はこちらへ行っきたい
その自分の直感力
それは先の見えない未来へ
決意を持って臨む決断力が必要
18歳で曹洞宗の寺に入り出家し修行する
22歳で岡山県の円通寺へ
そこで禅の本質である空や無心を探求
円通寺に来たりしより
幾回か冬春を経る
衣垢づけば手づからあらい
食尽きれば城門に出ず
門前千家のむら
すなわち一人だにも識らず
かつて高僧伝を読みしに
僧はかなりに清貧なりき
円通寺に来てから何度かの
冬と春を経験しました
衣が汚れれば自分で洗い
食べるものがなくなれば
山を出て町や村に入り
托鉢をしました
問題点にはたくさんの家が
ありましたが親しくなった人は
一人もいません
いつだったか禅の高僧伝を読んだことが
ありますが僧侶たるものはいずれも
清貧に生きています
清貧
世間の苦悩や悲しみのもととなる
欲望を超える道が清貧だと直感
ボロボロの身なりで托鉢
この身なりのせいで盗人と間違われ
牢に捕らわれの身になったことも
良寛は縁を大切に生きている
縁とは様々な条件が集まること
それを慌てず冷静に観察する
受けたものを冷静に受け止める
成るようになる
禅の教えの空や無心
その実現方法は清貧
清く貧しいことは
楽しく豊かなこと
豊かな暮らしを知る良寛だからこそ
捕らわれた時も良寛は人のせいにすることなく
この身なりのせいでは仕方がないと言う
その後に良寛は修行を成就したと認められ
印可の偈を授かる
34歳で諸国行脚の旅に出る
5年間の托鉢の旅を終えた良寛
春も過ぎたがまだ帰る
気持ちになりません
ほととぎすは故郷に帰れと私に勧めます
しかし帰りの旅はまだまだ問題があります
いつあの故郷に帰ることが
できるのでしょうか
我が命はどこからきて何処へ行くのか
考えてもその始まりがわからないし
終わりもわかりません
だから現在もわかっていないのです
縁によって転変する生も掴みようが
ありませんがその中にこそ
我という真実があるのです
まして是だの非だのと争うのは空しい
いささかも分別を差しはさむ隙はないのです
ただ今の縁をよしとし大切にして
生きるだけです
自分の生き方を探して良寛は旅を続けた
生涯を乞食僧として過ごす
旅の間は僧としてたく鉢をして
食べ物や金銭の施しを受けて歩き
何も持たない暮らしを
誰よりも楽しんだ一人の僧
旅をすることで自分と対話する
自分が本当に求めているものは何か
清貧の旅の中で全てが削ぎ落とされ
しがらみが消え見えて来るもの
清貧の中にこそ見えて来るもの
それが良寛が見つけ出したかったもの
全ての執着をなくした時に
見えて来るもの
それが良寛さんの自由な世界
そこに良寛がいた
寺を持つ訳ではなく
肩書きにこだわる訳でもなく
無一文のどん底暮らしをしながら
誰よりも幸せだった人
その名は良寛さん
お金や富に縛られず
自分と向き合う大切さを
ありのままの自分
肩の力を抜いて現実を楽しむ
この世の中に生きながら
全てのことをよかったにする
その良寛の漢詩500
俳句は100
和歌は1400
その中の良寛の言葉
袖裏の粛鞠直い千金
謂う言は好手
等匹なしと
箇裏の意旨もし相い問わば
一二三四五六七
袖の中の手鞠は千金の価値があります
言ってみれば私が一番上手です
その心を問う人がいたら答えましょう
1234567さ
肩の力を抜いた良寛の言葉
良寛の自由な世界
現代だからこそステキですね
(○´∀`○)
毎日を楽しく有意義に過ごせるような
さまざまな情報を発信しています
ブログ名
あなたの想いはあなたそのもの
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技術革新が進み私たちは
スマホを手放せないでいる
江戸時代中期(1758~18831)
今から約200年前
新潟県出雲崎に名主の家の
長男として生まれる
7人兄弟の長男 名前は栄蔵
