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年寄りのほうが世間知らず 人の心に灯をともす 5208より 写真はMさんからいただいたプレゼントです...

2022年12月29日 | 
【年寄りのほうが世間知らず】5208



本田宗一郎氏の心に響く言葉より…


生をうけた以上どうせ死ぬのだから、やりたいことをやってざっくばらんに生き、しかるのち、諸々の欲に執着せずに枯れ、そして死んで いくべき、という考え方だ。

「生あれば死あり、早く終うるも命の促(うながさ)れるにはあらず」――これは陶淵明 の詩の一節だそうだ。

私流に解釈しても、まことにそのとおりで、社長という“生は限りあるものである。

しかし、社長を辞めたからといって、その人の人生そのものが終わるわけではない。

人間死ぬまでは生きるんだから、その間に今までできなかった趣味なり社会奉仕の名誉職なりを思う存分すればよいのだ。



自分では若いつもりで、飛行機を操縦したりオートバイをすっ飛ばしたり、派手な色柄の服を着て喜んでいるが、私は要するに80近いジジイである。

世界のジジイ経営者同様、このジジイも、おれはだてに年をとっちゃいない、若い者が真似できない体験をしてきているし、いろいろ見てきている。

そうした知恵はきっと役立つはず…と思わなくもない。

それを認めた上で、私は老人は社会の一線から早く身をひくべきだと考えるのだ。

理由は、今の世界というものは年寄りのほうが世間知らずだからだ。

昔は若い人を世間知らずといったものだが、現在は逆。

急激な世の中の変化に、もはや老人はついていけなくなっている。



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遅かれ早かれ、死は誰にも平等におとずれる。

だからこそ、やりたいことをやってからあの世に行くのでなければ、なんのための人生かわからない。


だからといって、「やることがない」と、年をとっても、いつまでも第一線にしがみついているのは、あまりにカッコ悪い。

なぜなら、「年寄のほうが世間知らず」だからだ。

これは、「スマホ」や「遊び」の世界を考えればわかる。

子供は楽々とスマホやタブレットを使いこなすのに、ほとんどの年寄はお手上げだ。

そして、遊びも、年寄の頃と今の子供では大違いだ。


また、第一線をしりぞいてからやることがないというのは、現役生活の間に「世のため人のために尽くしてこなかった」、と告白しているようなものだ。

世のために人のために動いていた人は、のちに必ず、まわりからの引きがあるからだ。

自分のことだけしか考えてこなかった利己の人には、誰も仕事や、ボランティアなどの役職を頼まない。


そして、「出処進退」という言葉があるが、安岡正篤師は、人物を見るのに一番重要視されるのが「出処進退」のうちの「退」だという。

「退」とは、職を辞(じ)することだが、そこにごまかしのない「人間性」が出るからだ。

地位にいつまでも執着して「自分でなければできない」、などと言っていないか、だ。

やめるときには、自分ひとりで決断するしかない。

人に相談すれば、必ず「まだまだできますよ。やめるのは早すぎます」と言うにきまっているからだ。



特に社長や政治家の年寄は第一線から早く身を引き、若い人たちにバトンタッチすること。

出処進退があざやかな人でありたい。






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