・・・ 折々のことば 「失う」 ・・・
昨3月17日 ☀ 折々のことば 鷲田清一
失うのは1回きりだとしても、人は何かを失ったとき、それを失い続けるともいえる。
宮地尚子
大事な人を失った人はその喪失感をいつまでも反復せざるをえない。食卓での些細な会話、もう洗うこともない泥だらけのユニホーム、しがみついてくる小さな手。予感に体が動いてしまうが応えはない。「あるべきものがそこにない」というより「もうあるべきものが、そこに確固としてある」と表現したほうが正確だと、精神科医は言う。「ははがうまれる」から。
私はすでに父も母も、姉も妹など肉親を失っている。サポートしてくれた先輩や仲間の何人もが他界した。生きれば生きるほど大切な人を失い、失い続けてゆく。私の短歌のなかから次の九首の「失う」をとりあげてみる。
「失う」 九首 松井多絵子
あの世でもこの世でもなく福島の「花ももの里」にわれを失う
バス停のわれの後ろに春が来てコートを脱げば春を失う
海へむく手術室にて妹は子宮を失い笑顔を失う
この青いビーチサンダル脱いだなら我はたちまち八月を失う
わが家のすぐ前にきて日傘とじ水色の小さき屋根を失う
猛暑にも慣れてきしとき八月と別れる恋を失うように
紙コップに残るアメリカンコーヒーはすでに冷たい香りも失せた
駅前のおもちゃ屋さんが店を閉じわたしの町はえくぼを失う
剥きゆくに林檎の皮がつと切れて我はまもなく今日を失う
ようやく来てくれた春を失いたくない、桜よゆっくり開いてね。
3月18日 松井多絵子