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【心の穢(けが)れを祓い、磨く】5393
東大寺別当、筒井寛昭(かんしょう)氏の心に響く言葉より…
お寺に行って仏像を前にすると、言われずとも手を合わせ拝むものです。
仏像を拝んで何をするかといえば、「家内安全」「無病息災」などといった祈願でしょう。
それだけに、仏像は人々の心の拠りどころとして存在する…そう思われる方も少なくないようです。
ところが、実はお釈迦様は弟子たちに「私の姿(仏像)を造るな」とおっしゃいました。
迷いから逃れるには、自分で心の穢(けが)れを祓(はら)い、磨いていかなければならない。
求めるものは自分の中にあるのだから、偶像、つまり仏像を造って崇めたてるのはいけないとおっしゃっています。
しかし、お釈迦様の死後、六〇〇年〜七〇〇年ほど経つと、人々は仏像を造るようになりました。
最初はお釈迦様という真理を見つけた立派な方に近づくためには、お釈迦様の姿を模した仏像をシンボルにし、「この人になりたい」 「この人の考えを理解したい」と目標を定めやすく修行に打ち込めたからでした。
つまり、仏像は本来、願いを聞いてくれる存在ではないのです。
お経にしても同じです。
お経は先祖を供養するためのものだと思っている人がたくさんいます。
しかし、お経は、お釈迦様が語られた真理の言葉を後世の弟子たちが綴(つづ)った ものです。
ですから本来は死者を弔うものでも、癒しの言葉でもありません。
僧侶はお釈迦様のお言葉をお釈迦様になり代わって、真理のなんたるかを述べているのです。
『仏様からのアドバイス』ワニブックス
https://amzn.to/3XygBx7
お釈迦様の弟子に、物覚えが悪く、お釈迦様の教えを一つも覚えられなかった者がいた。
お釈迦様は、掃除が得意なその弟子に、「塵(ちり)を祓わん、垢(あか)を除かん」という言葉だけを唱えて、掃除をするように伝えた。
何十年とその言葉を唱え、掃除を実践すると、あるときハッと悟ったという。
掃除をしているのではなく、自分の心の塵や垢を祓っていたのだということを。
その弟子こそ、釈尊の弟子の中でも重要な、十六羅漢の中の一人に数えられる偉大な人物として、後世に伝えられている周利般得(しゅりはんどく)だ。
神社やお寺に行ったとき、我々はつい何かをお願いしてしまう。
実は、神社やお寺は「お願い」ではなく「お礼」を言いに行く場所。
心に塵や垢を祓い、今ここに存在することに感謝する場。
神道の祝詞には「祓(はら)え給(たま)い、清め給え」という言葉がある。
常に謙虚な気持ちで…
自らの心の穢れを祓い、磨き続ける人でありたい。
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それだけに、仏像は人々の心の拠りどころとして存在する…そう思われる方も少なくないようです。
ところが、実はお釈迦様は弟子たちに「私の姿(仏像)を造るな」とおっしゃいました。
迷いから逃れるには、自分で心の穢(けが)れを祓(はら)い、磨いていかなければならない。
求めるものは自分の中にあるのだから、偶像、つまり仏像を造って崇めたてるのはいけないとおっしゃっています。
しかし、お釈迦様の死後、六〇〇年〜七〇〇年ほど経つと、人々は仏像を造るようになりました。
最初はお釈迦様という真理を見つけた立派な方に近づくためには、お釈迦様の姿を模した仏像をシンボルにし、「この人になりたい」 「この人の考えを理解したい」と目標を定めやすく修行に打ち込めたからでした。
つまり、仏像は本来、願いを聞いてくれる存在ではないのです。
お経にしても同じです。
お経は先祖を供養するためのものだと思っている人がたくさんいます。
しかし、お経は、お釈迦様が語られた真理の言葉を後世の弟子たちが綴(つづ)った ものです。
ですから本来は死者を弔うものでも、癒しの言葉でもありません。
僧侶はお釈迦様のお言葉をお釈迦様になり代わって、真理のなんたるかを述べているのです。
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お釈迦様の弟子に、物覚えが悪く、お釈迦様の教えを一つも覚えられなかった者がいた。
お釈迦様は、掃除が得意なその弟子に、「塵(ちり)を祓わん、垢(あか)を除かん」という言葉だけを唱えて、掃除をするように伝えた。
何十年とその言葉を唱え、掃除を実践すると、あるときハッと悟ったという。
掃除をしているのではなく、自分の心の塵や垢を祓っていたのだということを。
その弟子こそ、釈尊の弟子の中でも重要な、十六羅漢の中の一人に数えられる偉大な人物として、後世に伝えられている周利般得(しゅりはんどく)だ。
神社やお寺に行ったとき、我々はつい何かをお願いしてしまう。
実は、神社やお寺は「お願い」ではなく「お礼」を言いに行く場所。
心に塵や垢を祓い、今ここに存在することに感謝する場。
神道の祝詞には「祓(はら)え給(たま)い、清め給え」という言葉がある。
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