❤ 寺山修司の秘かな手紙 ❤
♦ 納戸より麦わら帽を取り出せば寺山修司の歌が聞こえる 松井多絵子
40余年前に亡くなったのに寺山修司は言葉の魔術師として今も活躍している。4月13日朝日夕刊の❤寺山修司 愛は直球 は彼の青春を謳歌している。18歳で俳句雑誌を創刊し、短歌も作り、24歳で戯曲を書き、31歳で演劇実験室「天井桟敷」を設立。早熟な彼は47歳で世を去ってしまった。元妻の九條京子が昨年4月に自宅で一人で亡くなり寺山からの手紙が残されていた。二人は62年に結婚。70年に離婚している。
元妻は九条映子の芸名で松竹歌劇団から映画女優になり活躍。共に24歳の頃は。
第一信 仕事はうまくいっていますか? これから毎日手紙かくつもり。
第二信 きみはいまどこで遊んでいるだろうか、と思うと気がかりでペンも進まない。
第三信 今夜はなぜだか、きみがそんなに遠くにいるという気がしない。
第五信 早く帰っておいで。
見つかったラブレターは24通、しかし第四信は見つからなかった。二人の結婚生活は8年
だけだったが、九条今日子は寺山の「天井桟敷」を支え、寺山が死去するまで寄り添った。寺山の作品を次世代に伝えていくために尽くした。1人住まいの部屋に残されたノートには
「寺山の待つ世界に行きます」と記されていた。
「寺山修司のラブレター」(KADOKAWA)は25日、寺山修司と九条今日子の共著として出版される。言葉の魔術師ではない寺山の直球の愛の言葉、携帯のメールのように読める本か。カジュアルな寺山修司をおもう。 雨は止んだ4月14日の昼。 松井多絵子