えくぼ

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寒々しい書斎

2015-01-10 09:07:01 | 歌う

             ~ 寒々しい書斎 ~

 ♠ 図書館はわれの書斎となり寒の朝より宮尾登美子と語らう  松井多絵子

 寒さの最も厳しい頃となった。図書館は寒からの避難所。朝から居すわる人々がいる。暖かくてタダ、私が利用している区立図書館はソファーもあり、新聞を読みながら居眠りしている男もいる。その男が「中年の男たちが今欲しいのは書斎ですよ」と先日言っていた、「マンションの3DKに住んでますが、子供部屋はあるのに僕の部屋はない。小さな机と本箱と椅子一つだけでいい、僕だけの小さな空間が欲しいなあ。休日は図書館で過ごしますよ」、と。

 1月9日朝日朝刊の「寒々しい書斎」は漱石の書斎についての記事である。~漱石の書斎は洋間で畳のない板敷きだったから、床から隙間風が忍び込み、冬はひどく寒かったらしい。瀬戸の火鉢を座り机のわきに置いて暖をとったが、寒さの厳しい日には、少し離れたところのガスストーブにも、火をつけた。座布団は2枚重ねである。洋書の詰まった本棚が雑然と置かれ、日当たりは悪かった。晴れた冬の日には、縁側に机を持ち出して、頭から日差しを浴びながら、ペンを走らせ、毎日1回分の新聞小説を3、4時間書いた。(牧村健一郎)

 漱石は新宿区に生まれ、英語教師として松山や熊本で過ごしたのち英国に留学、40歳から49歳で世を去るまで家族と共に新宿区で過ごした。「三四郎」や「門」を執筆したこの住まいは山房と呼ばれ、敷地340坪の土地に7部屋と台所など60坪の平屋和洋折衷の建物。かなり裕福だったらしいのに、寒い書斎で毎日過ごし、執筆していたとは。痛々しい。

 新宿区早稲田南町にあった漱石山房は太平洋戦争中の1945年に空襲で焼失した。区は漱石山房があった場所に漱石公園と公園に隣接する区営住宅跡地に記念館を新設する。山房の設計図は残っていないが写真や文献を基に書斎や客間ベランダ式回廊を復元する予定。

 2017年は漱石生誕150年、漱石記念館(仮称)は2月に開館する。芥川龍之介など多くの門下生が出入りした漱石山房に私たちは2年後には入ることができるのだ。おそらく暖房であたたかな書斎、そこから紅梅や白梅を眺められるかもしれない。

         紅梅を咲かせることのないような梅の裸木の影を離れる

                         1月11日  松井多絵子