嬉しい楽しい幸せな役に立つ興味深い話○略して『うたしやきの話』の収集家・松本一円さん♪の愛読しているメールマガジンよりお福分けさせていただきます…(^人^)
写真は…一円さん♪のよき友Fさんからいただいた、東京上野・東京国立博物館で開催されている『特別展・栄西(ようさい)と建仁寺(けんにんじ)』の資料に載っていた可愛い栄西(ようさい)さんを撮影させていただいたものです☆(^人^)☆
ありがとう☆ありがとう☆(^人^)☆
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【退歩を学べ】№1698
ロボット博士、森政弘氏の心に響く言葉より…
世の中には、進歩こそがいのちであって、「退歩」などもってのほかだと思われている向きも多いのではなかろうか。
とくに、経済については、成長のないところには成立しないと堅く考えられているようである。
だが本当を言えば、退歩のないところに、まことの進歩は望み得ないのである。
たとえば、外へ出たくてしかたのないハエがいる。
しかしそこには透明なガラスが立ちはだかっているので、いくらもがいても外へ出ることはできない。
筆者は、このハエに退歩する知恵があったならばと思う。
後ろに引けば視野が広がり、窓の右側に本当に開いた場所が見える。
だから、そこから外へ出るだけで、わけなく助かるのである。
肝心な点は、ガラスの存在を見抜く眼力と退歩する心の余裕があるかどうかである。
ある時、天下の本田技研の創立者で初代社長だった、本田宗一郎さんから筆者はこのような質問を受けた。
走るには→アクセル
止めるには→ブレーキ
これでよいか?というのであった。
筆者はこのクイズを受け、「これでよろしい」と答えたのだが、叱られてしまった。
本田さんは「君な、アクセルで走れるのなら、あそこに停めてある私の車のブレーキを外してやるから、それに乗って走ってこい」と言われた。
「あっ、そうか!なるほど、走るのにもブレーキが要る!」
ブレーキなしには危なくて走れない。
筆者は完全にやり込められてしまったのだった。
続いて、「それなら止めるのはどうだ?」と問われたので、よし、こういう次元の高いことを言われる方には逆説で行こうと、とっさに思い、「本田さん、止めるのはアクセルです」と答えたところ、OKが出た。
ただしその時、筆者は本当の理由は不明なまま、やみくもに逆説的に答えてパスしただけのことだった。
ところが翌日、自分の車を車庫に入れている時、そのことがふっと頭をかすめ、「あっおれは今、どっちを踏んでいるのかな」と意識したら、なんと、アクセルを踏んでいるではないか!
ただむちゃくちゃに止めるのではなく、人の邪魔にならないように駐車場の仕切り線の中へ止める場合は、アクセルでその場所に入れ、最後にブレーキを踏むのである。
アクセルなしには、きちんと止めることも不可能だ。
要するに、走るにしても、止めるにしても、アクセル(陽)とブレーキ(陰)という、互いに正反対のハタラキをする二つが不可欠であり、さらにその二つをけんかさせずに協調させることが必要なのである。
『退歩を学べ ロボット博士の仏教的省察』アーユスの森新書
ものごとには必ず両面がある。
表があれば裏がある、ということだ。
普通は片側の表からしか見ないが、本当は裏からも見る必要がある。
脳力開発の城野宏先生は、例えば新聞に「昨日浅草で大火事があった」という記事が出ていたら、必ず「浅草以外は無事だった」と考えることだ、と言われた。
これを両面で考える、両面思考という。
両面思考でいうなら、進歩と言えば必ず、退歩もセットとしてついてくる。
アクセルとブレーキがあってはじめて、車が動くのと同じことだ。
何かに行き詰ったら、必ず両面をセットにして考えてみることが必要だ。
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【退歩を学べ】№1698
ロボット博士、森政弘氏の心に響く言葉より…
世の中には、進歩こそがいのちであって、「退歩」などもってのほかだと思われている向きも多いのではなかろうか。
とくに、経済については、成長のないところには成立しないと堅く考えられているようである。
だが本当を言えば、退歩のないところに、まことの進歩は望み得ないのである。
たとえば、外へ出たくてしかたのないハエがいる。
しかしそこには透明なガラスが立ちはだかっているので、いくらもがいても外へ出ることはできない。
筆者は、このハエに退歩する知恵があったならばと思う。
後ろに引けば視野が広がり、窓の右側に本当に開いた場所が見える。
だから、そこから外へ出るだけで、わけなく助かるのである。
肝心な点は、ガラスの存在を見抜く眼力と退歩する心の余裕があるかどうかである。
ある時、天下の本田技研の創立者で初代社長だった、本田宗一郎さんから筆者はこのような質問を受けた。
走るには→アクセル
止めるには→ブレーキ
これでよいか?というのであった。
筆者はこのクイズを受け、「これでよろしい」と答えたのだが、叱られてしまった。
本田さんは「君な、アクセルで走れるのなら、あそこに停めてある私の車のブレーキを外してやるから、それに乗って走ってこい」と言われた。
「あっ、そうか!なるほど、走るのにもブレーキが要る!」
ブレーキなしには危なくて走れない。
筆者は完全にやり込められてしまったのだった。
続いて、「それなら止めるのはどうだ?」と問われたので、よし、こういう次元の高いことを言われる方には逆説で行こうと、とっさに思い、「本田さん、止めるのはアクセルです」と答えたところ、OKが出た。
ただしその時、筆者は本当の理由は不明なまま、やみくもに逆説的に答えてパスしただけのことだった。
ところが翌日、自分の車を車庫に入れている時、そのことがふっと頭をかすめ、「あっおれは今、どっちを踏んでいるのかな」と意識したら、なんと、アクセルを踏んでいるではないか!
ただむちゃくちゃに止めるのではなく、人の邪魔にならないように駐車場の仕切り線の中へ止める場合は、アクセルでその場所に入れ、最後にブレーキを踏むのである。
アクセルなしには、きちんと止めることも不可能だ。
要するに、走るにしても、止めるにしても、アクセル(陽)とブレーキ(陰)という、互いに正反対のハタラキをする二つが不可欠であり、さらにその二つをけんかさせずに協調させることが必要なのである。
『退歩を学べ ロボット博士の仏教的省察』アーユスの森新書
ものごとには必ず両面がある。
表があれば裏がある、ということだ。
普通は片側の表からしか見ないが、本当は裏からも見る必要がある。
脳力開発の城野宏先生は、例えば新聞に「昨日浅草で大火事があった」という記事が出ていたら、必ず「浅草以外は無事だった」と考えることだ、と言われた。
これを両面で考える、両面思考という。
両面思考でいうなら、進歩と言えば必ず、退歩もセットとしてついてくる。
アクセルとブレーキがあってはじめて、車が動くのと同じことだ。
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