・・・ 去れば失う ・・・
ようやく春らしくなり、桜も咲きはじめようとしているのに私は何となくさみしい。「春愁」などという甘い淋しさではない。3月は大切な人が私から去った月、「去る」とはどこかへ行ってしまうこと、記憶のなかの人になってしまうこと。でも去る者日々に疎し なのだ。2日前の☀折々のことば ~人は何かを失ったとき、それを失い続けるともいえる。 宮地尚子
「去る」 十首 松井多絵子
追い越して振りむけばまるで違うひと、母はあの春この世を去った
あと五年生きていたなら母は見たわが青春のすばやく去るを
エアバスが燕のように飛び去った或いは燕だったかもしれぬ
木陰には万葉人がいるような明日香の村を去りがたくおり
書くならば言葉の身なりを整えて光が窓を去らないうちに
自らを桜に例えしひとが去る三月尽日この世より去る
リザールビーチに拾いし貝殻みな貝に去られてしまいし儚い器
貝たちの行方はしれず貝殻は波うちぎわに置き去りにされて
いちまいのガラスを通しその胸にふれいし手より去りゆく緋魚は
ひさびさに亡き父ゆめに現れて「やあ」と手をあげ去りてしまいぬ
今年は十二支の申年 猿の年である。去るものを追わず、去るものは日々に疎し。今でも猿年の結婚を反対する親もいるらしい。「難が去る」と思えばいいのに。
3月20日 松井多絵子