地震の後の計画停電。
週末の停電回避と、昨日今日の暖かさでとりあえず停電生活はせずにすんでいますが
我が家のグループは停電開始以来4回経験しました。
2回経験した18時20分からの停電にはガソリンランタンとキャンドルランタンで対応。暖房は電源いらずの石油ストーブなので問題なし。
みんな同じ部屋に集まって ラジオを聴きながら“しりとり”をしたり、“恋ばな”で盛り上がったり。
夜の停電はまだ2回だから楽しめるけど、これから続くとなると・・・いつまで楽しめるか?
さらに心を乱すのがこちら。
うちの前に出て左を見ると真っ暗だけど、右を見ると・・・道路一本隔てた30メートル先は停電せずに灯りが煌々と。
同じグループなのにどうして?このグループの4回の停電でも1度も落ちてないらしいです。
これには近所からもかなりの不満が出ていて、東電や市役所に電話をかけた人もいるのですが
どうやら送電線の違いとか 重要な施設がある地域は落とせないという答えらしかったです。
遼平は高校に無事合格したのですが 福島県郡山に住む義兄家族は大変です。
こちらも長女が中3の受験生。そして震災のあった11日は中学校の卒業式。
午前中に式を終え 家族で買い物に出かけたところで地震に遭ったそうです。
家族は無事だったけど家の中は滅茶苦茶。工務店に勤める義兄は休みなしで朝から晩まで現場を飛び回り
訪問介護の仕事をしているお嫁さんは郡山の事務所が新潟に一時移転してしまい、子ども達を連れて
新潟の会社の寮へ。姪の高校入学試験は私立は合格しているものの公立は1期が不合格で2期に挑戦。
22日が試験日だったのが地震の影響で1週間ずれて29日が試験日で翌日が発表。
しかし4月からの生活も郡山なのか新潟なのかもはっきりしない「宙ぶらりん」状態なのですよね。
郡山は原発からは60キロ離れているとはいえ この後状況次第では街を離れる可能性もあるし。
小学3年までは川口に住んでいたので「春休みはこっちに来たら」と言ったのですが、やはり地震がよっぽど
怖かったのか 今はお母さんから離れたくない様子。いちばん大切な時期に大変な事になってしまいました。
家を流されたり、家族を失ったりしたわけではないけど、やっぱり日常生活は破壊されてしまったようです。