~ 「それから」を読む ② ~
♠ しかしながらしかしながらと言うように肩をならべて歩く男子ら 松井多絵子
代助には中学時代から平岡という友人がいる。学校を卒業した後、一年間は兄弟のように親しかったと連載・第6回に書かれてある。一年後、平岡は結婚し勤めている銀行の、京阪地方の支店詰になる。「出立の当時」 新夫婦を新橋の 「停車場」に送り、平岡の手を握るが、代助は彼が羨ましくもあり憎らしいとも思った。しかし二人の文通は続いた。
平岡からは絶えず 「音便」があり、任地で世帯を持った報知、支店勤務の模様、将来の希望など。そのうちに手紙の遣り取りが疎遠になってゆく。4月10日・第8回は平岡と代助が共に飲み、酔って戸外に出て歩きだしたところから始まっている。平岡は赴任当時は事務見習い、気難しい支店長には都合の悪いことは言わないようにしていた。しかし彼の部下が芸妓と関わり会計に穴を明けた。「支店長に煩が及んできそうだったから、自分が責を引いて辞職」。しかも部下の使い込んだ金は支店長から借りて埋めたとは。「千に足らない金」といっても100年前の下級官僚の平均月給は約29円、千円は大金ではないか。
就職したために借金を背負い、職を失い履歴に傷が付くのなら、働かない代助の方がマシだ。高等遊民たちは温室育ちだから、世慣れないため騙されることも多かったのだろうか。自分は特別な男だというプライドが職場で嫌われたかもしれない。働き続けた漱石は、財産で悠々暮す学生時代の友に対する羨望と批判が常にあったことも考えられる。。現在でも高等遊民は若干いるようだ。国立の大学院を出ても、その研究を必要とする職がない、企業はすぐ役立つ人を求めている。100年後のことなど考えることなく書かれたであろう「それから」。高等遊民は人手不足でも今後の日本の課題になるのではないか。
♠ いちまいの千円札が一日を支えることのできなくなりぬ
4月11日 松井多絵子