子供の時から素直で好奇心旺盛
論語ばかりを一生懸命詠んでいた
18歳で名を文孝と改め名主見習いを
しかし名主の仕事はさまざま大変
自分には向いていないと想い悩み
全てを捨てて違う世界へ飛び込む力が
本当の才能を引き出すことがある
自分はどうしてもこれはイヤ
自分はこちらへ行っきたい
その自分の直感力
それは先の見えない未来へ
決意を持って臨む決断力が必要
18歳で曹洞宗の寺に入り出家し修行する
22歳で岡山県の円通寺へ
そこで禅の本質である空や無心を探求
円通寺に来たりしより
幾回か冬春を経る
衣垢づけば手づからあらい
食尽きれば城門に出ず
門前千家のむら
すなわち一人だにも識らず
かつて高僧伝を読みしに
僧はかなりに清貧なりき
円通寺に来てから何度かの
冬と春を経験しました
衣が汚れれば自分で洗い
食べるものがなくなれば
山を出て町や村に入り
托鉢をしました
問題点にはたくさんの家が
ありましたが親しくなった人は
一人もいません
いつだったか禅の高僧伝を読んだことが
ありますが僧侶たるものはいずれも
清貧に生きています
清貧
世間の苦悩や悲しみのもととなる
欲望を超える道が清貧だと直感
ボロボロの身なりで托鉢
この身なりのせいで盗人と間違われ
牢に捕らわれの身になったことも
良寛は縁を大切に生きている
縁とは様々な条件が集まること
それを慌てず冷静に観察する
受けたものを冷静に受け止める
成るようになる
禅の教えの空や無心
その実現方法は清貧
清く貧しいことは
楽しく豊かなこと
豊かな暮らしを知る良寛だからこそ
捕らわれた時も良寛は人のせいにすることなく
この身なりのせいでは仕方がないと言う
その後に良寛は修行を成就したと認められ
印可の偈を授かる
34歳で諸国行脚の旅に出る
5年間の托鉢の旅を終えた良寛
春も過ぎたがまだ帰る
気持ちになりません
ほととぎすは故郷に帰れと私に勧めます
しかし帰りの旅はまだまだ問題があります
いつあの故郷に帰ることが
できるのでしょうか
我が命はどこからきて何処へ行くのか
考えてもその始まりがわからないし
終わりもわかりません
だから現在もわかっていないのです
縁によって転変する生も掴みようが
ありませんがその中にこそ
我という真実があるのです
まして是だの非だのと争うのは空しい
いささかも分別を差しはさむ隙はないのです
ただ今の縁をよしとし大切にして
生きるだけです
自分の生き方を探して良寛は旅を続けた
生涯を乞食僧として過ごす
旅の間は僧としてたく鉢をして
食べ物や金銭の施しを受けて歩き
何も持たない暮らしを
誰よりも楽しんだ一人の僧
旅をすることで自分と対話する
自分が本当に求めているものは何か
清貧の旅の中で全てが削ぎ落とされ
しがらみが消え見えて来るもの
清貧の中にこそ見えて来るもの
それが良寛が見つけ出したかったもの
全ての執着をなくした時に
見えて来るもの
それが良寛さんの自由な世界
そこに良寛がいた
寺を持つ訳ではなく
肩書きにこだわる訳でもなく
無一文のどん底暮らしをしながら
誰よりも幸せだった人
その名は良寛さん
お金や富に縛られず
自分と向き合う大切さを
ありのままの自分
肩の力を抜いて現実を楽しむ
この世の中に生きながら
全てのことをよかったにする
その良寛の漢詩500
俳句は100
和歌は1400
その中の良寛の言葉
袖裏の粛鞠直い千金
謂う言は好手
等匹なしと
箇裏の意旨もし相い問わば
一二三四五六七
袖の中の手鞠は千金の価値があります
言ってみれば私が一番上手です
その心を問う人がいたら答えましょう
1234567さ
肩の力を抜いた良寛の言葉
良寛の自由な世界
現代だからこそステキですね
(○´∀`○)
毎日を楽しく有意義に過ごせるような
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