機会があって三枝成彰さんの講演会を聴くことが出来ました。私にとっては三枝成彰=ガンダムシリーズの音楽ってトコロがあり、非常に親近感(一方的な)がありました。タイトルは「音楽からみた西洋と東洋」。クラッシック音楽の特異性をお話されていました。
まずは、楽譜を持った事。西洋音楽以外のすべての音楽は口伝で楽譜なるものが無く、伝承されるに従い変態していきます。キリスト教が一神教であるが故に、何処でも誰でも同じ音楽が表現されるよう生み出された楽譜により、西洋音楽はあらゆる民族音楽を凌駕し、今世紀中には音楽を完全制覇するそうです。
次に、西洋では音楽を科学として捉えていること。倍音の存在に気づき、そのルールとイレギュラーを組み合わせる事により多彩で豊かな表現を可能にしていること。日本の音楽は同じメロディーをテンポと楽器を変えて組み合わせるだけ。これは倍音の理解が無いからでそうです。
そして一番驚いたのが、クラッシック音楽は官能を評価しないこと。人の感情に訴える事は寧ろ恥ずかしい事として評価されないのだそうです。また、常に新たなチャレンジを求め、ベートーベン以降は音楽の中に思想を求めること。これは衝撃的でした。
音楽は人の感情を表現するものだと思っていました。人の感情に訴えるものだと思っていました。気持ちのよい音楽、心に響く音楽がよい音楽だと思ってました。また、クラッシック音楽は誤訳とは言え古典の良き物を伝承している音楽だと思っていました。
私の理解は真逆だったのです。クラッシック音楽は変化に富み、科学的で思想を持った精工な製品だったのです。それを私は情緒的に捉え、官能的に評価してきたのです。このことは大きな誤解・大きな衝撃でしたが、西洋を理解するうえでの大きなヒントになりました。
日本人が変化を好まない人種であることも再認識しました。歌舞伎や能、和楽や落語もそうですが、新作が評価されず古き物を延々と評価し続ける変わらなさは恐るべきです。この事は、伝統を礎に常に変化しながら作り上げるのが文化だと理解している私には「文化不毛の日本」を決定的にする評価です。だとすると、日本文化も西洋に制覇されてしまうのでしょうか?
また、豊かな社会には音楽家が育たない事も知りました。これからの音楽家は中国とベネズエラから排出されるそうです。豊かな社会では高度な技能を持つ人間が育たないという事でしょうか?貪欲さが無ければ高度な技能は身につかないという事でしょうか?
よりよき生活を求め、豊かな社会を目指し、懸命に働いてきましたが、豊かさが人間の成長と可能性を潰してしまう。非常に大きな自己矛盾だと思います。「満足したら終わり」「安定したら後退する」「守りに入ったら成長無し」以前から言われていることですが、改めて心して物事に取り組みたいと思います。