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【人格は、後ろ姿に表れる】4709
上甲晃(じょうこうあきら)氏の心に響く言葉より…
人間、どんな時でも、どんな場所でも、入る時はよそ行き、出ていく後ろ姿に、人格が表れる。
例えば、入社の時には、みんな、「これからしっかり頑張ります」と、揃ってよそ行きだ。しかし、途中で退社するような時には、ついつい本音が出て、捨てセリフを吐く人、仕事の後始末もせずに辞めていく人など、様々だ。
出ていく後ろ姿に、その人の本当の人格が表れる。
ホテルでも、チェックインする時、すべてのお客さんは紳士と淑女だ。しかし、一晩部屋を使い終わってチェックアウトした後の部屋を見たら、その客の人格が分かると、教えてくれたホテルの支配人がいる。
備品は使いたい放題、電気はつけっぱなし、部屋 は乱れたまま、パジャマは脱ぎっぱなしでは、とても立派な人だと誰も思わない。
『青年塾』で、食べた後をきちんと片づけ、泊まった後の部屋はきれいに整理整頓するように教えるのは、人格を磨く身近な努力であり、大切な研修と思うからだ。
松下政経塾の面接試験で、松下幸之助は受験生が部屋に入ってくる姿でなく、部屋から出ていく後ろ姿をじっと見ていたことを思い出す。
私は思い切って尋ねてみた。
「どうしてそんなに出ていく後ろ姿をご覧になるのですか?」と。
松下幸之助は、「人間はな、こんな狭い部屋でも、入ってくる時はみんなよそ行き。 出ていく後ろ姿に普段の様子が表れるのや」と答えた。
『人生の合い言葉』致知出版
https://amzn.to/2VMkLWx
本書の「まえがき」にこんな言葉があった。
『「勉強」とは、頭の中に知識や技術を増やすことだと思い込んでいる風潮がある。
しかし、頭に叩き込む知識は、しょせん、生きていくうえでの道具にしかすぎない。
どんなに高度な知識や技術を習得しても、それを使う本人に、“人間としての魅力”がなければ、せっかくの知識や技術は、“宝の持ち腐れ”となる。
「人間としては最低」の一言で、偏差値エリートは挫折するのだ。
私は縁あって、十四年間、松下幸之助が設立した、財団法人松下政経塾で、政治家を 中心とした指導者を育てる仕事に携わった。
そこで、実社会に出て本当に必要な力は、 知識や技術でなく、その人の持つ "人間としての魅力 (人間力)であることを感じた。
どんなに偏差値が高くても、どんなに優秀な学歴を誇っていても、「人間として失格」 の一言で、一刀両断、例えば選挙に勝てない。
頭を育てる教育ではなく、心を育て、精神を鍛え、人間として一流をめざす教育こそが、今の日本には必要であると考えて、松下政経塾を離任した時、次代を担う若い人たちを対象として、“人間としての魅力”を備えるための教育に人生を懸けようと決心した。
そして、立ち上げたのが全国五地域で展開する『青年塾』である。』
東洋人物学では「出処進退(しゅっしょしんたい)」が人物を見る上で大事な要件となっている。
出処進退の中でもとりわけ大事なのが、「退」という退くときの身の処し方だ。
いかに鮮やかに身を引くか。
ダメな人間は、地位に恋々としがみついて離れない。
そして、そこに己の名誉欲や、地位への執着がにじみ出てしまう。
同じように、会社を辞めるときにも人格があらわれる。
会社の悪口や上司や同僚を非難したり、評判を落とすようなことを言ったり、申し出た日に辞めたり、引継ぎもしないで出社しなくなる、などをする人たちだ。
まさに、「人間としては最低」と言わざるを得ない。
その人の評判は回り回って、誰かが知ることとなる。
町で会ったり、どこか仕事の関係で会ったりすることだってある。
「来たときよりも美しく」という言葉がある。
「退」のときの美学をいかに持てるか、学んでいるか。
人格は、後ろ姿に表れるという言葉を胸に刻みたい。
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上甲晃(じょうこうあきら)氏の心に響く言葉より…
人間、どんな時でも、どんな場所でも、入る時はよそ行き、出ていく後ろ姿に、人格が表れる。
例えば、入社の時には、みんな、「これからしっかり頑張ります」と、揃ってよそ行きだ。しかし、途中で退社するような時には、ついつい本音が出て、捨てセリフを吐く人、仕事の後始末もせずに辞めていく人など、様々だ。
出ていく後ろ姿に、その人の本当の人格が表れる。
ホテルでも、チェックインする時、すべてのお客さんは紳士と淑女だ。しかし、一晩部屋を使い終わってチェックアウトした後の部屋を見たら、その客の人格が分かると、教えてくれたホテルの支配人がいる。
備品は使いたい放題、電気はつけっぱなし、部屋 は乱れたまま、パジャマは脱ぎっぱなしでは、とても立派な人だと誰も思わない。
『青年塾』で、食べた後をきちんと片づけ、泊まった後の部屋はきれいに整理整頓するように教えるのは、人格を磨く身近な努力であり、大切な研修と思うからだ。
松下政経塾の面接試験で、松下幸之助は受験生が部屋に入ってくる姿でなく、部屋から出ていく後ろ姿をじっと見ていたことを思い出す。
私は思い切って尋ねてみた。
「どうしてそんなに出ていく後ろ姿をご覧になるのですか?」と。
松下幸之助は、「人間はな、こんな狭い部屋でも、入ってくる時はみんなよそ行き。 出ていく後ろ姿に普段の様子が表れるのや」と答えた。
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本書の「まえがき」にこんな言葉があった。
『「勉強」とは、頭の中に知識や技術を増やすことだと思い込んでいる風潮がある。
しかし、頭に叩き込む知識は、しょせん、生きていくうえでの道具にしかすぎない。
どんなに高度な知識や技術を習得しても、それを使う本人に、“人間としての魅力”がなければ、せっかくの知識や技術は、“宝の持ち腐れ”となる。
「人間としては最低」の一言で、偏差値エリートは挫折するのだ。
私は縁あって、十四年間、松下幸之助が設立した、財団法人松下政経塾で、政治家を 中心とした指導者を育てる仕事に携わった。
そこで、実社会に出て本当に必要な力は、 知識や技術でなく、その人の持つ "人間としての魅力 (人間力)であることを感じた。
どんなに偏差値が高くても、どんなに優秀な学歴を誇っていても、「人間として失格」 の一言で、一刀両断、例えば選挙に勝てない。
頭を育てる教育ではなく、心を育て、精神を鍛え、人間として一流をめざす教育こそが、今の日本には必要であると考えて、松下政経塾を離任した時、次代を担う若い人たちを対象として、“人間としての魅力”を備えるための教育に人生を懸けようと決心した。
そして、立ち上げたのが全国五地域で展開する『青年塾』である。』
東洋人物学では「出処進退(しゅっしょしんたい)」が人物を見る上で大事な要件となっている。
出処進退の中でもとりわけ大事なのが、「退」という退くときの身の処し方だ。
いかに鮮やかに身を引くか。
ダメな人間は、地位に恋々としがみついて離れない。
そして、そこに己の名誉欲や、地位への執着がにじみ出てしまう。
同じように、会社を辞めるときにも人格があらわれる。
会社の悪口や上司や同僚を非難したり、評判を落とすようなことを言ったり、申し出た日に辞めたり、引継ぎもしないで出社しなくなる、などをする人たちだ。
まさに、「人間としては最低」と言わざるを得ない。
その人の評判は回り回って、誰かが知ることとなる。
町で会ったり、どこか仕事の関係で会ったりすることだってある。
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