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上機嫌は人のためならず 人の心に灯をともす 3336より 写真はMさんからいただいたプレゼントです...

2018年10月17日 | 
【上機嫌は人のためならず】3336



明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…


現代は、インターネットという、誰でもいつでも不機嫌をまきちらせてしまえるツールが誕生し、「他人の不機嫌には傷つきやすいのに、自分の不機嫌は無意識に発散させてしまう」人が増えている時代です。

不機嫌を人にさらしている状態は、いわば「裸の王様」です。

荒波のように波立った不機嫌を鎮め、オブラートに包んだ言動ができれば、自分も周囲も安心して社会生活が送れるようになります。

マナーは自衛手段でもあるのです。


周囲の空気が硬く委縮していても、他者へのサービス精神にあふれ、生きることのエネルギーにあふれた人が一人でもいれば、場の調子は必ず良い方向へと転じていきます。

上機嫌であるというのは、人に対してオープンであるということです。

その時々の気分で揺れることなく、つねに安定した上機嫌の心持ちを維持継続して物事に対応できる「オープンマインド・オープンバディ」な人は、円滑にコミュニケーションができます。

コミュニケーションを通じて周囲にも良い効果を及ぼすことができ、結果的に自分の気持ちもさらに向上します。


「上機嫌は人のためならず」。

周囲の不機嫌に悩んでいる人、コミュニケーションの取り方に悩んでいる人こそ、上機嫌の効能に助けられるはずです。


たとえば急ぎの用事があって電車に乗ろうとしたところ、前にいるお母さんとベビーカーの動きがおそく、自分が乗る前に電車のドアが閉まってしまったとしましょう。

「子連れで出かけるのは本当に大変だろうなあ」といたわりの心が持てる人もいるでしょうが、一瞬「やっぱりベビーカーは邪魔だな」「あの母子がいなかったらなあ」とイラッとしてしまう人もいることでしょう。

「不機嫌の芽」が出る瞬間です。

私は「不機嫌の芽」自体が必ずしも悪いものだとは思っていません。

心のなかに不快な気持ちが生まれること自体は生理反応であり、人間としての性(さが)であるからです。


以前、「機嫌とは、人の表情や態度に表れる快・不快の状態」だと述べました。

感情の変化をその時点で確認し、抑えて、人前で見せなければいいのです。

万一その場で舌打ちをしてしまっても、「あ、今のは良くなかったな」と自分を立て直すことができれば、上機嫌に一歩近づけます。


あるいは、家族や友人に「今日ベビーカーが邪魔で電車に乗れなくてさ―」とグチを言ってしまうことはあるでしょう。

それでもまだ大丈夫。

彼らはあなたの元々の性格や普段の行動を知っています。

「まあまあ、そんなにイライラしなくても」「あなたらしくないんじゃない」と諫(いさ)めてくれ、「あ、今のは良くなかったな」とすぐに反省することができるはずです。


しかしこのところの日本では、自分が思ったことをすぐにSNSに書いてしまう人が後を絶ちません。

「今日電車に乗ろうとしたらベビーカーが邪魔で乗れなくて、用事に遅れちゃった。最悪」

すると、どうでしょうか?

あなたの不機嫌…他者に対する不寛容さを露(あら)わにした不用意な発言が、いきなり全世界に発信され、拡散し、多くの人に「未熟な人」という印象を与えてしまいます。

これは非常に危険な状態だということが、おわかりでしょうか。


「陰口」とされるものが、「陰」ではなくなり、公にさらされています。

SNSは、こうして不用意に発せられた不機嫌な言葉であふれています。

家でくつろぎながら何気なしにつぶやいたことが世界に伝播(でんぱ)することで、あなたの評判が下がったり、人間関係が破壊されたり、最悪職を失ったりすることもありえます。


現代人は他者の不機嫌に傷つきやすくなっている一方で、24時間攻撃性を発揮できるようにもなりました。

その主戦場はあなたも毎日ふれているであろうインターネット。

もっと言えばツイッター、フェイスブック、LINEなどといったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)です。

情報テクノロジーの発達とともに、インターネットは、個人が自由に発言しコミュニケーションできる場所を数々生み出してきました。


発信とコミュニケーションの機会が生まれたことで、人類社会に数々のメリットがもたらされたことは疑いようのない事実です。

しかしその一方で、個人が自由に発信しコミュニケーションできるというインターネットの利点は、不機嫌を増大、蔓延させ、遠くまで広げてしまうという弊害ももたらしてしまったように思います。


自動車の免許をとるときは、誰でも必ず自動車教習所に通って講習を受け、実技・筆記の双方で試験を受けて、合格する必要があります。

もちろん免許を持っていても事故を起こす可能性はありますが、教習を受けているからこそ、人々は「いつ何かの拍子に加害者になるかもしれない」ということを頭の片隅に置きながら、身を引き締めて運転を行えるわけです。

それに対してSNSはどうでしょう。

免許どころか運転講習すらないのに、誰もが無責任に自分の気分を発信できてしまう。

私はこれは非常におそろしいことだと思っています。

みんながみんな、知らず知らずのうちに複雑な首都高速に乗っかってしまっている。

SNSでの発言が原因で職を失った人や、他人の発言に傷ついて自殺した人もいるような状況なのに「いつか何かの拍子に加害者/被害者になるかもしれない」と言う発想が希薄な人が多いように見受けられます。


インターネットには、自分も無免許運転であるにもかかわらず、他人を取り締まろうという不機嫌で傷つきやすい運転者があふれています。


『不機嫌は罪である』角川新書





「上機嫌は人のためならず」とは、「情けは人のためならず」からきたもの。

人に親切にすれば(情けをかければ)、相手のためになるだけでなく、やがては自分によいことがかえってくるということ。

上機嫌も同じで、自分が上機嫌でいれば、それはやがて、上機嫌がかえってくるということ。


齋藤孝氏は、周囲が不機嫌なときは、日本の神話「天の岩戸」を思い出すといいと言う。

天の岩戸とは、言うまでもなく、アマテラス大御神が弟スサノオノミコトの乱暴な言動にほとほと耐えかねて、岩戸の中にこもってしまったという話だ。

アマテラス大御神は、太陽の神様なので、世の中は真っ暗になってしまった。

そこで他の神々が相談して出した結論が、岩戸の前で宴会をするということ。

みんなで岩戸の前で、酒を飲み、歌って踊って、大笑いをした。

すると、アマテラス大御神は、私がこもっているのに、「何でみんなでそんなに楽しそうにしているの」と気になって、岩戸を少し開けたときに、力持ちの神様がその岩戸を目一杯開いたという物語だ。


つまり、こうした笑いや、踊り、歌などで、場を楽しくして、不機嫌な人を上機嫌にするということ。

だから、上機嫌こそが問題を解決する、という教えだと斎藤氏は言う。


「上機嫌は人のためならず」

いつも上機嫌な人でありたい。







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