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風が吹いていないときは、凧は揚がらない 人の心に灯とともす 3955より 写真はMさんいただいたプレ...

2020年03月18日 | 
【風が吹いていないときは、凧は揚がらない】3955



立命館アジア太平洋大学学長、出口治明(はるあき)氏の心に響く言葉より…


《すべての真の生とは出会いである》(マルティン・ブーバー)

この世界は偶然の産物です。

そして、私たち1人ひとりの人生も、いろいろな偶然の積み重ねによってつくられているといっていいでしょう。

歴史を知れば知るほど、偶然こそが「この世のリアルだ」と確信します。


私たち人類・ホモサピエンスがこれまで生き残れたのも、偶然だったという説があります。

「そして最後にヒトが残った」(クライブ・フィンレイソン)という本によると、ネアンデルタール人が滅び、ホモサピエンスが生き残った理由は、「適応力」と「運」の違いにあったようです。

筋骨隆々で、森林での大型動物狩猟向きの体型をしていたネアンデルタール人は、当時、地球環境の寒冷乾燥化が進み、森林が縮小し、平原が広がりはじめる中で徐々に生きる場を失っていきます。

一方、しなやかで持久力に富む体を持つホモサピエンスは、平原での狩りにも対応でき、生き残ることができたのだそうです。

つまり、たまたま平原が広がりはじめる時期に、たまたま平原に適応できる体をホモサピエンスは持っていた。

だから生き残れた。

まさにホモサピエンスは運がよかったのです。


逆に、ネアンデルタール人が絶滅してしまったのは、たまたま運が悪かっただけだともいえるのです。

「運がいい」というのは、フィンレイソンが指摘しているように、「適切なときに適切な場所にいる」ことなのです。

この世は偶然の産物だということに、あらためて気づかされます。


ウィーン生まれのユダヤ系の宗教哲学者に、マルティン・ブーバーという人がいます。

ブーバーの思想を一言で述べると、「自分」という存在を、目の前の現実との関係の中から捉えようとすること。

「自分とは何者か?」と問うとき、私たちはひたすら自分の内面だけを見つめがちですが、そうではなく、周りとの関係から自分を探っていくというのがブーバーの考え方です。

いってみれば、「関係性」を重視したのが、ブーバーという哲学者なのです。


そのブーバーが、代表作『我と汝・対話』で書いているのが、「すべての真の生とは出合いである」という言葉です。

つまり、私たちの人生は、つまるところ、すべて出合いである、と。

そして、そうした出合いを通して、人生はどんどん変化していく、と。

関係性を重視したブーバーならではの言葉です。


私たちの人生は、ブーバーのいうように、そのときどきの出合いによって変化し続けていきます。

そうしたいわば川の流れに身を任せる生き方が一番すばらしいと僕は思っています。

変化を受け入れ、川の流れのままに流されて生きていく。

なぜなら、人間の力では、そのときどきの流れを変えることは難しいからです。


そのことを僕は、しばしば凧揚(たこあ)げにたとえています。

「風が吹いていないときは、凧は揚がらない」

凧揚げしようとしても、その場所に風が吹いていなければ、どんなに必死になって走っても、あるいは、ものすごくよくできた高性能の凧であっても、揚がってはくれません。

一方、その場所にいい風が吹いていれば、こちらがそれほどがんばらなくても、凧はスイスイ飛んでくれます。

人生もこれと同じです。


風が吹いていないときは、何をやってもダメだし、逆に、風が吹きはじめたら、何をやってもたいていうまくいく。

だから、今は風が吹いていない時期だと思ったら、ジタバタとムダな抵抗はしないで、淡々と過ごしていく。

ただし、いつ風が吹くかは誰にもわからないので、風がいつ吹いても全力で走れるよう平素から準備をしておくことが大切です。


場合によっては、風がそのままずっと長い間吹かないこともあります。

風が吹いていなくても、その中で人生を楽しめばいいのです。

時間はたっぷりあるので、いろいろなことができます。

逆に風が吹きはじめたら、やることがたくさん出てきてそんな暇もなくなりますから。


古典的な名著の多くは、作者が不遇な時代に書かれています。

そして、そのまま日の目を見ずに一生を終えた人も多いことでしょう。

私たちは、そういう人たちをついつい「不運な人生」と思いがちです。

でも、それはこちらが勝手にそう思っているだけで、本人たちはそれなりに人生を楽しんでいたのではないかと、僕は思うのです。


『人生の教養が身につく名言集』三笠書房





松原泰道師がこんなエピソードを書いている。


『元外務大臣で戦犯になった広田弘毅(こうき)さんが、外務省の欧米局長のとき、後の首相、幣原(しではら)喜重郎に嫌われて人事異動でオランダ公使に飛ばされるんです。

当時はオランダと日本は通商がなかったので、この移動は左遷でした。

皆はこれを心配しましたが、当の本人は平気のへっちゃら。

そのときの心境を得意の狂句で吟(よ)んでいます。

「風車 風が吹くまで 昼寝かな」

風車はオランダのトレードマーク。

風車はエンジンを持たないから、いかに精巧であっても風が吹かなければ自分では回れないものでしょう。

彼はオランダへ飛ばされる、オランダは風車が有名、風車は風が吹かないとどうにも仕方がない、風が吹くまで昼寝かな、と詠んだわけですね。

彼はのほほんとしていたけれども本当に昼寝をしていたわけではもちろんありません。

その逆境時に、外交的ないろんな情報を集めて勉強するんです。

そして再び中央に戻ってソ連の大使になったときに、その成果を発揮して成功を収めたのです。』(つまずくことが多い人ほど、大きなものを掴んで成功している。 日本人への遺言)より



苦境に陥ったり、困難なことがやってきたとき、我々はどうしても、なんとかしようとジタバタしてしまう。

しかし、風が吹かない限り、風車は回らないし、凧も揚がらない。


風が吹かないときは、内部を充実する絶好のチャンスだ。

自分や会社の実力を高め、少しでも成長できるような行動をとること。


風はいつかは必ず吹く。

風が吹いたとき、いつでもスタートする準備ができている人でありたい。






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