えくぼ

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『それから』を読む ①

2015-04-02 09:07:26 | 歌う

             ~ 『それから』を読む ① ~

♠ しろたえのバスタオルの包む肉叢(ししむら)に動きやまざる心臓があり  松井多絵子

 100年ぶり連載の『それから』は夢から始まった。主人公・代助は目が覚めると「枕元の畳の上に 八重椿が一輪落ちている。床の中でたしかにこの花の落ちる音を聞いた」 代助と関わりのある人の死を暗示しているように思える。まだ深夜か。彼は寝ながら胸の上に手を当てて、心臓の鼓動を確かめる。これは彼の近来の癖になっている。胸に手を当てたまま、温かい紅の血潮の緩く流れる様を想像し、これが命であると考える。この掌に応える、時計の針に似た響きを聞くことなしに生きていられたなら、、。ここまで読んで私は疲れる。

 朝の歯磨きも丁寧な代助。彼は歯並びのいいのを常に嬉しく思っている。肌を脱いで綺麗に胸と背を摩擦する。彼の皮膚には濃やかな一種の光沢がある。香油を塗り込む。彼はそのふっくらした頬を両手で両三度撫でながら鏡の前にわが顔を映していた。 「なんてノンキな朝なんだろう。そしてかなりのナルシストだ。彼は働いていないのに、書生や下女も雇っている。親の財産で悠々と暮らす高等遊民の1人なんだ。私は代助が嫌いだ」

 働かなければ食べてゆけないのが当たり前、「働けど働けど」暮らしが楽にならず20代で病死した啄木と同じ時代に、高い教育を受けながら働かない「高等遊民」。漱石の『こころ』
も結婚しても働かない先生。こんな男を描いた漱石を孫の半藤末利子は 「あれだけ働いた人はいません。律儀で責任感が強かった。病気の時でも仕事をした」と語る。漱石の「高等遊民」への憧れか批判だろうか。高い教育を受けながらそれを生かせる場がなかった、プライドが非情に高くナルシストの男への批判か。『それから』は読みにくい。例えば、あたりが静かなせいかは 「四隣が静かな所為」、しばらく は「少時」 どやす は「撲す」など。

 ~100年後でも漱石はなぜ読まれるか~というインタビューに孫の半藤末利子さんは
「時代のひずみを書いてるからでしょう。日露戦争後の当時、日本は一等国になったと威張
っても内実は火の車、今とそっくりです。だから古くならないのです」と。

    漱石より30年も長く生きている孫の末利子さんこそ朝日の自分史を、、。

                         4月2日  松井多絵子